【覚醒予兆】第5話 間近に迫る鬱の足音

 束の間の眠りから目覚めた。


 束の間…


 時刻は午前3時19分


 日付は1月5日だ。


 あれから、半日、寝ていた。


 昼夜は逆転しているが…


 どうして目覚めたのか、何の目的で目覚めさせられたのか、分からない。


 死神を見たのは確かだ、覚えている。


 雷光を怒涛の如く光らせる暗雲に包まれた竜


 それが死神、鬱の正体だ。


 いや、化身かもしれない。


「奴は15年前のうつ病を移植しやがった。」


 俺は苦虫を噛み締めるよう、そう毒吐くと、ベットから起き上がり、ベットサイドの煙草を手探りに漁った。


 そして、煙草に火を付け、暫し、紫煙を深く吸い、次なる展開に待機した。


 部屋の中は真っ暗だ。エアコンも動作していないようだ。


 部屋の電気を付ける気にはならない。


 次なる展開の開始に水を差すように感じたからだ。


 煙草を一本吸い終わった時だった。


 例のパニックが始まった。


 誰かの手が喉元に食い込むように、呼吸がし辛くなり、心臓の鼓動とこめかみの脈が慌しく音を立て始め、額に脂汗が滲み出した。


 俺は自衛的に目を閉じた。


 しかし、それが却ってパニックを助長させてしまった。


 何か焦る。何に焦るか分からないが、何かから無性に逃げたくなる衝動が胸の内からマグマのように沸々と湧き上がって来た。


 俺はたまらず起き上がり、部屋着を脱ぎ捨て、北窓を開けようとした。


「窓を開けないで!」


 また、あの声が脳裏に響く。


 誰かがそれを阻止しようとしている。


 俺はその声に従い、窓を開けず、部屋の中央に立ち止まり、深く深く深呼吸をした。


「駄目だ!」


 無性の焦りは治らない。


 段々と気が狂いそうになる。


 発狂しそうになる。


 大声を上げたい。暴れたい。


「何故だ!どういう身体的病状なんだ?何がどうなっているんだ!」


 俺は近代的、医学的な根拠をこの状態に当て嵌めようとした。


「駄目だ!パニックが助長する!」


 冷静になろうとすればする程、焦燥感は加速して行く!


 俺はたまらず、洗面所に行き、冷水で顔を洗った。


 一先ず焦燥感は治った。


「あの時の症状に似ている…」


 この症状は初めてではなかった。


 うつ病を患う前、頻繁に発症していた閉所恐怖症の病状に似ていると思った。


 俺は20歳代後半、突如、閉所恐怖症を発症した。


 それは、親戚の引越しの手伝いでトラックの荷台に乗っていた時のことである。


 4トントラックの荷台だ。


 荷卸しを終え、空になった荷台に数人で乗り込んだ。


 荷台の中は密閉され、真っ暗だった。


 そこには、確か2、3人が乗り込んだと思う。誰が乗っていたか、全く記憶がない。


 トラックが発車し、暫く経った時であった。


 急にだ。今日と同じような焦燥感が湧き上がって来た。


「無性にこの場から出たい!」


 そんな衝動感だ!


 初めのうちは、他人に遠慮し、俺は声を発する事なく我慢していた。


 しかし、段々と発作のように、頭が狂いそうになった。


「二度とここから出られないかもしれない!」


「ここで生き埋めになる!」


「棺桶だ!生きたまま埋められる!」


 そんな強迫観念が脳裏を駆け巡った。


「降ろせ!降ろせ!」


 遂に俺は大声を上げ、荷台のドアを力一杯、蹴り始めた。


「どうしたんだ!落ち着け!」


 誰かが慌てて俺を押さえようとする。


「俺に触るな!早く降ろせ!」


 俺は辺り構わず大声で怒鳴り続けた…


 それからというもの、バス、電車等、狭い所に居ると、「二度とそこから出られない。」といった強迫観念に駆られ出した。


「閉所恐怖症のパニックに似ている。」


「どうして今更…」


 そう思った途端、俺は凍りついた。


 閉所恐怖症のパニック障害がどうして治癒したか!



「そうだ!鬱が来て、治ったんだ!」


 40歳で強烈なうつ病を発症した途端、閉所恐怖症のパニック障害は嘘のように発症しなくなった。


 鬱状態で狭い暗闇に身を置いてもパニックにはならなかった。


 当然だ。


 重度の鬱だ。パニックになる気力などあるはずがない。


「そっか、パニックは鬱の前兆だ。確実に鬱が来てる…」


 俺は改めて了知した。


 どうして、この数日、パニック障害を発症しているのか、確と了知した。


 そして、これから起こり得る鬱の恐怖に覚悟した。


「もう、逃げられない。また、あいつと闘わないといけない…」と




 

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