鐘ヶ淵の梵鐘

「――さくらんぼの強制執行イベントだって!?」


「恵一、静かにしろ。声が大きい!! 桜に聞こえたら、このもおじゃんになるぞ。お前を漢と見込んでお願いをするんだ。なあ、お父さんを助けると思って……」


「まったく、どっちが親だか分かんないよ。それにまだ今月の借金も返してもらってないんだけど……」


「おいおい、恵一、これ以上お父さんを追い詰める気か? 泣きっ面に蜂とはまさにこのことだ。もう外国に船で高飛びをするしかない。どうやら霧笛が俺を呼んでいるような気がするぜ!!」


「はいはい、いつもの蒼木圭一郎ケニーの物まねはいいからさっさと本題に入ってよ。僕もマスターの店で今週末、革のハンドメイド教室のアシスタントをやるんだから準備で忙しいんだよ。さくらんぼなら朝から僕のお使いで出掛けているから心配をしなくても大丈夫だよ。少なくとも夜まで帰ってこないから……」


「恵一、それはまたとないチャンスだ!! 鬼のいぬ間にお父さんのお宝を強制執行という名の断捨離で処分される前に、お前の部屋へ一時避難させるんだ。どうだ完璧な計画だろう!!」


「……親父、いい歳をして高校生じゃあるまいし、えっちな本を母親から隠すのと同じ発想だよ。さくらんぼの能力スキルは知っているでしょ。僕には無駄なあがきだと思うよ」


「恵一、だからお前の部屋にはいかがわしい本が一冊もないのか? 実は心配していたんだぞ、恵一は女の子に興味がないのかと……。 お父さんがお前ぐらいの頃は両手でも足りない数のガールフレンドがいたもんだ!!」


「それも聞き飽きたよ、親父の高校時代の武勇伝だろ。和製ジェームス・ディーンばりにハンサムでよく蒼木圭一郎に間違えられたことと、下駄箱にラブレターが入り切らなくて香月誠治郎かつきせいじろう専用のポストが高校の昇降口に設置されたって話だろう。それに何で僕の部屋にえっちな本がないって知ってんだよ、親父!!」


「んっ、それはだな、父親として当然の心配だ。我が息子のヰタ・セクスアリスを把握しないでどうする!! 曲がった性癖に息子が進まないようにしっかりと監視するのが男親のせめてもの矜持だ!!」


「自分の都合が悪くなる時だけ、キメ顔して作家先生でございます!! って講釈を垂れるのはさくらんぼから一番叱られるでしょ。それに言っている内容は全然説得力がないし、何だよ、僕の性欲的生活ヰタ・セクスアリスって意味が分かんないから」


 親父様と、この茶番劇をするのは何回目だろう……。


 こんな何気ない日常の一コマに僕は救われていた。いかがわしい本のくだりは初耳だが。あの日、藍と二度目の別離わかれをして、ぽっきりと折れそうになった僕の心を必死で支えてくれたんだ。もちろん親父とさくらんぼは僕の前で平静を装っているが……。そんな家族の気配りには言い表せないほど感謝をしている。


「……なあ、恵一。お前の部屋に本が一冊もない理由わけ、本当は桜のガサ入れだけじゃないんだろ?」


「親父、急に真面目にならないでくれよ。キメ顔もせずに言うのは反則だぜ。僕は可愛い妹のさくらんぼから、いやらしいお兄ちゃんって軽蔑されたくないだけだよ。他には理由なんてない……」


 ……まいったな、いつも冗談ばかりまくし立てて、小説家より喋る職業が向いていると周りから評されている親父。そんな口から先に生まれてきたような人なのに、時おり心配そうな表情を僕にみせるんだ。成長して初めて分かったことがある。母親が他界してから男手一つで残された幼い子供二人を育てあげるという苦労を……。


親父が冗談ばかりを口にするようになったのは最愛の女性ひとを亡くしたからではないのか? 悲しみから逃れるために深い傷口を冗談という漆喰しっくいで塗り固めたのだとしたら。 悲しくないをして親父は僕とさくらんぼのために仕事と家庭を執筆業で両立させ、これまで家庭と向き合っていたのかもしれない……。


「……恵一、解せないのは桜の強制執行の間隔が短すぎることだ。半月前にやったばかりだろう? ほら、お父さんの蔵書の数々をリサイクル書店の出張買い取りに出された件だ。あの影響で新作の執筆に大きな遅れが出たんだぞ!!」


「事実を歪曲して口にすると、さくらんぼからまた怒られるよ。親父の書いた小説が買い取り拒否されたのをまだ根に持ってんの?」


「おいおい恵一。作家にとって作品は我が子も同じだぞ。その可愛い子供を貶められたら全力で怒るのが当然だろう。それも初版本でサイン入りの希少な逸品を!!」


「……タイトルは鐘ヶ淵かねがふち梵鐘ぼんしょうだったっけ? さくらんぼが言っていたよ。絶対に売れない要素を鍋で煮しめたような一冊だって……。 もっと流行りのナーロッパを舞台にした主人公が何もやらなくとも現代のスキルで無双する異世界転生モノか、悪役令嬢に転生したごく普通の主人公が何故か各国のイケメン王子様から熱烈な求愛を受ける作品とか、さくらんぼ発案のプロット帳を頑なに読まないからあいつもへそを曲げるんだよ……」


「いったいどうしたんだ恵一、ずいぶんライトノベルに詳しくなったな? 漫画ばかりで小説は読まないんじゃなかったのか……」


「親父に見せる前に、僕がさくらんぼにプロット帳を読まされるんだよ。家計の収入向上の一環だって、こちとら編集者さんじゃないんだから、つき合わされるこっちの身にもなってよ!!」


「あいつのプロットには安易な願望が入りすぎているから駄目だ。何で苦しい現実から目を背けるんだ。人は痛みや苦しみがあるから成長出来る。たとえ仮に異世界や並行世界パラレルワールドに行けたとしても、泥臭い努力をしない人間には絶対に成功は訪れない。もし宝くじが当たったら自分のつまらない人生が一変するのでは? と不労所得生活を夢想する輩と同じ考え方だ!!」


「……親父、それは表立って言わないほうがいいと思うな。何千何万の敵を作るから。ただでさえ少ない仕事の依頼も途絶えたら、僕もさくらんぼも路頭に迷うよ」


「分かった……。恵一、そこに置いてある桜の書いたプロット帳をよこせ。なになに仮タイトルは【ブラック企業でワンオペ地獄をみた社畜の俺がダンプにはねられて異世界転生した先は観念逆転世界!? ~モフモフ美少女に囲まれてスローライフでのんびり起業したら週実働二日で億万長者に!! 俺、また何かやっちゃいましたか?~】こ、こんな馬鹿げたタイトルの作品が小説と呼べるかああっ!!」


「お、親父、落ち着いて!? そんなに強く握りしめたら、さくらんぼがせっかく苦心して作ったプロット帳が破けるから!!」


「ああ、つい取り乱してしまった。お父さんの悪い癖だな。つい創作の件となると見境がなくなってしまうんだ……。恵一や桜の心配も痛いほど分かるんだ、最近は旧作の再版も少ない上に新作小説の刊行もないからな。これでは小説家というより街の発明家だ、いや何でも家電修理屋かな?」


 自嘲気味に親父が笑った。確かに最近は本業の小説より、趣味が興じて依頼が舞い込むようになった古い家電の修理業の稼ぎが大きくなっている。この部屋が度々さくらんぼの強制執行を受けても、すぐ乱雑に足の踏み場も無くなってしまうのは全国から送られてきた依頼品が所狭しと積み上げられているからだ。さすがに親父も範囲を狭めて最近はレトロ家電に修理受け入れを絞ってきているのだが……。


「……さくらんぼもあいつなりに我が家の家計を考えて、親父に小説でヒット作を生み出して貰いたいんだよ。いつもの口癖を親父だって知っているだろう?」


「ああ、掃き溜めのような環境からはマイナスの要素が詰まった作品しか生まれない、澄んだ空気のような環境から真の傑作が生まれるんだって……。 もともとはお前の亡くなったお母さんの口癖だ。桜は冴子さえこさんにきれい好きな所もすっかり似てきたな……」


 冴子とは僕の母親の名前だ。さくらんぼは愛情の裏返しで作品を貶すが、先程の親父の代表作の小説、【鐘ヶ淵の梵鐘】もそんな母親の協力のもとで生み出されたと聞いた。君更津きみさらずの土地に伝わる古い伝承を現代の恋物語に絡めた作品だ。親父に言うと調子に乗りすぎるのであえて口にはしないが僕も大好きな作品だ。とても物悲しい悲恋の物語、親父の作品の中でも重版が掛かる貴重な長編小説なんだ。そう言えば思い出した、あの物語の恋人同士も超自然的な力に翻弄されて離れ離れになるんだ。最後に二人は再会するはずだが、読んだのは小学生の頃だったので細部の内容と結末を忘れてしまったな……。


「あっ!? 親父、感傷に浸っている場合じゃないよ。早く片付けを始めないと、この部屋を綺麗にするって、丸一日掛かってもとても終わらないから!!」


「よし、いっちょう始めるとするか!! 恵一、そこの修理依頼のダンボールを開封してくれ。箱のままだと嵩張ってかなわんからな……」


「このバカでかいダンボールか。 いったい何が入っているの?」


 親父の書斎兼趣味の部屋、その一角にうす高く積まれたダンボールの山。これをまず始めに攻略するか。


「恵一、手荒に扱うなよ、女性と手を繋ぐように優しく接するんだ……」


 また親父の比喩が始まった。何でも女性に例えるのも今のご時世はハラスメント案件だろう。僕は言われたとおりに慎重にダンボールの梱包を解き始めた。その中身は保護用のプチプチで厳重に包まれており、幾重にも半透明なシートが嵩になっているようだ。かすかに透けて見える実際の中身は結構小さい物が入っているな。


「恵一、この中に何が入っているか、お前は質問したよな。ヒントをやるよ。お前の過去にも関係がある物が入っているんだ。そして……」


 親父が意味ありげに口角を上げてにやりと微笑した。


「僕の過去に関係がある物って!?」


「そうだ、お前ともうひとり、消えた藍ちゃんにも関係があるんだ……」


 親父はきっと片付けにかこつけて、を僕に見せたかったに違いない……。


 僕は過去からの贈り物を開封したのかもしれない。消えた彼女に近づける物なら何だって構わない……。



 次回に続く。

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