過去形の写真。過呼吸の記憶。

「嘘だろ!? なぜ僕たちの楽園パラダイスが……」


 あまりの驚きにその場で絶句したまま立ちつくしてしまう。とっくの昔に取り壊されてしまったばずの建物が当時のまま同じ場所に存在していた。いや、よく見たら建物の外見は結構変わっているぞ。僕の記憶の中にある楽園の建物よりも増築されている。三角形の敷地半分まで拡張されているじゃないか。そして建物の前にある駐車スペースに置かれていたブリティッシュグリーンの折り畳み自転車を見て僕はさらに混乱してしまった。


「……恵一さん、何をそんなに驚いた顔で突っ立っているんですか? お客様は中でお待ちですよ」


 あいの弟のさとしが、出入り口に赤い三角コーンを使った仕切りを置く。よく工事現場で見掛ける物だ。無断で敷地に車が入れないようにする目的だろうか。


 僕は楽園の室内にいる客人が誰なのか既に見当がついてしまった。こんな回りくどいことをするのはしかいない……。


 楽園への出入り口は当時のままだった。少し建付けの悪いシャッター式の扉、小学生の背丈では最上段まで全開してしまうと、専用の棒を使っても届きにくかったために途中でシャッターを止めておくのが僕たちの決まり事なのを思い出した。扉の前に聡と並ぶと月日の流れを感じるな。隣に立つ背の高い彼ほどではないが、僕もすっかり成長してシャッターを閉めるのも楽な身長になったんだな……。


「……ろくまるまる!!」


 閉まったままのシャッターに向かっていきなり聡が謎の言葉を叫び始めた。いったい彼はどうしたというんだ!? その奇異な行動に何か意味があるのか。


「さあ、恵一さんも俺と一緒に同じ言葉を叫んでください」


 ぼ、僕もやらなきゃいけないのか!? えっと……。


「ろくまるまるです、さあご一緒に。せーの!!」


 虎穴に入らずんば虎子を得ずか、仕方がない、ここは彼に従おう。


「「ろくまるまる!!」」


「こちら情報部!!」


 ……も、もしかして合言葉なのか!?


 僕たちの叫び声に応答するように中からくぐもった声が聞こえた。しばしの沈黙の後、シャッターのむこう側でガタガタと物音がする。シャッターの内鍵を開錠する音が聞こえ、勢いよく扉が開け放たれる。中から顔を覗かせた人物は……?


「よお、思ったよりも来るのが遅かったな」


「親父!! 中にいるのは表に置いてあった折りたたみ自転車を見て予想はしていたけどこれはいったいどういうことだ」


 作務衣姿に無精髭、後ろで束ねたロマンスグレーの長髪を掻き上げるしぐさ。僕の親父、香月誠治郎かつきせいじろうが楽園の戸口から姿を現した。


「香月先生、俺にも説明してもらえませんか。顧問として先生が楽園この場所を指定したのには何か別の理由わけがあるんじゃないですか? 今日の恵一さんの態度もどこかおかしいし……」


 聡は薄々気が付いていたというのか!? 僕のこれまでの不自然な態度に。


「……まあ、ふたりとも中に入れ、外は寒かっただろう、熱いお茶でも入れてやるから」


 揃って疑問を投げかける僕たちを尻目に親父はいつもの飄々とした態度を崩さない。さっさと背を向けて室内に入っていってしまった。くそっ、こっちの世界線でも呑気な性格はまったく変わらないな。


「恵一さん、とりあえず中でゆっくり話しませんか」


「……そうだね、聡くん」


 謎に次ぐ謎に見舞われてすっかり頭に血が上ったままの僕よりも、年下である聡のほうが先に冷静になっている。すぐに気持ちを整えられるところも藍によく似ているな。僕よりも彼のほうが精神年齢的にも大人かもしれない。


「……うわあっ」


 楽園の室内に一歩足を踏み入れた瞬間、思わず声が出た。当時と見違えるほど変わっている!! 昔は僕たちが集めた古い家具ばかりでお世辞にも整理整頓されているとは言えなかったのに。壁面には備え付けの棚があり所狭しと本が並んでいる。その手前に置かれた階段箪笥は当時のままだ。


「このステンドグラスもまだ残っているなんて……」


 藍のお気に入りだったステンドグラスを見るなり、僕は少年時代への郷愁で胸が押し潰されそうになってしまう。室内の灯りに照らされてまばゆい七色の光を放っている。ステンドグラスの埋め込まれた窓の手前にある古材を利用した長机。その卓上に置かれた一枚の写真立てに僕は何気なく視線を落とした。


「……この写真は!?」


 妹のさくらんぼが藍と並んで写っている写真だ。僕が違和感を覚えたのは写真の中で微笑むさくらんぼの髪型が違うことだった。


 ……妹の髪型がショートカットじゃない!?


 流れるような長い髪のさくらんぼが藍と並んでにっこりと微笑んでいる写真だった……。


「恵一さん、ふたりがころの写真を見つめて、そんなに悲しい顔をしないでください。気持ちはよく分かりますが俺まで辛くなります」


 いつの間にか背後に聡が立っていた。僕の肩にそっと手を置いた彼の表情には悲痛な色が浮かんでいた。


「さ、聡くん、君はどうして藍とさくらんぼについて、過ぎ去ってしまった出来事のように話すんだ?」


【健在だった】彼の口にした過去形の言葉が僕の心を鋭い刃物のように切り刻んだ。


 それじゃあまるで、ふたりがこの世に存在しないみたいじゃないか!?


「……今日の恵一さんはどうかしていますよ!! 変えられない事実をいくら嘆いても仕方がないじゃないですか」


 僕の肩に触れた聡の指先に力が込められるのが感じられた。彼の無念な気持ちがこちらまで伝わってくるようだ。最悪の想像が頭の中を駆け巡り自分の膝が震え出すのを抑えきれない。


「あ、藍は。そしてさくらんぼはいったいどこにいるんだ!?」


「け、恵一さん、ちょっと落ち着いてください!! ……香月先生!! 助けて下さい、」


 目の前が真っ暗になり、楽園パラダイスの床に膝から崩れ落ちる。動悸が激しくなり、また過呼吸の症状が現れそうになるのをぼんやりと自覚した。


「恵一、しっかりするんだ!!」


 背後からがっしりとした腕に支えられた。親父が床に昏倒しそうになった僕を抱きかかえてくれたのか。ありがとう、でも何だかとても疲れたよ。このまま眠らせてくれないか……。


「……恵一、並行世界を移動してきたお前は身体に強い負担が掛かっている。我々常人はとは違う。動物の媒介やBCLラジオ改のような補助的な手助けがあっても身体を痛めつけるんだ。無理をせずしばらくじっとしていなさい」


「ねえ、親父、彼女っていったい誰なの?」


 睡魔に引き込まれそうな意識を必死で繋ぎとめる。眠りに落ちる前にどうしても聞いておきたい衝動が突き上げてきた。後ろから抱きすくめられるような格好でいるとまるで幼い子供に戻ったみたいだ。親父の無精ひげが頬にくすぐったいな。


「その特別な人の名前は恵一の良く知っている女性だ。お前が眠る前にそれだけは話しておきたかった」


 自分が良く知っている女性……!? 次第に意識が遠のいていく僕の耳元に親父から驚くべき言葉が届いた。


「……その女性の名前は二宮藍にのみやあい。そして彼女はいまも生きている」



 次回に続く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る