BCLラジオ
――
楽園のドアを開けると薄いカーテンから差し込む西日が、記憶を鮮やかなオレンジ色で染め上げ、すべてが僕の頭の中に浮かび上がってくる。
室内で真っ先に目に入るのは年代物の階段箪笥と木製の冷蔵庫。その奥に見える窓の中央には、教会の礼拝堂に飾られていたという白い木枠のステンドグラスがはめ込まれていた。その白い木枠は苦心しながら藍が一人で塗ったんだ……。
ステンドグラスの曇りガラスには真ちゅうで縁取られた花をモチーフにした紋章。その鮮やかな赤と青に色分けされた模様が彼女のお気に入りだったからなのか、図画工作があまり得意ではない藍が、どうしても自分の手で塗ってみたいと顔中をペンキだらけにして苦心しながら仕上げた一品だ。
完成品を取り付けた窓を眺めながら、満面の笑顔で藍がつぶやいた言葉がいまでも忘れられない……。
『きれいなステンドグラスがここにあると、本当に私たちの
この場所をいつからか楽園と呼ぶようになった。ぼくらの秘密基地と呼ぼう!! そう提案した僕の単純な意見は数の力ですぐに却下されたな。藍とさくらんぼ。小学生女子二人には可愛くないと一蹴され、もっと素敵な名前にしようと当時流行っていた恋愛映画のタイトルを真似をして藍たちが呼び始めた名前だ。小学生の僕たちにしてはずいぶん背伸びしたものだが、その語感が秘密の合い言葉みたいで、最初は
『……今日はお堂が地区の集会で使えないから楽園に集合な!! 二人とも遅れるなよ』
普段、僕たちが集まっていた地区の集会場はお堂の共同墓地にある関係で、お盆やお彼岸だけではなく、地区の集まりで使えないときがあった。それに集会場の中に私物を置きっぱなしには出来ないから、自由に家具まで持ち込める場所は文字通り僕たちの第二の楽園だった。
なぜ小学生がそんな場所を手に入れたのか? たね明かしは売れない小説家。そして街の発明家でもあった親父の所有していた物置小屋で、家から五分ほどで到着する県道沿いの一角に小屋は建っていた。当時の親父は今と違って羽振りが良かった。なんでも小説の印税と副業の発明の特許料が重なっていたそうだ。いま思えば親父様の第一期黄金時代だったと本人も言っていたことを思い出した。
印税の入った小説のタイトルは鐘ヶ淵の梵鐘だ。僕も親父の小説の中では一番好きな作品で、いつもは小難しい純文学専門の親父が珍しくストレートな恋愛を題材にした作品だ。だけど不思議なのはいちばん売れたのはその恋愛作品なのに、親父はそれ以降、同じ路線のライトな恋愛作品を一度も執筆していない……。
僕は単に偏屈なだけかと思っていたが本当は別の意味があったんじゃないのか? 当時、僕たちに自分の物置を自由に使わせていたことにも何か関連がありそうだ。さくらんぼの強制執行から逃れるために僕に助けを求める振りをして、僕の前から二度も姿を消した藍を救い出す重要なヒントを与えてくれた親父。
『……恵一、お前は固定概念に縛られすぎだから消えた藍ちゃんに会えないんだ。物の見方を変えてみろ。彼女があの太田山公園の桜の下に現れた現象の意味を……。奇跡は起きたんじゃないぞ。お前は一度、奇跡を起こしていることに気がついていないだけだ。事実は小説より奇なりとはよく言ったものだな』
親父が僕に用意してくれた秘密兵器は思い出の楽園にあったモノだった……。
『ねえ、恵一お兄ちゃん。これどうやったら聴けるの。難しくて全然わかんないよ!!』
『桜ちゃん、この変な形の棒みたいなアンテナをまわすんじゃないかな? ほら!! さっきよりはっきり放送が聞こえるよ……』
『おい、二人とも!! あんまり手荒にあつかうなよ。そのラジオはお父さんが大切にしている物だからな。壊しても僕は知らないぞ……』
楽園の室内中央に置かれたテーブルには、当時流行っていた国民的携帯ゲーム機や持ち寄ったお菓子を入れるためのブリキ缶。その缶のフタには、【さくらんぼにおやつを与えないでください、豚になります】と僕がいたずらで貼った落書きの紙。なぜか妹はそのくだらない冗談をいたく気にいってそのままにしてあった。そして雑多に物が置かれたテーブルの中央には……。
『……これはBCLラジオっていうんだぞ。お父さんから教えてもらったけど、このラジオは僕たちの住む世界だけじゃなくて別の次元世界と交信出来るんだってさ。すごいだろう!!』
親父いわくBCLラジオブーム最盛期の傑作機とよばれたクーガーの最上位モデルが、丸テーブルの中央に独特の存在感を放ちながら鎮座していた。メカ好きの男の子なら誰しも夢中になりそうな、その黒光りする外観には無数のノブ。細かな数字の印字されたチューニングウインドウ。三連のトグルスイッチが散りばめられていた。
『えっ、恵一お兄ちゃん、ちがう世界ってどこなの……。外国の放送局の間違いじゃなくて? ちゃんとさくらんぼにも分かるように教えてよ!!』
『……恵一くんが言っているのは、藍たちが住んでいるこの世界じゃないどこかってことだよね』
「そうそう!! さすがに藍は飲み込みが早いな。僕のお父さんは嘘なんかつかないよ。僕たちの暮らしているこの世界とは似てるけど別なんだ。そこには同じ街があって、家も学校もある。そこには別の僕たちが存在するんだ。そんな別の世界は無数に存在するんだって、なあ、さくらんぼ。本当にすごくないか!!』
『じゃあ、私のそっくりさんが沢山いるの!? なんだか不思議。さくらんぼのかわりに宿題をやってくれないかな……』
『残念だな、さくらんぼ!! お父さんの説明だと、もし別の世界に行けたとしてもその場に二人は同時に存在出来ないんだって。たしか世界線移動のパラドックスとか難しいことを言っていたな。それに同じ人間でも微妙に違うらしいぞ。ほら、このゲームの主人公みたいにさ、僕とお前で同じキャラクターを使って同じ世界でゲームを進めても成長のレベルが違うだろ……』
テーブルに置いてあった携帯ゲーム機を指差しなから簡単な説明を付け加える。さくらんぼのゲーム機は藍と仲良くお揃いのピンク色で揃えた物だ。
『そっかあ、すごいね!! 恵一お兄ちゃん。 そのびーしーえるラジオで違う世界にいる私ともお話しが出来るんだ。でもどうやってやるの? 藍ちゃんがアンテナを立ててくれたら外国の放送局は聞こえてきたけど。この放送は別の世界じゃないよ……』
『どれ、僕に貸してみろよ。お父さんがいうには、ラジオを設置する場所が大事なんだって、そこのステンドグラスの前に置いてみようぜ!!』
『藍ちゃんのお気に入りのステンドグラス。壊れたりしないの。大丈夫かな?』
『大丈夫だよ。ステンドグラスは真鍮が入っていてとても頑丈だから、これはおじさまに無理をいって藍が取り付けて貰った物だし。高い窓際のほうが電波も入りやすいだろうし』
僕は親父の受け売りを自慢げに語っていた。まるで自分が見てきたかのように。僕を尊敬の目で見つめるさくらんぼ。そのとなりで嬉しそうに僕たち兄妹のやりとりを眺める藍。僕のかけがえのない大切な思い出がそこに存在していた……。
『よし。ステンドグラスの持ち主の許可も下りたし、さっそく別の世界と交信しようぜ。最初は藍にやらせてやるよ。ほら、ラジオも移動したから階段箪笥に腰掛けろよ』
骨董にも凝っていた親父の持ち物も、小学生の僕たちの手に掛かればすべてが遊び道具になる。藍を階段箪笥の真ん中に座らせて左右を僕たち兄妹が囲む形になった。
手慣れた仕草でさくらんぼが脇にある木製の冷蔵庫の上段から飲み物を取り出す。こういう気が利くところは昔から変わらないな。僕はラムネ、二人の女の子はオレンジジュースだ。普通は氷を入れて冷やす方式の冷蔵庫だが、発明家の親父は改造を施しており普通の冷蔵庫として使える。
『私でも出来るかな。なんだか難しそうだし、別の世界と交信なんて怖いな……』
『大丈夫だよ!! 僕が隣にいるから安心しろ!! いざとなったら交信をかわってやるからさ』
『……あ~~!! さくらんぼもいるのを忘れないでよ。みんなでお話するんだよ。別の世界のお友達、ん、違うか。別の世界の自分だったね!!』
『そうだよ!! 三人いれば怖くないさ。藍、準備はいいか? ラジオのスイッチを入れたぞ。音声入力のマイクも繋いだからこれで会話が出来るはずだ』
『う、うん。恵一くんもちゃんと私を見守っていてね……』
いまの電子チューナーラジオと違い、アナログな丸いダイヤルでチューニングする方式の四角い筐体のBCLラジオ。無数のスイッチや計器が全面に並ぶ。さらに親父はこのラジオにも改造を施していたんだ。短波放送を受信するための切り替えスイッチ。その隣に普通は存在しないスイッチの位置が新たに増設されていた。そこには
固定観念のない自分。子供のころの僕たちには越えられないハードルは存在しなかった。常識という名の重い鎧をまとわない純粋な気持ちが楽園という空間に奇跡をおこしたんだ……。
BCLラジオのジョグダイヤルをおそるおそるまわし始める藍。僕の開けたラムネ瓶のなかでビー玉が激しく転がる音が
次回に続く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます