つながる糸口
「……
親父が言った並行世界という単語に、僕は笑いを堪えるのがやっとだった。僕の親父。
【お父さんの小説は小難しいから売れないんだよ。地の文ばかりでセリフが少ないし、主人公がウジウジ悩んでばかり。なんで登場人物全員がトラウマを抱えているの? 悩んでないと死ぬ病気か何かなの!! 桜が読みたくなるような恋愛小説やラブコメを書かないと、絶対に映画化やアニメ化されないよ……】
さくらんぼの添削は容赦ない。親父の小説は難解な上に物語の進展が遅い。原作漫画に追いついたアニメ作品か!! とツッコミを入れたくなる。主人公がヒロインに告白するか悩んで結局一言も言えないまま話が終わったりするんだ。次々に浴びせかけられるようなジェットコースターばりの展開が多い昨今のラノベ作品とは正反対だからさくらんぼの意見も頷ける。
「恵一、お父さんは冗談でも小説のネタを話しているんじゃない。事実は小説より奇なりというだろ。実際、有名な古典SF小説に描かれている未来より我々が暮らしている現代は遙かに進んでいるんだ。例えばお前が持っている携帯電話一つ取っても、小説の中で描かれていたのは腕時計型の通信端末が想像の限界で、実際にはあるが不便極まりない物だ……」
確かに僕達は携帯電話があって当たり前だと思っている。スマホが無い生活なんて想像出来ない……。
「親父の言うとおり、藍が平行世界から現れたと仮定しても一体どうやって彼女は僕達の世界に来たんだ?」
これがタイムリープなら土曜日の実験室でラベンダーを嗅いだとか、SFジュブナイル小説な話もありかもしれないが。パラレルワールドとなると藍が僕の前に現れる
「……そこまでは情報が少なすぎて分からないが、もう少し藍ちゃんと、一緒に過ごしたほうがいいかもしれないな」
「このあとで三人で出掛ける予定があるんだ。その間にやんわりと聞いてみるよ」
「これは余計なことかも知れないが、藍ちゃんに全てを話さないほうが、得策だと思う。いっぺんに抱えきれないストレスを与えてしまいかねない……」
「分かってるよ親父。こっちの世界では藍は七年前に亡くなっている事実は、まだ彼女に言わないでおくよ」
親父の心配りに胸が苦しくなる。こっちの世界で藍とその家族に起こったことを僕も親父も全て知っているから……。
「……ありがとう親父。僕の話を信じてくれて」
「子供の言うことを親が信じなくてどうするんだ。それにお父さんは、学生の頃はSF作家を目指していたんだ。あの宇宙塵にも寄稿していたからな。時間超越や平行世界を俺が否定する訳ないだろ」
また親父の昔話が始まる前に切り上げないと、さくらんぼ達を待たせてしまうな。
「親父、悪いけど二人を部屋で待たせているから、話は後で聞くね。
「恵一、ちょっと気になるんだが……」
親父はまだ何かを言いたそうだ。部屋の乱雑ぶりに比べて、そこだけ妙にスッキリと片付けられた一枚板のワーキングデスク。その上に置かれたメモに、何か長文を書き記した。
「藍ちゃんは、本当に二階に居るのか?」
「う、うん、どうしてそんなこと聞くの?」
「二階に行くにはこの部屋の脇にある階段を通らなければ上がれない筈だ。そしてお父さんの書斎からはその階段が見えるんだ……」
「何、分かりきったこと言ってるの。亡くなったお母さんの希望で、そういう作りにしたんだろ。家族がお互いの存在を感じられて、それぞれが孤立しないように……」
我が香月家の作りは変わっていて、隣に立っていた藍の家と同じハウスメーカーの住宅だ。建てた時期も一緒で外観はもとより、室内の間取りもほぼ一緒だが、この中二階にある親父の書斎兼作業場だけは、特別に追加してもらったそうだ。親父の書斎からは一階のリビングも、二階の僕達兄妹の部屋にも声がけ出来る。仕事柄、書斎にこもりっぱなしの、親父と幼い僕達の関係が、希薄にならないようにと亡くなった母の配慮だ。
「親父だって、彼女が二階に上がるところ見たんだろ? 三人一緒に階段から部屋に行ったんだ。だから親父も言ったんだろ。僕が書斎に来たら開口一番に来客か? そういったはずだ!!」
妙な不安が胸に広がり、僕は思わず声を荒げてしまった。
「……いや、恵一と桜、二人しか見えなかった。来客と分かったのは桜が後でお茶を持って上がったからだ」
「じゃあ藍は!? 階段を上がるとき、彼女はガラス越しに会釈をしたはずだ。親父もキーボードを打つ手を止めてこっちを見たよね!!」
親父が、黙って煙草に火を付けては灰皿でもみ消す。明らかに動揺している動作を無意味に繰り返した。
「親父には藍が見えなかったってこと……」
「……恵一、これを後で一人の時に読め。内容は藍ちゃんには絶対に言うな」
親父が二つ折りにしたメモをこちらに手渡してきた。何時になく真剣な眼差しで僕を見据えている。
「親父、まだ話は終わっていな……」
「恵一お兄ちゃん、お待たせ。お出かけの用意出来たよ!!」
書斎脇の階段から声を掛けられた。僕と親父が同時に上を仰ぎ見る。
「……あ、藍ちゃんなのか!?」
親父が目を見開き、座椅子から身を乗り出した。作務衣の裾が乱れるさまが、驚きの大きさを表していた。
「おじさま、お邪魔しています!!」
藍が階段の踊り場から顔を出し、満面の笑顔で親父に挨拶をした。薄桜色のワンピースが可憐だ。小首を傾げてこちらを見ている。さくらんぼも、ひょっこりと階段に姿を現した。
「うにゃあ!!」
何故か愛猫のムギを抱っこしているぞ。多分、さくらんぼに餌でもねだりに行って、逆に捕獲されたんだろう。
「何、男同士でコソコソ話してるの。気持ち悪い……」
親父、今は藍のことが見えているのか!? 何故だ、僕とさくらんぼには最初から見えていた。親父と僕達兄妹のどこに違いがあるのか。
手渡されたメモを僕は手の中で強く握りしめた……。
次回に続く。
☆☆☆お礼・お願い☆☆☆
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