桜祭り

香月かつき先生には本当に驚かされっぱなしですよ。俺みたいな凡人にはとても今回の計画は思いつきません……」


 隣で梱包こんぽうをする手を動かしながらさとしがしみじみとした口調でつぶやいた。楽園パラダイスの増築部分にある親父の書斎兼研究室に僕たちはいた。


「聡くん、と天才は紙一重だと昔の人はよく言った物だよな。まさに親父はその例えにぴったりだ」


「俺たちの住む世界を構成するすべての事象には表と裏の答えが存在する。理詰めだけでは駄目なんですよね。……これも先生の講義の受け売りですけど」


「ははっ、あの売れない小説家だった親父様が理数科のある有名高校で特別講師をするほうが僕にとっては驚きなんだけどね」


 どこか他人事のような言葉を発してしまう。聡は怪訝そうに僕の顔を見つめていたが、すぐに我に返っていつもの柔和な笑顔を浮かべてくれた。


「恵一さん、香月先生の偉大な功績はそんなレベルじゃないです。俺の通う高校の特別講師で驚いてはいけませんよ。……そうだ、遅ればせながら直本なおもと賞の受賞おめでとうございます!!」


 聡がこちらに向き直った後、椅子から立ちあがって深々と頭を下げた。まいったな。この話題にはどんな顔をしていたらいいのか分からなくなるな。


「早くも実写映画化が決まったそうですね!! 主演はあの有名な俳優の……。ええっと」


「……蒼木圭一郎あおきけいいちろう


「おおっ!? その俳優さんです!! 恵一さん。何だかんだいっても香月先生の話題はリサーチ済みじゃないですか。そう、その大御所俳優の蒼木圭一郎が壮年期から晩年の主人公役で、若い頃の役者が誰になるかの予想もSNSを中心に話題になってますよ」


 ……しまったな。つい話題に反応してしまった。むこう側の世界線にいるころから親父によく似ている俳優ということで馴染みが深い名前だったんだ。蒼木圭一郎は僕がいた世界線ではすでに亡くなっている。往年の映画俳優で僕が生まれるはるか昔、撮影の休憩中にたまたま乗ったエンジン付きゴーカートの操作を誤って撮影所の壁に激突して帰らぬ人になったと聞いていた。


 その蒼木圭一郎がこちら側の世界線ではいまだに存命中で、まさか親父の小説の映画に関わってくるなんて本当に信じられない。


「……べ、別に。親父の話題を追っているわけじゃないよ。たまたまこの世界線で広告を見かけて名前を覚えていただけさ」


「いいんですよ、恵一さん。そんなに照れなくても。その映画化があったおかげで今回の計画が実行に移せそうなんですから。結果オーライじゃないですか。香月先生のそんな大胆な発案に俺はめちゃくちゃ憧れます!!」


 熱烈なファンが身近にいて親父は幸せ者だな。むこう側の時間軸とはまるで衣服のボタンの掛け違いのように様々な事象が分岐しているんだ。今回の親父を例にとれば職業の小説家はどちらの世界線も同じだ。そして執筆した作品群も同じ。その中の代表作である【鐘ヶ淵かねがふち梵鐘ぼんしょう】は去年の直本賞に選ばれなんと映画化までこぎつけた。実の父親である親父を持ち上げるわけではないが、作品の持つポテンシャルはでも同じだったはずだ。そう、わずかなきっかけがあれば世間に認められ、今回のようなヒット作に繋がるということを僕は思い知った。


 それは何も親父の小説に限ったことじゃない。小さな事象が物事の大きな変化に繋がるバタフライエフェクトという有名な言葉がある。人生の分岐点で選ぶ行動を変えれば未来は変えられる。ごくあたりまえのことを言っているようだが今回、ふたつの世界線を移動して強く感じたのは僕というがこちら側の世界線に入ることにより決まっていたイベントに変化が生じたというまぎれもない事実だ。


 これまでの出来事を物語になぞらえるなら藍がすべての始まりと終わりとは以前考えた推論だ。僕の元々いた世界線での彼女との出会い、そして永遠の別れを経てこちら側にいたもうひとりの彼女が、いまと同じ満開の桜に彩られた太田山公園に突然、姿を現した。


 もうひとりの藍が今回の僕と同じ異物としての役割を持っていたとしたら? その異物を拒絶するかのごとく世界線という名の傷ついた身体を修復するために見えざる神の手の力が働いたと仮定したらどうだろうか。


 ふたつの世界線で起きるすべての事象は異物の混入によってルートの書き変えが可能だ。それこそが相互関係を持っているあかしに他ならない。そこにかすかな希望を僕たちは見出したんだ。


 あいの行方についても、さくらんぼの件についても。どちらも心が押し潰されるような悲しい出来事だ。昨日藍の部屋で僕が最初にとった行動のように現実から目を背けてしまえば楽かもしれない。だけど悲劇的な結末を真逆の結果に変えられるとしたら……。


 さくらんぼが書いてくれたプロットのような結末。そんなひとすじの希望に僕はすべてを掛けてみたい。


「……恵一さん。今回の計画の準備は終わりました。忘れ物がないか梱包した箱の封を閉じる前に最終チェックをしてください」


「聡くん、きみはやっぱり出掛ける前の口ぶりまで藍に似ているな。よく小学生のころ注意されたよ。恵一君は最後の詰めが甘いって。大事な遠足に忘れ物をしたりするのが自分には多かったからね」


「そう言われるのは喜んでいいのかどうか悩みますね。ここだけの話、藍お姉ちゃんはけっこう家では俺には厳しいんですよ。子供のころから口うるさく言われて感化されちゃいました」


 聡の表情が複雑な色に陰る。彼の中でも行方不明になっている藍の存在が大きいと感じさせる。


 ……今回の計画は決して僕だけの問題じゃない。


「太田山公園で毎年行われる桜祭りの会場が計画の決行場所か……。そういえば藍といつか一緒にお祭りに出掛けようって話していたんだ。こんなかたちで訪れるなんて夢にも思わなかったよ」


「恵一さん……」


「おっと聡くん。湿っぽい表情かおは藍を救い出してからにしよう」


「はい、そうですね。こんなところで泣いてたらまた姉貴に叱られます。恵一さん。絶対に計画を成功させましょう。……あっ、俺は肝心な物を箱に入れ忘れました。は持ってますよね。香月先生の車の中でこの充電ケーブルを繋いで念のためにバッテリーを満充電にしておいてください」


「ああ、もちろん忘れないさ」


 僕は親父のもうひとつの大切な仕事であるジャンク品の部品パーツで雑然とした机の上に不似合いなピンク色のポーチを置いた。白い縁取りの部分は経年で色褪せているが、長い間大切にしまい込んでいたのか劣化は極めて少ない。


 ――藍の宝物だった携帯ゲーム機。


 これが僕のお守り代わりだ。だけどそれは願掛けの意味合いだけじゃない。今回の成功のキーアイテムともいえる存在にそっと指先を触れた。


 次回に続く。


 

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