【覚醒】第24話 最初の標的は「裏切りの女」

 男はスマホをベットサイドに置き、徐に起き上がると「250mg」のカプセルを4個、器用に歯でカプセルを外し、1個づつ、丁寧にウイスキーのボトルに注ぎ込み、親指の腹を蓋がわりに2、3度軽くボトルを振った。


 抗うつ剤の白い粉がウイスキーに溶け込むように琥珀色の液体の中で浮遊している。


 男は一気にボトル一本をラッパ飲みで飲み干した。


 そして、空ボトルを壁に投げつけた。

 

 水分を含んだ湿った破裂音が不気味に鳴り響いた。


「電車に飛び込んだ人間の肉の破片だな」


 男はボトルの破片を見つめながら、薄気味悪い笑みを浮かべ、そう呟いた。


「腐れ女、あんな雑魚医者と結婚しやがって!腐れが!」と


 男は次に唸るように叫ぶと、上着を羽織り、501号室を出て行った。


 男は若干、酒に酔った感じがしたが、チンバを引く足取りに酔いは関係なかった。


 男はタクシーを拾った。


 男がタクシーに乗るなり、車内はアルコール臭が充満した。


 運転手は昼間から酒を浴びて乗り込んで来た、この薄汚い身なりの男に、最大限の注意を払った。


 更に行き先が「精神科・心療内科」と聞き、ルームミラーを除く勇気は消え失せた。


 男の眼は、恐ろしいほどに「座って」いた。


 一言の会話もすることなく、タクシーは10分足らずで病院に着いた。


 丁度、その頃、病院の診断室では医師と女が険悪な雰囲気の中、口論を繰り広げていた。


「お前は受付に行け!」


「私はここに残ります。」


「いいから、お前は受付に行け!」


「貴方じゃぁ、彼を益々怒らせます。」


「…………」


「貴方は彼を怖がっています。」


「…………」


 医師は思った。


「奴の狙いは、この俺だ。こんな嫌がらせ、俺に対する、医者に対する嫌がらせだ。」と


 医師は1人で男と対峙するのが怖くなり、女に居て欲しくなった。


 その時、受付の職員が診断室に駆け込んで来た。


「奥様、受付と代わってください。○○さんが泣き出して、控室から出てきません!」


 男と電話対応した若い職員が恐怖の余り控室に閉じこもってしまっていた。


 女は仕方なく受付に行こうとした。


 その時、医師が女に言った。


「薬を渡して、帰らせろ!」と


 女が医師に言った。


「診断しないと、この繰り返しになりますよ。」と


 医師は何も言うことが出来なかった。


 女は医師を見捨てるよう診断室を出て、受付に行き、椅子に座ることなく、男を迎える姿勢をとった。


 待合室には、4、5人の客が居た。


 医師は女と交代した職員に診断の再会を指示した。


 その時、自動ドアが開き、男が入って来た。


 男は迷わず受付にずんずんと進み行き、受付に立ち尽くす女を睨んだ。


 女は立ち尽くし、声を失った。


 他の職員も呆然と立ち尽くした。


 目の前には、鬼がいた。


 真っ赤に充血した眼


 眉間に浮かび上がった血管


 敵意に溢れた眉毛


 受付に居る誰もが初めて目にする「怒り」の顔であった。


 女は自身の想像をはるかに超えた男の存在、未知なる男の側面に、愛という脆弱な感情は弾き飛ばされてしまった。


 男は診断書を出し、一言こう言った。


「先程、電話をした○○だ。薬を貰いに来た。」と


 女は固まったままであった。


 沈黙とアルコール臭が受付窓口を取り囲んだ。


「腐れ、早よ薬出さんかい!」


 低い獣の唸るような声で男が吠えた。


 女はビクリと身じろぎ、あたふたしながら、体裁を取ろうとしたが、言葉が出なかった。


 そんな芯の弱い女の姿を見た男は哀しく思った。


「俺のこと何とも想ってなんかいない。この女の記憶には昔の俺は何一つ残ってない。体裁だけ取り繕っている。冷たい女だ。弱い女だ。そして、狡い人間だ…」と


 男の眼光は益々燃えたぎった。


 診断室の中では、医師は怯えるように他の患者の診断を行なっている。

 恰も、この患者が守護盾であるかのように。


 受付の先輩格の職員が勇気を振り絞って、男に言った。


「お電話でお話ししたとおり、医師の診断を受けて頂かないと薬はお渡し出来ません。」と


 女は、「はっ」と我に帰り、泣きそうな目で男を見遣った。


 誰もが男の次の台詞に肩透かしになった。


「そうだろ?当たり前だろう?診断するのが!前回がおかしいんだよ!医者が患者から逃げてるんだよ、この病院はよぉ!」


 男はこう言うと、早く診断しろと逆に注文を付けた。


 女は本当に悲しくなった。


「男の言うとおりである。医師が、夫が、悪いのである。


 折角、再会出来たのに、憎まれていることが判明し、更に嫌われている。全て此方側に責がある。

 

 何一つ太刀打ち出来ない。


 更に更に、彼に迷惑をかける存在になっている。」


 こう思うと女の瞳に自然と涙が溢れた。


 男がその女の潤んだ瞳を見て、こう言った。


「泣きたいのは、こっちだ。」と


 女は下を向いた。


 申し訳なくて、男の顔を見ることなど出来なくなってしまった。


 男は表情を変えず、猛追を掛けた。


「早くしろ!診断をしたがったのはお前ら達だ!」と


 何一つ対応出来ない女を見かねて、受付の職員が診断室に事情を電話した。


 医師は渋々、それに応じた。


 受付の職員が男に取り繕った。


「申し訳ありませんでした。前の患者さんがお出になったら、直ぐにご案内致します。」と


 男は後ろの椅子にゆっくりと腰を下ろした。


 その位置から下を向き、未だに怯えている女の姿がよく見えた。


 怯える女を見て、男は新たな感情の湧き上がりを感じた。


「怖がっていやがる。俺を明らかに敵と思っていやがる。分かったよ。そんなら、本物の敵となってやるよ。お前が俺に行った侮辱、俺がそれから味わった屈辱、倍にして返してやるよ!腐れ女!怯えるが良い!お前が怯えるほど、お前の愛する旦那様は俺の思う壺となるんだよ。俺の「怒り」の元素を供給してくれるのさ。腐れ女!俺を捨てた、腐れ女!俺はお前を絶対、許さん!」


 男の煮えたぎる「怒り」のエネルギーは、当然の如く、過去の因縁の発端に標的を絞った。


 この裏切りの女に!

 

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