四月一日

「分かった!! 今日は四月一日、エイプリルフールね。あい、恵一くんと桜ちゃんの作戦にまんまと引っ掛かっちゃった。でも私を騙す為に大事な髪の毛まで切るなんて……」


 意識を取り戻した藍の様子がおかしい。妹のさくらんぼを見据えているが、目の焦点が定まっておらず、顔から血の気が引いて紙のような白さだ。


「藍、大丈夫か!?」


「藍お姉ちゃんっ!!」


 さくらんぼがベットに腰掛けて心配そうに声を掛けるが藍の反応はない。うわごとのように何かを繰り返して呟いている。

 

「私の家が消えちゃったのも何かのトリックだよね。お願い、恵一くん、そうだと言って!!」


 藍の視線の先には窓があり彼女にとって信じがたい景色が映っているに違いない。さくらんぼの部屋の窓からは更地になった隣の空き地しか見えないはずだから。思わず彼女に向かって悲痛な言葉が漏れる。


「……藍、ごめんよ、嘘だったらどれだけ楽だろう。四月馬鹿エイプリルフールだから、きみを騙したって……」


 僕は本当に自分勝手だ。奇跡が起こって藍が生き返ったと脳天気に喜んでいた。他人のそら似や瓜二つとかじゃなく本物の彼女が僕の前に現れたことに。


 けれども藍は、僕の知らない何処かで亡くなったはずの七年間を過ごしていたと仮定したらどうなる。さくらんぼの髪型が違うと言ったり、家が無くなったと激しく取り乱したのが何よりの証拠だ。そう考えれば全てが腑に落ちる。


「……藍、さっき家の前で言いかけたことを全部話すよ」


 、駄目だ、こんな飾った言葉を使うな。


 二宮藍は平成二十七年四月一日に間違いなく死んだんだ。本当に四月馬鹿エイプリルフールならどんなに良かっただろう……。


「きみは小学四年生の頃、君更津中央病院に入院していたんだ。一時退院で自宅に帰っていた日に僕は先生に頼まれて、たまった宿題のプリントを届けに行ったんだ。きみはその翌日に……」


「やめて!!」


「……さくらんぼ!?」


「恵一お兄ちゃん、それ以上は言わないで!! お願いだから、藍お姉ちゃんをいじめないで……」


 さくらんぼが僕の言葉を遮る。


【藍お姉ちゃんをいじめないで……】


 子供の頃の記憶が鮮明に僕の脳裏に蘇ってきた。



 *******



『こちらは君更津市役所です、午後四時半になりました。子供達は気をつけておうちに帰りましょう……』


 夕刻を知らせるチャイムと共に、市の防災行政無線が流れる。傾いた夕日がお堂の境内を照らす。墓石の作った長い影が向かいに立ち並ぶお地蔵様の頭まで伸びる、その影をハードルに見立てて、僕は幅跳びの要領でぴょんぴょんと影踏みをする。


『あ~!? 恵一お兄ちゃん、お墓の影を踏んだらバチが当たるよ」


 小学生の頃、僕達の定番の遊び場は近所にあるお堂だった。お堂と言っても、その辺りの共同墓地も兼ねたこじんまりとした物だった。僕達の家から歩いて数分で行けて、鬱蒼とした木々に囲まれた真ん中には、地区の集会場の建物もあり、先祖代々我が家が管理を任されている関係で、集会場には自由に出入りも出来て、僕らにとっては絶好の秘密基地だった。雨の日でも六畳間程の畳敷きの室内に、少ないおこつかいで買った駄菓子や、当時小学生の間で流行っていた携帯ゲーム機を持ち込んで僕達三人は放課後を過ごしたんだ。


『うっさいな、さくらんぼは。田舎のおばあちゃんみたいなこと言うなよ。迷信だよ、バチなんて当たりっこないし……』


『そんなこと言って。ねえねえ藍ちゃん、良くないことだよね?』


『う、うん、恵一くん、私もいけないと思う……』


 さくらんぼに促され、藍にまで注意されてしまう。多勢に無勢だ。すぐ徒党を組むから女は嫌いなんだ……。


『分かったよ、どうせ僕が悪いんだろ……』


『恵一お兄ちゃん!! 悪い癖だよ。話は遮らないで最後まで聞くって、すぐ被せてきて、本当に口だけで反省していないんだから』


 さくらんぼは妹のくせに生意気だ。僕が親に言われたことをすぐ真似する。口では敵わないので、腹いせに手に持っていたサブバックを振り回して、さくらんぼをちょっと脅かしてやろうと思った。もちろんぶつけない距離だ。サブバックが勢いよく虚空を切るはず、だった……。


『きゃっ、痛っ!!』


 ……重い手応えがあった。ランドセルに入らない教科書が詰まったサブバック。妹の隣に立つ藍の肩に思いっきり当たってしまった。そのまま軽い音と共に倒れ込む、彼女のワンピースの白さが僕の目に焼き付いた。ぞわぞわと胸にこみ上げてくる罪悪感に押しつぶされそうになる。


『……あ、藍、わ、わざとじゃないんだ』


『藍お姉ちゃん!!』


 転んて地面で擦りむいたのか、膝小僧から血が出ている。僕が藍を傷付けてしまった……。


『……!?』


 藍がただの幼馴染みから大切な幼馴染みに変わった瞬間だった。今までまったく異性として意識しなかった彼女。陶器のような白い肌に傷を負わせた罪悪感からじゃない。このタイミングは不謹慎かもしれないが、自分に嘘はつけない。藍を愛おしいと想う気持ちに……。


 (僕は藍が好きなんだ……)


『恵一お兄ちゃんひどいよ、私の言葉に逆切れして八つ当たりするなんて。お願いだから藍お姉ちゃんをいじめないで……』


『桜ちゃん、恵一くんを責めないで。私がぼうっとしてたからいけないの……』


『違う、藍お姉ちゃんは全然悪くないよ。悪いのはいじめっ子のお兄ちゃんだ。罰としてお姉ちゃんを家までおんぶして帰って!!』


 僕がおんぶって、藍が嫌がるんじゃないか?


『藍お姉ちゃん、ごめんなさい!! 私がそばにいたのに。守ってあげられなくて……』


 何でさくらんぼが謝るんだ。まるで自分がやったみたいに、怪我をさせたことに、泣いて謝らなきゃいけないのは僕だ。


 お前は昔から藍のことが大好きだったな。お姉ちゃん、お姉ちゃんって慕って。

 それは今の変わらない……。



 *******



「……藍お姉ちゃん、落ち着いて聞いて貰えるかな。恵一お兄ちゃんと私はずっとお姉ちゃんの味方だよ。それだけは何があっても変わらない。だから私たちを信用して」


 動揺している藍の手をしっかりと握りしめ、さくらんぼはゆっくりと呟く。


「藍ちゃんのいた場所の話を聞かせて。ショートカットじゃない私のことも……」


 さくらんぼも何か気付いている。藍が四月一日以降も生きていた場所のことを。


「……取り乱したりしてごめんなさい。私も二人とゆっくり話したい」


 しばし考えた後で、やっと気持ちの整理が付いたのか、藍は鞄から何かを取り出した。携帯電話? いや似ているが違うぞ、何だ、この機種は……。


 二つ折りのガラケーに似ているが、見たこともない形状だ。二枚の小型タブレットを重ねたように見えるが、僕の知らない最新型なんだろうか……。


「二人とも、これを見てくれるかな」


「こ、これはどういうことだ!?」


 藍が見せてくれたのは、携帯の液晶画面だった。そこに写し出されていた画像は……。


「……私の髪型がショートカットじゃない!?」


 流れるような長い髪のさくらんぼが藍と並んで、にっこりと微笑んでいる画像だった……。



 次回に続く。

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