【覚醒予兆】第3話 ユダヤとの比較

 1月4日午前3時22分


 俺は眼を覚ました。


 偶然にこの時間に目覚めたのではない。


 暗闇の部屋の中、頭上のエアコンが稼働している証として、ポツリと緑色の運転ランプを灯し、健気にも指定された6時間後に運転再開を始めていた。


 部屋の中は静かでエアコンが噴き出す温風音しか響いていなかった。


 どうも何事も起こっていなかった。


 死神も今日は来ていなかった。


 俺は拍子抜けの感がし、取り敢えず、煙草を咥えた。


 相変わらずベタついた髪の毛は痒く、口元の無精髭も煙草を吐く息に揺れるまで伸びていた。


 この所、毎日、パニック障害が続いていた。


 今夜が鬱の再来襲だと予想し、早めに寝て、目覚まし代わりにエアコンタイマーを朝方にセットしておいた。


 今のところ急場凌ぎの感はあるものの、俺の土俵で奴を迎え撃つといったシナリオどおりに事は進んでいた。


 夜明けまで2時間


 ここまで来れば、最悪、凌げる。


 俺は一先ず安堵し、暇潰しに昨夜から視聴中の映画「異端の鳥」を見ることとした。


「異端の鳥」


 第二次世界大戦中のユダヤ人の少年の悲惨な生き様を描いた問題作である。


 俺は鬱病を患ってから、挙って、ユダヤ人迫害をテーマにした映画・ドキュメンタリーを視聴している。


 理由は、俺より悲惨な状況下にある人々を感じることにより、今ある俺の苦痛を和らげようとするためである。


 カテゴリーは「絶望」


 先の見えない絶望


 理不尽な迫害、屈辱に直面し、家畜以下の扱いをされ、虫ケラのように絶命されたユダヤの人々


 この「異端の鳥」は、ホロコーストやゲットーといった強制収用所の場面は登場しないものの、人間が日常想像し得る全ての恥辱、屈辱が幼い少年に浴びさせられている。


 俺は夢中で「異端の鳥」を見続けた。


 そして、俺は感じた。


「何故、少年は生きようとする?何故、食べ物を盗んでまで食べようとする?何故、生きるために恥辱・屈辱に耐えようとする?」


「俺の鬱とは違う」


 そう感じた。


 俺の味わった鬱症状は、生きるための所為を一切行わない。


 食べることも、睡眠を摂ることも、全く欲しない。


 そう、「死」を怖がりながらも、「生」を拒否し、恐る恐る「死」に近づこうとする。


 極度の不安感と倦怠感が精神と肉体を支配し、生地獄さながら、じわじわと真綿で首を絞めるように徐々に徐々に苦しみを味合わせながら、人間自体を食い尽くす。


 これが鬱だ。


 このユダヤの少年みたいに、人間イコール動物の本能として生を欲することは皆無なのだ。


 ここで俺は愚かな比較考慮を始め出した。


「恥辱・屈辱の中、それでも生きようとする事と不安・倦怠の中、生きることに興味を失う事、どちらが苦痛なんだ?執拗と失望、希望と諦め」


 俺は簡単に答えを出した。


「鬱の方がキツいな。少年には一抹でも望みが見えてる。希望がある。動ける。鬱は違う。先が見えない。絶望しかない。動けない。生きた屍だ…」と


 丁度、その答えを出し切った頃、北窓が薄らと光色に変化した。


 曙光が射した。


 「曙光」


 暗黒の闇に初めて差し込む光


 太陽の初産


 汚れのない純粋な光


 うつ病患者なら誰もが感ずる光、それが曙光だ。


 何日も眠れない日々が続く。


 どんなに睡眠導入剤と睡眠薬を飲んでも眠れない。


 強いアルコールとそれら薬を同時に服用しても眠れない。


 脳が動き回る。


 脳が疲れを知らない子供のように動き回る。


 瞼の筋肉も限界に達し、自動シャッターのように下がる中、朦朧とした瞳は閉じない。


 顔面の筋肉がピクピクと引き攣る。


 そんな不眠地獄の中、曙光の瞬間、安心する。


 闇が去ったと安心するのだ。


 俺は15年前の不眠地獄を少々思い出した。


 そして、こう思った。


「二度と経験したくない。」と


 その瞬間、俺は「はっ」と思った。


 脳の奴が過去のトラウマを探しに行くのではないかと!


 脳は動かなかった。


「今日は大丈夫だ。曙光が射してる。死神は現れない。」と安堵し、


「1月4日午前6時26分、一晩、パニックも鬱も無し」と


 スマホのメモに記録した。

 

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