【覚醒】第22話 本当は、ずっと待ってた…
男は次の日も抗うつ剤4錠「1000mg」を服用した。
結果、「怒り」の蘇生手段としての効果は的面であり、1年前まで多量摂取していた時の感覚が少しづつ戻ってくるのを感じた。
何が変わってくるのか
目覚めた時の「眼」の感覚であった。
瞼が開かれた瞬間、眼球が熱く、充血している感があった。
眼球は全く動かない。
所謂、「目が座っている」感覚である。
男は、数分間、瞬きもせず、天井の一点を睨み続けていたが、何に「怒り」を覚えていたのか、分からなかった。
すると、夢の記憶が遅れて駆け寄って来た。
追い着いた夢の記憶は、天井をスクリーン代わりに、怒涛の如く、「過去の怨念」を映写し始めた。
女に捨てられた屈辱の20歳、そして妥協の結婚、忖度と胡麻刷り野郎が群がる会社組織、出来高レースの出世争い、ご都合人事の犠牲としての家族離散、そして家族崩壊と死別、度重なる精神疾患、牙を剥いた後の報復人事、そしてリストラ解雇などなど、
全く持って良い事の微塵もない人生の縮図が一枚一枚、証拠写真のように映し出された。
男は夢と眼球に「怒り」のエネルギーが備蓄され始めた薬の成果に満足した。
男は起き上がり、洗面所に行き、粉々に破れ散った洗面鏡の残存欠片で自身の眼を覗いた。
予想どおり、男の眼は真っ赤に充血し、黒い瞳を囲む白眼には筆で書いたように赤い血管が曲線を描いていた。
ひとしきり、「怒り」の眼を睨み続けた後、男はスマホを取り、電話を掛けた。
「昨日、受診した。〇〇です。昨日頂いた薬、帰宅途中に落としてしまって…、それで、代わりの薬、貰いに行きます。」と
そうである。
男は「250mg」抗うつ剤の買い溜めに入ったのだ。
「過去の怨念」
自分を裏切った女、自分をこき使い、ゴミを捨てるように解雇した会社、その背景にある上層社会、はたまた、成功者が溢れる世の中、その全てへの復讐
そう、この復讐を行うための「怒り」の元素は、1日「1000mg」の摂取を継続する必要があり、1か月「250mg」の30錠では、到底、足りない。
1日「1000mg」の摂取を連続的に行い、「怒り」の沸点を加速させる必要があった。
「分かりました。先生に伝えておきます。何時ぐらいにお越しになります?11時ですね。かしこまりました。」
若い受付の職員は、何の疑問も抱く事なく、電話を切り、診断室に報告に行った。
「失礼します。昨日、受診された〇〇さんから電話がありまして、薬を失くしたので、今日、貰いに来るそうです。」
診断室に居た医師夫婦は、驚いた。
「何時に来るんだ!」と医師は慌てた。
「11時です。」
今は、丁度、10時であった。
医師は予想だにしない展開に困惑し、黙り込んだ。
女が職員に言った。
「薬の処方の準備をしておいて。」と
その時、医師が声を荒げ、
「お前が指示などするな!」と
女は毅然と医師に言った。
「薬を失くしたんですよ。出さない理由が何処にあるんですか!」と
医師は更に声を荒げ、
「余計なことを言うな。医師は俺だ。俺が決める!」と
女は椅子を立ち、職員を伴い診断室を出て行った。
診断室のドアが閉まると、医師は両手で頭を抱えた。
「薬を失くした!嘘に決まっている!奴の狙いは何なのか?やはり、妻に会いに来るのが目的なのか?」
医師は電話で受付に指示を出した。
薬は処方しておき、診断は不要と。
そして、妻に診断室に直ぐに戻るようにと。
女は診断室に戻り、所定の椅子に腰掛け、黙り込んだ。
医師は妻の方を見ることなく、こう言った。
「薬を失くしたなどと言う患者、今までいたか?居ないだろう?相変わらず変な奴だ。」と
女は思った。
「あの人のこと何も知らないくせに!この人は、あの人を怖がってる。昔と一緒だわ。」と
そして、こうも思った。
「あの人、何か考えて、此処に来るのよ!私への仕返し…」と
男は501号室を出た。
実家に寄り、庭越しのガラス戸から母親だけを呼び、金を無心した。
母親は何に使うのかと尋ねた。
男は部屋の鏡が割れたので、代わりのものを工面する為と言った。
金を貰うと男は病院に向かった。
今日はタクシーを拾わず、歩いて向かった。
男の脚では30分以上は掛かる道程だった。
予定の10分前に男は病院に着いた。
エレベーターに乗り、自動ドアを開き、男は受付に直接行き、薬を貰いに来たと言った。
受付の職員は、既に用意しておいた薬を渡した。
男は薬を貰うと、受付の台に一万円札を放った。
職員は慌てて一万円札を拾い上げ、急いで会計を済ませた。
男は貰うものを貰うと、さっさと病院を後にした。
男の滞在時間は、ほんの5分程であった。
11時になった。
女は診断室の患者を送り出そうと椅子を立った。
そして、男の顔を一目見たいと、いつもより、早足でドアに駆け寄った。
その様子を見た医師が、患者と急に余談を始めた。
いつも診断を終えると、素気なく患者を無視する医師が、あからさまに、女の魂胆を邪魔しに掛かった。
女は「きっ!」と医師を睨み、ドアの前で立ち止まった。
医師は余計に5分は患者と話し込んだ。
流石に患者が席を立ち、帰ろうとした。
それを見た女は、急いでドアを開け、待合室に視線を配らせたが、男の姿は無かった。
女は時計を見ると、11時10分前であった。
女は患者を待合室に誘導し、その足で受付に行き、男がまだ来てない事に一分の望みを抱いたが、受付から予定より早く来て、直ぐに帰ったと教えられた。
「あの人、私のこと、本当に忘れているのかも…、私に会いたいなら少しぐらい待合室に残っても…、私への仕返しなんて、おこがましかった…」と内心うなだれてしまった。
女は落胆し、診断室に戻り、男との接触、患者との接触を拒否する、夫であり医師である、この臆病者で無責任な男に軽蔑の眼差しを向けた。
そして、女はこの男と同室で同じ空気を吸うのが息苦しくなり、診断室を出て、受付に行った。
医師は自身のした女々しい猿芝居への恥もあるのか、女に何も言わなかった。
女は受付の診断票の整理を行おとした。
その時、再処方と赤字で書かれた処方箋の控えが紛れていた。
男のものであった。
その処方箋の右上余白に携帯電話番号が走り書きされていた。
女は男のものだと思った。
職員が本人確認の為、受話器のディスプレイに表示された電話番号を書き写したものであると思った。
女に今まで考え付かなかった大胆な考えが浮かんだ。
「あの人に電話してみようか…、せめて、メールでも…」と
女はどんな内容を男に伝えるかは二の次に、急いで走り書きされた携帯番号を自分のスマホに入力し、登録した。
そして、女は何食わぬ顔し、診断室に戻って行った。
女はとても嬉しかった。
「あの人の電話番号が私のスマホの中にある!あの人と繋がった!」
そう思い、あの時に戻ったよう、胸がキュンと切なくなった。
その時、こうも悲しくなった。
「あの時代、携帯があれば…、私、待ってたの…、本当は、貴方をずっと待ってた…」と
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