【覚醒】第37話 今度は渡す、真の愛を!

 時刻は午前1時を回った。


 女はスマホを握り、うとうとと眠りに落ち掛けていた。


 その時、スマホが「ブンッ」と震えた。


 女は急いでスマホを見た。


「14時に来い。」


 彼からのメッセージであった。


 女は嬉しくも少し、怖くなった。


 女は彼の愛だけ考えることにした。


 彼との大切な思い出だけ、想いながら、最期の眠りを味わおうとした。


 女は死ぬつもりでいた。


 どんな死に方をするかは分からないが、今日、男と一緒に死ぬつもりでいた。


 なかなか思い出せない。


 怖くて、楽しい思い出など全く思い出せない。


 女は眠ることを諦め、本を読むことにした。


「平原の町」


 主人公のカーボーイと恋に堕ちた娼婦が、悲劇の最期を迎えるストーリー


 女は自身をその娼婦に置き換えていた。


「私は娼婦と同じ。愛してもない夫に身体を売り、生活を養って貰っている。


 自由もない。


 だから、最期はここから飛び出したいの。


 愛する人の元に。」


 女は何百回も読んだラストシーンのページを開いた。


 主人公のカーボーイと駆け落ちする場所で裏切り者に殺される娼婦


 そして、娼婦が死んだ事も知らず、駆け落ち場所で佇むカーボーイ


 女は思った。


「私は違う。一人で死なない。彼と一緒に…」


「彼が私をこの売春宿から救い出してくれる。」


「私が行くべき道を示してくれた」


 そう思いながら、女はいつしか眠りに堕ちて行った。


【女は彼のアパートに居る。女は彼のジャージを借り、髪の毛を乾かしている。彼は料理を拵えている。女は彼に近づき、料理を眺める。彼は微笑み、腕を振るう。女はコタツに入り、料理が揃うの待つ。彼が手際よく料理を運んでくる。女は乾杯ようの缶ビールをそれぞれの席に置く。「ほら、食べなよ。」と彼が言う。女は箸を伸ばし、彼を見遣る。「美味しいかい?」と彼が問う。女はにっこり笑って「うん、うん」と頷く。食事が終わっても昔話は尽きない。女は心から笑った。こんな幸せ、永遠に続くと信じ、私の傍に、彼は永遠に居続けると信じ、子猫のように戯れながら、彼に抱きつく。彼は優しくキスをしてくれた。女は幸せ味を噛み締めキスを返す。いつしか二人はソファーベットに横たわる。女は自ら服を脱ぐ。彼の好きな下着を今日も着けて来た。彼はその下着を一眼見て、アッサリと脱がしてしまう。女もそう願っていた。彼の優しく、そして力強い愛が女を覆う。女は津波の中に居る。女は快感という大波を何度も何度も被り続ける。永遠の快感、永遠の幸せ。女が意識を取り戻した時、最初に見えるのは彼の横顔。女が1番好きな彼の横顔。女は子猫のように彼の懐に潜り込む。彼が必ず頭を撫でてくれる。頬を撫でてくれる。唇を撫でてくれる。そしてまた、女の敏感な部分を撫でてくれる。女は彼を見遣る。女は彼にお願いの眼差しを向ける。彼は優しくそれに応えてくれる。優しく、そして力強い、大きな波、津波のような、決して抗う事のできない快感の大波を引き起こしてくれる。女はまた彼の腕の中で溺れてしまう…】


「ピー、ピー、ピー」とスマホの目覚ましが鳴った。


 午前6時であった。


 女は夢を見た。


 男と付き合っていた頃の夢を


「神様、感謝します。」


 女は胸の十字架を握りしめ、神に祈った。


 そして、女は今日取るべき行動を確実なものにしようと誓った。


 女はそっと部屋を出て、化粧道具を洗面所から持ち出し、部屋に戻った。


 女はメモ用紙に「熱があるので、今日は家に居ます。」と記し、また、そっと部屋を出て、キッチンのテーブルにそれを置き、部屋に戻った。


 午前7時頃、夫の足音が部屋の外から聞こえた。


 女は「あっ」と思い出し、急いで、部屋の鍵を閉めた。


 夫が部屋をノックした。


 女は布団に潜り込んだ。


 何回かのノックで夫はやはりドアが開かないことを了知し、部屋から離れて行った。


 午前8時頃


 夫が玄関から出て行く音がした。


 女のスマホが震えた。


「ゆっくり休むように。」


 夫がLINEを送って来た。


 女は返信もせずLINEを閉じた。


 ブロック・削除したくても出来ない相手


 女は我が身の在り方に虚しくなった。


 女は気を取り直し、バスルームに化粧道具を持って行った。


 女は最悪の場合、顔化粧だけでもと思い、化粧道具を持ち込んだが、事は上手く運び、邪魔者は家から去った。


 女は湯船にお湯を入れ、これが最期の入浴だと感じ、身体中を念入りに洗い、まだまだハリのあるヒップに乳液を塗り、乳房も優しくマッサージをした。


 女は風呂から上がり、身体を少しバスタオルで拭き、全裸のまま、リビングの姿見の前に行き、身体全身を写した。


 横を向き、ヒップの上がり具合を確認し、そして、また、寝室に戻り、取っておきの下着を持ち出し、それを着け、リビングの姿見の前に行き、モデルのようにポーズを取った。


「彼、覚えているかな…、この下着、彼の好きだった下着…」


 女はそう思い、哀しそうに姿見に写る自分を見つめた。


 時刻は午後9時を回っていた。


 女は念入りに顔化粧をし、マニュキアを塗り、耳にハートのピアスを着け、そして、香水を纏った。


 女はスキャンティーの上からも香水を「シュッ」とひと掛け吹いた。


 女は下半身が疼くのを感じた。


 女は指で触った。


 女は「あっ」と吐息を漏らした。


 女は声色を確認するかのように、指をゆっくりと動かし、「あっ~、あっ」と喘いだ。


 女は瞬く間に逝ってしまった。


 女が、この濡れ汚れたスキャンティーを取り替える事なかった。


 この香りを男に感じて欲しかったのだ。


 女はジーンズを履き、白のセーターを着込み、黒のダウンジャケットを羽織った。


 女は覚えていた。


「彼、私のジーンズが好きだった。彼…、いつも、お尻を触って…」と


 女は歯に噛んだ。


 女は今から向かう死に場所が、男、いや、彼とのデートの待合場所であるかのように思っていた。


 女は次第に恐怖心が消えて行った。


 今は彼に普段着の自分で会える、その嬉しさに満ち溢れていた。


「やっと逢える。やっと、二人っきりで…」


 いつしか時計は12時を回っていた。


 女は早めに出る事にした。


 ゆっくりと歩いて向かいたかった。


 女はマンションを出て、振り返ることもなく、ゆっくりと歩いた。


「あの時と同じ…」


 女は感じていた。


 あの35年前、彼に手編みのセーターを渡しに向かっていた二十歳の自分を…

 

「今度はしっかり渡すの!

 

 私の真の愛を…」


 女は片手で胸の十字架をぎゅと握り、上を向いて、歩いていった。

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