革の首輪

「藍お姉ちゃんとお買い物出来て楽しかったな……」


 さくらんぼがぽつりとつぶやきをもらす。その手にはブランド名の入った手提げ袋が、大事そうに抱えられていた、藍も同様の物を両手に持っている。その手提げ袋の多さから鑑みてさくらんぼが目的にしていた買い物はランジェリーショップだけじゃなく、アウターも同時に買いそろえたみたいだな。


「桜ちゃんの見立てが良かったからあまり悩まずに決められたね。まるで店員さんみたいにどんどんお洋服を選んでくれたから楽だったよ」


「本当は藍お姉ちゃんにじっくり試着して貰いたかったけど、今日は時間が限られていたから、急がしちゃったみたいでごめんね……。 だって二軒目の店員さんの対応があまりにも悪かったから頭に来ちゃって私が替わりに選んだんだよ」


「……桜ちゃん、その件はもうよそうよ。きっと私の声が小さすぎて店員さんに聞こえなかったのかも知れないから」


「さくらんぼ、店員さんの態度っていったい何があったの?」


 さくらんぼが大好きなショッピングに来て機嫌が悪くなるなんていったい何があったんだろう。僕の知る限りではこのアウトレットモールの店員スタッフは社員教育も行き届いており、失礼な接客など考えられないのだが……。


「恵一お兄ちゃんも聞いてよ!! 二件目のショップで藍お姉ちゃんが気に入ったワンピがあったから、試着を店員さんにお願いしたのにガン無視されたんだよ、それも一度だけじゃなく二度もお姉ちゃんの前を素通りして本当にヒドいよね!!」


 ……藍の声がけが店員さんに無視されたって? 確かに彼女の声は、か細く感じられるが近くにいて聞こえない程ではない。


「そんなことがあったのに良くその店で買ったな、さくらんぼ、その後どうなったの?」


「私がでっかい声で、試着っ、いいですか!! って言ったら店員さんとてもビックリしてたよ、それよりも藍お姉ちゃんにお似合いだったんだ、そのワンピ、すっごく可愛いんだから。お兄ちゃんが見たら確実に鼻血もんだよ♡」


「さ、桜ちゃん!! 恥ずかしいよ、それに恵一くんが困ってるし……」


 慌ててさくらんぼに抗議をしようとするが、その両手に抱えられた手提げ袋が邪魔してるみたいだ、多分、その紙袋の中にお気に入りのワンピースが入っているんだろう。


「藍、僕が荷物を持つよ、貸してごらん……」


「……えっ、恵一くん!?」


 ひょいっと、横から手を伸ばして買い物袋を持って上げようとした瞬間、柔らかな指先に偶然、触れてしまった。驚いてこちらを振り向く彼女、天使のような白い肌が桜色に染まる。きゅっと真一文字に結ばれた柔らかそうな唇を見てこちらの鼓動が高まる、僕はまるで指先まで心臓になった錯覚に捕らわれてしまう……。


「……あ、ありがとう」


「……ああ、大丈夫だよ」


 ……お互い妙に意識してしまい、その場で黙り込んでしまった。再会することが出来たあの桜が満開の公園で彼女は僕の胸に飛び込んできた。二度と触れることは出来ないと諦めていた幼馴染み、僕の願望が作り出した幻と思っていたから現実感が無かった。


でも今は違う、偶然触れた手のぬくもり、バスの座席で肩を寄せ彼女の薄桜色のワンピース越しに感じた体温、そしてベンチで見た夢がフラッシュバックする……。


 夢なんかじゃない、藍は僕の前にはっきりと存在している。これは紛れもない事実だ、それがたまらなく嬉しかった。


「……お二人さん、そろそろいいでしょうか、もうひとりの可愛い女の子の存在を忘れてはいません?」


 さくらんぼが僕達を一瞥しながら歩み寄ってくる。そして腕組みをしながら大きく溜息をついた。珍しく妹のツッコミのタイミングが遅いのは僕に気を遣っている証拠だろう。


「イチャイチャするのは家に帰ってからにしてね」


「さ、桜ちゃん、私はイチャイチャなんてしてないよ……」


「もうひとりの可愛い女の子っていったいどこだよ、さくらんぼっ!!」


「危うく私も甘々なラブコメ空間に引き込まれそうになったじゃん。二度と今の世界に戻って来れなくなったらどう責任取るの、恵一お兄ちゃん!!」


 ……二度と今の世界に戻って来れない!?


 何気ないさくらんぼの軽口に、僕は急に胸騒ぎを覚える。そして上着のポケットの中で例のメモを指先で探り当てた。このアウトレットパークでの買い物を終えたら、僕はメモの内容を藍に告げなければならないんだ。


 彼女を傷つけたくない、何があっても守るとバスの中でも約束した。出来ればこのままでいられたらどんなに楽だろう。昔みたいに三人で過ごせる幸せな時間に身を委ねていたい。


 だけど僕は……。


「うわあっ!! 可愛い」


「何、このモフモフは!?」 

 

 急に女の子二人がにぎやかな声を上げながらモールの通路を駆けだした。目の前の広場にある時計塔の針はすでに午後八時を廻っていた。広場の中心には様々な露店があり、その中でも一際可愛らしい飾り付けの店に興味を惹かれたようだ、白い壁に紺の屋根、革製品の小物を扱う店だ、しかし人が着けるには随分変わった形だぞ。


「ええっ、これ全部、ワンちゃんネコちゃんの首輪なの、可愛い!!」


「藍お姉ちゃん、この子、モフモフだよ、看板犬かな!?」


 女の子二人のテンションが上がる、どうやら犬猫用の首輪専門店みたいだぞ。オーダーメイドみたいで愛犬、愛猫に合わせて作れるようだ。店の前の椅子に腰掛けて革細工をしている男性が店主さんだろう。


「すいません!!、この子、触っても大丈夫ですか?」


 さくらんぼが店主さんに声を掛ける、お店の脇にリードで繋がれた栗色のプードル犬、当然ハンドメイドの首輪とお揃いのサンバイザー。モフモフの毛並みはまさに生きたぬいぐるみそのままだ。


「構いませんよ、名前はショコラって言います」


「うわっ、ショコラちゃんかあ、可愛い名前ですね。こらこら、舐めちゃ駄目だよ!!  ねえ、藍お姉ちゃんも抱っこしてみれば?」


 優しそうな店主さんだな、やっぱり革細工をする職人さんってどこか格好良く見えるな。


「触ってみても大丈夫かな、怖がらないでね……」


 藍がゆっくりとワンちゃんの頭に手を伸ばした……。



 次回に続く。

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