異なる記憶

「……恵一けいいちお兄ちゃん、もう大丈夫だからこっちに来て」


 いきなり妹の部屋のドアが開いた。階段の踊り場で待機していた僕は慌てて自分の部屋の入り口に半身を隠すが、妹のさくらにバッチリその姿を見られてしまった。


「フギャアッ!!」


 部屋の片隅で寝ていた我が家の愛猫ムギがこちらの動きに驚いたのか、鳴き声を上げながら飛び出してきた。


「いちいち部屋に隠れなくていいよ。お兄ちゃんが心配なのは分かってるから……」


 まいったな、妹にはすっかりお見通しのようだ。


あいの様子は!?」


「今は私の部屋のベッドで眠ってるけど、かなりショックを受けていたみたい……」


「……そうか、仕方が無いよな」


 僕、香月恵一は、七年前に亡くなったはずの幼馴染み、二宮藍にのみやあいと再び会うことが出来た。にわかには信じられないが、この世に存在しないはずの彼女には今日までの記憶があり僕ともあの太田山公園で会っていたと語る……。


「恵一お兄ちゃん!! 桜が納得出来るように説明して。ショックで寝込みたくなるのはこっちのほうだよ。藍お姉ちゃんが生きていたなんて……」


 桜が、くしゃっと自分の前髪を手で掻きむしる。子供の頃から、感情が押さえられない時に良くやる癖だ。綺麗に揃えられた、ショートボブカットの先端が左右に揺れる。


「……実は僕にも良く分からないんだ」


「はあっ、何それ!? 全然説明になってないんだけど」


「満開の櫻の下に亡くなったはずの彼女が現れて思わず錯乱した僕は、これは何かのドッキリか? サクラや美人局なのかと思わずカメラを探しても、見つからなくて、慌てて妹の桜に相談しているんだ……」


「ああああっ、サクラサクラうるさいっ。馬鹿お兄っ、絶対に私をからかって楽しんでるんだぁ!!」


 桜が本気で泣いてしまうと困るので趣味の悪い冗談はやめておこう。ヤバいな、僕の精神状態もギリギリみたいだ。 こんな軽口でも言わなきゃとても平常心を保てなくなっている。


「……桜、お兄ちゃんが悪かった。許してくれ。だけどこれだけは言っておきたい。信じられないかもしれないが、あの頃より成長しているが彼女は本物の藍なんだ」


「えっ……!?」


 桜はしばし考えこむ素振りをみせ傍らのベットに寝ている藍の顔に視線を落とす。軽い寝息を立てながら眠る彼女の姿を僕達は無言で見つめていた。


「恵一お兄ちゃん、でイイよ」


「えっ桜、突然何を言い出すんだ!?」


「だから私のこと、子供の頃みたいにさくらんぼって呼んでイイから……」


 頬を文字通り桜色に染めながら妹は、か細い言葉を絞り出した。


「お前はそのあだ名で呼ぶなっていつも激怒してたじゃん……」


「そ、それは事情が変わったから。恵一お兄のふざけた早口言葉を聞いて、懐かしいなと思ったから……」


 妹の桜が耳まで真っ赤にする理由わけは分からなかった。子供の頃、僕と藍、そして妹の桜で遊んだ記憶が蘇ってくる。



 *******



『桜、今日からお前のあだ名はさくらんぼな!!』


『ええ~~!? やだよ、お兄ちゃん、さくらんぼなんて……』


『いいから、そう呼ぶって決めたの!! ほら練習な、さくらんぼっ!!』


『うええ~ん、お兄ちゃんがいじめるよぉ。藍ちゃん助けて』


『恵一くん、桜ちゃんが可哀想だよ。勝手にあだ名を決めるなんて……』


 僕を非難する藍を尻目に妹のあだ名を勝手にさくらんぼと命名した。いま思えば子供っぽい遊びの一環なのかもしれないが、これまで幼馴染として付き合いの長い藍に対して、気軽にあだ名で呼べない自分へのいらだちを妹にぶつけ、身代わりとしてしまったのかもしれない。


 そうだ、初恋の彼女にあだ名をつけるなんて当時の僕には恥ずかしくて出来なかった……。

 



 *******



「……これからは昔みたいに藍お姉ちゃんと仲の良い三人組に戻れるかもしれないし、さくらんぼってあだ名も懐かしくて結構悪くないかな、って思えたんだ」


「お前、この不可思議な状況に適応するの速くないか!? もう藍の存在を信じてくれるのかよ……」


「適応するも何も私はこの目で見たことしか信じないよ。現に藍お姉ちゃんは私達の前に戻ってきた。これはまぎれもない現実だから」


「……お前って強えのな」


「強いだけじゃないでしょ。強くて可愛いさくらんぼ、って言って!!」


「分かったよ、強くて可愛いさくらんぼ!!」


「よし、合格ぅ!!」 


 妹が最近、推している女性アイドルの真似をして、親指をサムズアップしておどけたポーズを決めた。藍が亡くなって生きた屍みたいになった僕の七年間。いつも隣で励ましてくれたのは妹の桜だった……。 


 いや今日からの呼び方はさくらんぼだな。お前が妹で本当に良かったよ。


「……ありがとな、さくらんぼ」


「け、恵一お兄、急に真面目にならないでよ。もう調子狂うなぁ、ふうっ!! 落ち着け私……」


 何で急にキョドってんだ。変な奴だな……。


「……まずは藍お姉ちゃんが目を覚ましてからだけど、今、何時?」


「午後六時前だけど何で時間なんだ。さくらんぼ」


「よし! 充分間に合うよ。君更津きみさらずアウトレットパーク行きの直行バス」


 アウトレットパークぅ。こんな非常時に呑気に買い物でもする気か?


「アウトレットパークってお前、ほぼ服しか売ってないだろ。藍の謎を調べなきゃいけないのに何考えてんだよ。さくらんぼ!!」


「藍お姉ちゃんの謎を調査するから行くのよ。女の子を分かってないな、恵一お兄ちゃんは」


 さくらんぼの言ってる意味が分からない。君更津アウトレットパークと言えば、大手ゼネコンが開発した巨大ショッピングモールだ。東京湾アクアラインの恩恵もあり他県からの来客も多い。さくらんぼの買い物に付き合って、たまに出掛けるが、女性向けの服飾ブラント店が多くファッションにあまり興味が無い僕には退屈でしかない場所だ。


「う、ううん……」


「あっ、気が付いたみたいよ!!」


「藍、大丈夫か!?」


 ベットで寝ていた彼女の意識が戻ったみたいだ。まばたきを繰り返す視線の先は部屋の天井を見つめている。そして枕元で顔を覗き込む妹のさくらんぼに気がついた様子だ。


「……さくらちゃんなの?」


 とても信じられないという表情だ。さくらんぼとは久しぶりの再会だから。成長している妹を見てきっと驚いているのかもしれない……。


「藍お姉ちゃんは私のことが分るの!!」


 さくらんぼも感極まって涙ぐんでいる。満開の桜が咲きほこる公園で僕もそうだったから再会出来て嬉しい気持ちがとても理解出来る……。


「恵一くんの妹の桜ちゃんよね。びっくりしちゃった。何かあったの? 絶対に髪の毛は切らないって言ってたのに……」


「藍お姉ちゃん、何言ってるの。私は髪の毛なんか切ってないよ。最近はずっとショートのままだけど、まだショックで頭が混乱してるの?」


 さくらんぼの表情が強張った。何かがおかしい。彼女の家のこともそうだ。亡くなってから七年間、彼女に一体何が起こっていたんだ……!?



 次回に続く。


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