あの頃のように

 長いトンネルを抜けると、一気に車窓の景色が変わる。僕達を乗せたバスは隣町のアウトレットモールに向かっていた。下り車線には渋滞の車列が出来はじめている。時間帯が帰宅ラッシュ時ということもあるが、近隣には大手製鉄会社があり、社員が一斉に帰路を急ぐために朝と夕刻の渋滞は、この地域ではお馴染みの光景だった。


 僕は窓越しの景色を眺めるふりをして、彼女の横顔を眺めた。バスが二個目のトンネルに入る。光が遮られた窓に写るのは、肩に掛かる艶やかな長い黒髪、憂いを含んだ口元、薄桜色のワンピースの胸元が柔らかな曲線を描く。あの頃より成長した二宮藍にのみやあいが佇んでいた。


 ……とても綺麗だ。


 一瞬、満開の桜を仰ぎ見ている錯覚に捕らわれた。桜の花が舞い落ちる公園で、きみと過ごした時間は今でも忘れない。どうしてもっと優しくしてあげられなかったのか。僕が無遠慮に投げかけた言葉にも、きみはいつも微笑んでいた。困ったように口角を上げて笑う癖。その頬に片方だけ浮かぶえくぼ。彼女の全てが愛らしかった。だけど裏腹な態度を取ってしまう。いつまでも僕の隣にいてくれると信じて疑わなかった。


 だけど永遠なんて存在していなかった……。


「……恵一くん、どうかしたの?」


「えっ、僕は別に何も……」


「だって私の顔をすごく見つめているから……」


 藍の言葉で我に返った。僕は慌てて彼女から視線を外す。食い入るように横顔を見つめていたんだろう。かあっ、と頬が赤くなるのが自分でも分かった。


「な、何でもないよ。それよりも藍、なんでバスに乗るときに入り口で立ち止まっていたの?」


 彼女に僕の気持ちを悟られまいとわざとらしく話題をそらした。


「えっ、あれは私の勘違いかも知れないし、何でもないよ……」


「それならいいけど、すいぶん驚いていたみたいだったから」


「……う、うん、平気だよ、心配しないで」


「なーに、イチャイチャしてるのお二人さん。見せつけてくれるねぇ!!」


 前の座席からさくらんぼが顔を覗かせた。ふにゅーんと口元が緩んでいる。

 好奇心で目がキラキラしているのが見て取れた。


「えっ!? 桜ちゃん、恵一君とイチャイチャなんてしてないよ……」


 藍が恥ずかしそうに唇を尖らした。


「さくらんぼ、バスの中だぞ。他の人に迷惑だからあんまりはしゃくなよ!!」


「はあい、失礼しました。気を付けまーす!!少し寝てるから、アウトレットモールに着いたら起こしてね」


 おどけた仕草でさくらんぼは座席に身を沈めた。ふうっ、助かった。普段はウザい妹だが今回だけは感謝だ。いいタイミングで話に割り込んでくれた。


「相変わらす二人は仲良しだね……」


「えっ、誰のこと?」


「恵一くんと桜ちゃんのことだよ。うらやましいな。うちのさとしくんなんて、最近、反抗期みたいで私が話し掛けても無視されることが多いんだ……」


「聡くんが反抗期って、あのおチビさんが!?」


「恵一くん、おチビさんって誰のこと言ってるの。弟の聡くんだよ。やっぱり変なの……」 


 訝しそうな顔で藍が僕を見つめる。僕は自分の失言に気付いた、聡とは藍の弟だ。彼女が生きている時間軸の世界では、今でも一緒に暮らしている筈だ。僕にとっては藍が亡くなった後の二宮家のことは殆ど知らない。弟の聡も僕にとっては幼い少年のままで記憶が止まっている。


「あ、ああっ!? 聡くんのことだよね。反抗期って聞いてピンとこなかったんだ。あのおチビちゃんが一人前になったなって……」


「そうなんだよ。背だってグングン伸びて、恵一君より大っきいんじゃないかな。今度うちに遊びに来てくれれば聡くんも喜ぶと思うよ!!」


「……藍」


 思わず言葉を失ってしまった。


 藍の溢れるような笑顔が僕の胸に突き刺さった。みるみる彼女の顔色が曇るのが分かる。


「あ、ウチに来るって今は無理だね。私は何を言っているんだろう……」


 そのままうつむく藍。残酷な現実を思い出したのだろう。気まずい沈黙が僕達の間に流れる。


「……」


「……」


 僕は掛ける言葉が見つからなかった。この世界では七年前に亡くなった彼女。もう一つの世界では家族と仲良く暮らしていたんだろう。弟の聡と多少の仲違いなんて些細なことだ。死別して二度と会えなければケンカも出来ない。僕にも大切な家族がいる。もし明日さくらんぼがいなくなったら? そんなこと考えられない!! そこにいるのが当たり前で蛇口をひねれば水が出るようにずっと変わらない日常に僕は甘えている。


 当たり前に思えることが、途方もなく幸せだってことに気付いていないんだ……。


『藍っ!!』


 誰もいない公園に僕の声だけが響き渡る。あんな想いはもう嫌だ!! 僕は藍に手を伸ばした。微かに震える細い肩に触れる。幽霊でも幻でもない。彼女のワンピース越しに暖かな体温を感じた。


「……恵一くん?」


 藍は驚いて顔を上げた。潤んだ瞳を僕に向けてくる。


「藍、きみが悲しむと僕も悲しいんだ。だから半分こに出来ないかな。あの頃のように……」


「……半分こって、恵一君!?」


「ああ、嬉しいことも、悲しいことも半分こな!!」


「覚えていてくれたんだ。あのときの言葉……」


「藍、忘れるはずないって言っただろう」


 僕の大好きな幼馴染みの女の子が笑ってくれた。あの頃の面影を浮かべて……。


「恵一くん、ありがとう。あのときみたいにひとりぼっちじゃないから。私はまだ頑張れるよ……」


 幼かった少女の笑顔と、今の彼女が重なった気がした。


「恵一君が居てくれたから、私は救われたんだ……」


 あの夕暮れの河原で見たのと同じ、無邪気な笑顔で彼女は微笑んだ。今はこの笑顔を守ろう。余計なことは後で考えればいい。


 きみと約束したことを探しに行こう。この先にどんな運命が待ち受けていても、僕達はもう一度、恋をやり直すんだ……。



 次回に続く。


 


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