楽園への入り口

 ――ずいぶん、長い時間待たせてしまった気がする。


 二宮藍にのみやあいは僕、香月恵一かつきけいいちのかけがえのない幼馴染


 藍との思い出を過去形だったにはしたくない……。


 だけど彼女は七年前に亡くなった。


 平成二十七年四月一日。僕の世界は完全に色を失ってしまった。


 くだらない冗談を言い合って笑い転げたあの公園の赤いベンチ。満開の桜の枝が風に揺れる。おどけるきみの横顔を僕は特等席から眺めていた。めぐる季節とともに僕たちは大人になっていく。そう信じて疑わなかったのに……。


 いまでも僕の耳に残る、彼女とかわした最後の言葉。


 入院していた病院から一時退院の許可が出て、藍は自宅に戻っていた。隣に住む僕がたまっていた宿題のプリントを届けにいった。学級便りにはクラス全員で書いた励ましのメッセージを添えて……。


『私が元気になったらあの公園に連れていって。きみさらずタワーの展望台から見える景色をもう一度見たいんだ。絶対に藍と約束だよ、恵一くん!!』


 メッセージの書かれた色紙を大事そうに胸にかかえて、腰掛けていた椅子から身を乗り出す。その拍子で膝掛けが床に落ちる。まるで紙のように白い彼女の頬に赤みが射した。


 膝掛けに描かれているのは彼女の大好きな漫画のキャラクター。ガナーピーフレンズ。白い身体に大きく垂れた黒い耳、世界一有名なビーグル犬だ。


 犬小屋の上に寝そべり、相棒の黄色い鳥。モントレーにむかって話しかけている図柄。漫画調のふきだしに英語で書かれていたガナーピーの言葉は……。


【……モントレーきみは好きな人に好きって伝えたかい? 犬の人生は短い。手遅れになるまえに僕は伝えるよ。きみが思うより何倍も僕はきみのことが大好きなんだ】


 藍と最後に話をした部屋。床に落ちて乱れた膝掛けのなかから、しわくちゃな顔をしてガナーピーは大切な言葉を教えてくれたのに……。


 僕はその場で藍に大好きだって伝えられなかった。


 永遠にその機会は僕の前から奪われた。手の中からこぼれ落ちるかけがえのない笑顔。


 あの太田山公園で見た咲き誇る満開の桜。僕たちの特等席だった赤いベンチ。あんなに鮮やかに見えたすべての色彩が灰色に塗り替えられる。いまさら手遅れに気がつくなんて。


 きみが仕掛けた悪い冗談なら。これが四月馬鹿エイプリルフールならどんなに良かっただろう……。



 ――だけど奇跡はあったんだ。


 幾重にもアーチ状に重なった満開の桜の木。あの公園で僕は彼女と再会した。成長した姿で藍は僕に告白をしてくれた。


『……恵一くんの彼女になってもいいですか?』


 藍にもう一度逢えるなら僕は悪魔に魂でも売る。悪魔と契約できるクロスロードがあるなら何度だってその十字路の真ん中に立ってもいい。


 僕にとっての契約の場所クロスロード。あの公園に現れた彼女はただの幻ではなかった。だけど微妙な違和感を感じてしまった。姿形は同じでも成長した藍が語ってくれた話は微妙に現実と食い違っていたから。


 亡くなるまでは家も隣同士で、やはり幼馴染みだった僕の妹、香月桜かつきさくら。通称さくらんぼと再会して、藍は開口一番、妹の髪型が変わったと指摘した。そして彼女が差しだしたスマホは僕たち兄妹が見たこともない形状をしており、その変わったスマホの液晶画面には、髪の長い妹のさくらんぼと藍が並んでいる証拠の写真が写し出されていた。


 そして何より決定的だったのは、更地になった隣の空き地をみて彼女は気を失うほど激しく取り乱してしまったんだ。藍は昨日まで自宅が、その場所に存在していたことをまったく疑っていなかった……。


 彼女が僕たち兄妹にうそをついている様子には、とても思えなかった。


 そして妹の部屋を後にして、僕は売れない小説家の親父に相談を持ちかけた。今は純文学専門だが昔はSF作家を目指していたという父親、香月誠治郎かつきせいじろう。男手一つで僕たちを育て上げてくれた親父は、荒唐無稽な相談の内容をすぐに信じてくれた。まだ藍の話に半信半疑な僕に、作家らしい柔軟な思考力を持って今回の事象を考察しはじめた……。


『お父さんの推測が正しければ藍ちゃんはパラレルワールドから来たんじゃないのか。起きなかったもう一つの時間軸。そう、別の可能性、七年前のあの日。亡くならなかった藍ちゃんだ……』


 その後、着替えの服を持っていない藍のために妹のさくらんぼの発案で近郊にあるアウトレットモールに三人で買い物に出掛けた。そこまで向かうバスの中でも不可思議な出来事に出くわす。


『……すいません、隣の席に座らせて貰ってもいいですか?』


 バスの車内、見知らぬ男性から席に座らせて欲しいと突然声を掛けられる。男性の指先は空いているはずのない藍の場所を指さしていた……。

 僕とさくらんぼには見えているはずの彼女の姿が、男性からは見えていないのか!?


 そして訪れたアウトレットモールで僕は運命的な出会いをする。


 偶然、通りかかった路面店の建ち並ぶ広場。その一画にあった革小物の店。ペット専門の首輪や胴輪、散歩用のリードをあつかう店の店主マスター古野谷雅人ふるのやまさひと。彼も最愛の妻を亡くして失意に暮れていたそうだ。そしてお店の看板犬であるトイプードルのショコラ。マスターは、広場を歩く僕たちの不可解な行動に気がついて声を掛けてくれたそうだ。何も存在しない空間にむかって楽しそうに会話する僕とさくらんぼの姿。そして自分が体験した不思議な経験を僕に語ってくれた。


『……私にも見えたんです。あの日ベッドに腰掛けてこちらにむかって微笑む亡くなったはずの家内の姿が!! そんな家内の傍らには愛犬のショコラがいたんです」 


 僕は真摯に自分の体験を語ってくれたマスターを信頼して、これまで起きたことのすべてを彼に告白した。


 父親から託されたメモ。そこに書かれていた驚くべき推論にもマスターは耳を傾けてくれる。そして藍が現れた太田山公園にある巨大な展望台、きみさらずタワーに藍がこちらの世界に現れた大きな秘密が隠されているのでは? とアドバイスをしてくれ、もう一度あの場所を訪れることを僕に強く勧めてくれた。


『……恵一お兄ちゃん、ショコラが関係って何!?』


『さくらんぼ!?』


 そんな矢先にショコラの散歩から帰ってきた女の子二人に僕たちの話を聞かれてしまう。先ほどまで見えていなかった彼女あいの姿を見て驚くマスター。やっぱり考えた推論のとおり犬のショコラを媒介ばいかいにして亡くなった人の姿が見えるようになるんだ。


 僕の親父も最初は家に連れてきた藍の姿が見えていなかった。だけど出掛ける前に階段の上から挨拶をする彼女の姿を見て驚いていたことを僕は思い出した。やはりその傍らには我が家の愛猫のムギがいたんだ……。


『……恵一くん』


 声を掛けられ、振り向いた視線の先には……。


 ……ショコラを胸に抱いた藍が立っていた。

 真っ直ぐに僕を見つめる瞳。そこには一片の迷いも浮かんでいなかった。


『……あ、藍!?』


 恵一くん、もう私、何を聞いても大丈夫だよ!! あの頃の弱っちい藍じゃないから。それに現実から逃げるのはもう嫌なの。苦しくて目を逸らしていたけど、家族と暮らしていた家が跡形も無くなったのを私はこの目で見てしまった。あの瞬間ときから昨日までの平凡な自分には戻れないって……」


 そう言って藍は、慈しむようにショコラの頭を撫でて、そっと自分の足元に置いた。


『……お散歩楽しかったよ、ショコラくん』


 彼女の顔は何故か、とても晴れやかだった。

 これまで見た藍の笑顔で一番輝いて見えた……。


『待てよ藍、駄目だ……!!』


『……藍お姉ちゃん!!』


『桜ちゃん、お買い物すっごく楽しかった。ショートカットもよく似合うよ!!』


『う、ううっ、藍お姉ちゃん……』


 その場に泣き崩れるさくらんぼ。

 涙の意味が僕にも分かる。広場の時計が無情に時を刻む。


『――ねえ、恵一くん、最後に教えてくれる。の世界の私は幸せだったのかな?』


『あいっ!! 何言ってんだ。お前は一人しかいねえよ!! 頼むよ、また僕を置いていったら承知しないぞ……』


『あっ、その口調、子供の頃の恵一くんに戻ったみたいで嬉しいな。桜ちゃんに怒られるから、変えてくれたんだよね。藍お姉ちゃんをいじめないで、って言われて……』


『……もうやめてくれ、藍、もういいんだ。このまま僕と一緒にいてくれ』


『私、短い間だったけど楽しかったよ。 こっちの藍も幸せだったってことも分かったし。答えを聞かなくても、恵一くんの顔を見てるだけで、ずぅっと大切に想ってくれていたことが全部伝わったよ!!』


『……藍お姉ちゃん、もういいよ。それ以上は言わないで。やっとまた会えたのに、本当のことを喋っちゃ駄目!!』


『藍いいっ、だめだ行くなっ……!!』


 あらん限りの叫び声を上げながら、僕は必死に手を伸ばした。

 その指先が藍まで届きそうな、あと僅かな距離。


 何度でも助けてやる、届け!!


『……恵一くん、もう一人の藍ちゃんのこと、絶対忘れないであげてね。忘れたら私がしないから!!』


 彼女の身体がはかなげに透きとおる。その場にうなだれるさくらんぼの姿が藍の透けた身体を通してむこう側に見えた。


『……さよなら恵一くん』


 ふうっ、と一瞬、彼女の口元から大きな溜息が漏れ、

 その震える唇が何かの言葉を呟いた……。


『……藍!?』


 僕の指先は彼女に届かなかった。


 ひとすじの涙が、その頬に流れるのを僕はただ眺めるしか出来なかった。

 藍に届くはずだと思った指先は、虚しく空を切った……。


『『大好きだったよ……』』


 彼女が残した最後の言葉。

 僕には確かにそう聞こえたんだ……。

 

 すべての真相を知り、藍はまた僕たちの前から完全に姿を消した……。



 *******



 固く閉じていた目を開けてしっかりと前を見据えた。僕の前にはきみさらずタワーに登るらせん状の階段が長く続いていた……。



「藍、僕はもう一度、この公園に来たよ。きみとの約束を果たすために。きみさらずタワーに登るのは何年ぶりだろう。この階段の前に立つとさすがに足がすくむな。なあに、心配しないでくれ。僕には親父に託された秘密兵器あれがあるんだ……」


 肩に掛けたバッグから重みを感じる。食い込んだ肩紐が今回はとても頼もしく思えた。


「……マスターのお店の手伝いもしないで、大学の講義が終わった後。この場所に来ることがこれからはお兄ちゃんの日課になるの?」


 この声は!?


「……さくらんぼ!? どうしてお前がここにいるんだ……」


 慌てて後ろをふりむくと妹のさくらんぼが立っていた。その手に持っているものは!?


「この場所はお兄ちゃんと藍ちゃんだけの思い出の場所じゃないよ!! 私の存在を忘れて本当に失礼しちゃう……。 まあいいや。私はお父さんからの届け物に来ただけだから。ほらっ、これがないと動かないよ。昔、お兄ちゃんや藍ちゃんと遊んでいたみんなのパラダイスと違うんだから」


パラダイス楽園か!? ずいぶんと懐かしい響きだな。何から何まであの頃に戻させる気だな。親父様は……」


「どうでもいいけど。これ、めっちゃ重いんだから。女の子にこんなものを運ばせる恵一お兄ちゃんやお父さんには特別手当てを貰わなきゃ割に合わないよ!!」


 妹のさくらんぼの手には海外旅行で使うような大型のキャリーバックが握られていた。

 親父は妹に何を持ってこさせたんだ……。


「さくらんぼ、名付けてパラダイス復活作戦開始って、とこかな……」


「そうだね。もう一度、あの頃みたいに仲良しの三人組に戻れるといいね、恵一お兄ちゃん」


「ああ、さくらんぼ、お前も手伝ってくれ……」


 僕は笑いながら、妹の持つキャリーバックのハンドルに手を伸ばした。


 親愛なるガナーピーへ。僕をもう一度、藍のいる場所にむかわせてくれないか。


 まだ手遅れじゃなかったら……。



 次回へ続く。



  ☆☆☆お礼と、お願い☆☆☆



 ここまで読んで頂き誠にありがとうございました!! 


 桜が咲くこの場所で、僕は幼馴染の君と二回目の初恋をする。


 大変お待たせしましたが、再開リブートです。


「面白かった!」


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 と、思われた方はぜひ☆や作品フォローをして頂くと大変嬉しいです!!


 最後まで応援のほど、何卒よろしくお願いいたしますm(__)m

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