【愛への帰趨】第53話 地獄に行こう、一緒に

「タクシー会社の情報はどうだった?」


「はい、脚の悪い客を乗せたという情報はありません。」


「そうか、容疑者は遠くには逃走を謀っていないな。


 この近辺のホテル、ネットカフェの聴き込みを重点的に!


 容疑者宅の情報は?」


「はい、まだ、帰ってないそうです。」


「帰ってない?


 家族が居るのか?」


「はい、母親が隣に住んでいます。」


「母親は何と言っている?」


「母親が昼頃、容疑者の部屋にゴミを取りに行ったところ、既に容疑者は留守にしていたそうです。」


「そうか…、それでは引き続き、容疑者宅の捜査を継続しろ!」


 病院内を仮本部とし、刑事が陣頭指揮を取っていた。


「奴は女と何処かで逢っている。


 必ず女と繋がる。」


 刑事はそう考えていた。


「被害者の妻はまだ到着しないのか?」


「まだです。」


 刑事は腕時計を見遣った。


「3時だぞ。そんなに時間が掛かるか?


 あっ!」


 その時、刑事は短く唸り、


「女に連絡しろ!」と叫んだ。


「はい、連絡してますが、電話に出ません。」


「電話は繋がるのか?」


「はい、でも出ません。」


「やられた…」


 刑事は一言呟いた。


「大至急、女のマンションに向かへ!」


 その頃、男は9階のマンション窓から、うっすらとオレンジ色に耀く陽光を浴びながら、外を見遣っていた。


 男はこの部屋を、帰省する度に、前のコンビニから見つめていた。


 男が愛した女が住む塔


 高く高く聳え、男を上から見下す。


 そう僻みながら、この高級マンションを睨んでいたことを思い出していた。


 男は振り返り、ベットの上で安らかに寝ている女を見遣り、ゆっくりと近づき、女の手首を持ち、脈を取った。


 女の脈は脆弱ではあるが、まだ、男の親指を微かに打った。


「置いていかないでね。」


「この包丁で手首を切って。」


 そう語った女の表情が脳裏に浮かんだ。


 男は一旦、ベットの棚に置いた出刃包丁に手を掛けた。


 しかし、到底、女の手首を傷つけることが出来ないことを承知しているかのように、また、棚に置き直した。


 男は女を抱え、一緒に窓から身投げしようとも考えた。


 男は横たわる女を抱えようとしたが、女を持ち上げる力は男に残されていなかった。


 男は既に100錠以上の睡眠薬を飲んでいた。


 長年の睡眠薬、抗うつ剤の過剰摂取から、それら薬の効力は額面どおりには男に効かなかったが、意識を朦朧とさせるには十分な効果があった。


 男は自分だけこの出刃包丁で喉を突き、死のうとも考えたが、女が静かに横たわる周辺を警察共に踏み荒らされるのが癪であった。


 その時、


 男の耳にパトカーのサイレンらしき音が聞こえて来た。


 男は朦朧としながらも、女に服を着せた。


 そして、自分も服を着ると、よろよろと部屋のドアに向かい、ドアに耳をくっ付けた。


「ピンポーン、ピンポーン」と呼鈴が鳴り、その後、呼び出しスピーカーから「警察です。開けてください。」と声が響いていた。


 男はドアを背にしてズルズルと崩れ落ちた。


「も、もう、駄目だ…、お前を連れて行けない。


 ごめんな…


 い、一緒に来世に行きたかった…


 ごめんな…」


 男はそう呟くと、最期の力を振り絞り、女が横たわるベットに這って行き、女の頬にキスをした。


 女の寝顔は、35年前の若き乙女のように純粋に微笑んでいるよう、男の瞳には映った。


「ごめんな…」と


 男は、女の両手を合わせ、胸の十字架の側に置いてあげた。


 そして、男は窓を見た。


「あっ!」と


 男は叫んだ。


 窓の前に死神が鎮座していた。


「迎えに来た。そろそろだ。」と


 死神が静かに言った。


「分かっている。」と


 男は女の両手をポンと軽く叩き、ゆっくりと立ち上がり、よろよろと死神に近づいて行った。


 死神はスッと窓の外にワープし、空中に鎮座した。


 男はゆっくりと窓を開けた。


 オレンジ色の陽光が、橙色の夕陽に変わろうとしていた。


 男は窓枠に足を掛け、そして、最期に振り返り、女が横たわるベットを見遣った。


 男の瞳に光るものが夕陽に反射し、輝いた。


 男は外を見遣り、そして、目を瞑った。


「不遇の入口から、不遇の出口にか…、「生」も「死」も同じということか…」と呟いた。


 男の眼前で鎮座する死神がこう言った。


「よく分かったな。


 生まれてくることと死ぬことは、全生物における唯一の共通点なのだ。


 生も死も同じ扉に過ぎないのだ。


 無意識で潜る扉より、意識して潜る扉の方が重いというだけであり、お前ら愚かな人間共が、「死」だけを先のない行き止まりと観念付けた、それだけのことだ。


 お前は今から「死」の扉を潜り、地獄に行く。


 そして、生まれ変わり、来世に旅立ち、また、「生」の扉を潜る。」と


 男は、死神に笑いながらこう言った。


「来世で幸せになるかどうかは、神のみぞ知ると言っていたな。


 ついでに、贅沢を言うから、お前から神に頼んでくれよ。」


「言ってみろ。」と死神が男を促した。


「地獄で耐えたら、来世は…、


 来世は、あの人と…


 あの人と一緒に…


 幸せに…」


 そこまで言うと男は言葉に詰まり、涙に咽せた。


 死神が静かに言った。


「心配するな。あの女も俺の仕事となった。


 お前の後に、あの女も連れて行く。」と


 それを聞いた男は目を開き、


 死神に言った。


「頼む!地獄であろうが、何処であろうが、2人を一緒にさせてくれ!


 頼む!」


 そして、男は窓枠から足を離した。


 橙色の夕陽が、窓から部屋に差し込んでいた。


 

 


 

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