【覚醒】第29話 哀愁は怨念へと変異した!

 この日、男は珍しく実家のリビングに居た。


 母親は家に上がってくれた息子を嬉しく思い、朝餉でも昼餉でもない中途半端な午前10時という時間帯に、何でもてなしたら良いのか思案しながらも、先ずはお茶を差し出した。


 父親は相変わらず部屋に居り、息子に会う気は無さそうであった。


 会う気は無いと言うより、息子を嫌っていた。


 父親と男の関係は、男の息子が自殺をし、家系が途絶えた事から悪化していたが、男は本能的に父親が生来的に男を忌み嫌っていることを察知していた。


 事実、父親は男より双子の片割れである娘を溺愛し、そのオマケとして息子を育てた。


 父親は息子が変形した頭蓋骨でこの世に生まれ、脳波に異常を来たしていると分かった時から、母親をこう責めていた。


「あれはうちの家系の子ではない。うちの血よりお前の家系の血が濃ゆく流れている。あんなのがこの家の跡取りだと思うと先が思い遣られる。」と


 この家の家系は、大した事ない癖に「武士」の家系として、代々、家主は木端役人、県職員に従事し、其れを誇りとしていた。


 父親も県職員として勤め上げた。


 男は幼い頃から、この父親の言う、「〇〇家は、代々…」との下りがとても嫌いであった。


 そんな男は父親には気心付いた時から反抗的であり、当然、父親の言う事など聞かず、勉強はせず、喧嘩に明け暮れ、二浪もし、公務員などになる気もなく、家を飛び出すよう、全国異動のある商社に就職した。


 そのことも父親は良しとせず、男が盆、正月と帰省しても、会話をすることもなかった。


 唯一、父親の望みは、男の息子の存在、この孫が〇〇家を継承してくれると一分の願いを持っていたが、自殺して、其れも絶たれた。


 男が、故郷、501号室に戻るのも、当初、父親は反対していた。


「会社を首になり、女房とも離婚した奴が帰ってくるなんて、近所の恥晒しになる」と


 母親は違った。


 父親から陰険に疎まれていた自分に似た息子が不憫でならず、父親を説得して、空き家であった501号室をリフォームし、息子を向かい入れた。


 男は自室から出てこない父親に対して、変わらぬ恨みを抱いていた。


「血統か!俺は競走馬か!家系、家系とほざきやがって!大したことのない、こんな家柄!腐れが!」と


 今日も苦々しく思い、仏頂面で茶を啜っていた。


 母親が男に声を掛けた。


「何か、困っていることはないかい?何でも言いよ、私が工面してあげるからね。」と


 男はその言葉を待っていた。


 男は母親に、これから1人で生きて行かなければならない。無職のままではどうにもならない。職探しを始める。また、家事も自分で行う。だから、当面の費用を工面してくれと頼んだ。


 母親は喜び、自分の年金をコツコツ貯めた貯蓄から息子に30万円、封筒に入れ、手渡した。


 男は母親に礼を言い、今から量販店に家事道具を買いに行くと言い、実家を後にした。


 息子の改心を心から喜んだ母親は、息子が戻る間、501号室の掃除をしてあげようと、部屋に入っていた。


 母親は割れ落ちた洗面所の鏡の破片を一つ一つ摘み、そして、壁際に大量に破損しているウイスキーボトルの破片を箒ではわいた。


 そして、母親は嫌な感がした。


 ベットサイドには、大量に備蓄されたカプセルの埋まった瓶が転がっていた。


「あの子、また、鬱が酷くなってるね…」と


 母親は自分の遺伝子を色濃く引き継いだ息子に申し訳なく思った。


 母親も鬱であった。


 母親は転がった瓶を拾おうと身をかがめ、何気なく、ベットの下に目を遣った。


 その時、ベットの下に、他のものとは明らかに違い、恰も宝石のように、大事に保管されている籠が見えた。


 母親はその籠を引き摺り出した。


 籠には二冊のドッジファイルが入っていた。


 母親は躊躇わず、そのファイルをめくった。


「あっ!」と


 母親は悲鳴にも似た声をあげた。


 そのファイルには、男の哀しみがファリングされていた。


【卒業アルバムから切り取られた医師夫婦の顔写真、医師の病院名と住所、医師夫婦のマンション名と部屋番号、同窓会の案内状、同窓会に出席した医師夫婦の写真】


 そして、もう一つのファイルには何枚もの同じ写真、同じマンションの写真が綺麗にファイリングされていた。


【防波堤から見える高いマンションの一室のベランダ】


 そう、男は帰省する度、あの医師夫婦の愛の巣、海沿いの高級マンションの9階の部屋を写真に収めていたのであった。


 母親は思った。


「あの子、あの人を忘れられなかったんだわ…、私が切った縁を…」


 母親は後悔した。


「あの子、あの人のこと、本当に愛していたんだわ。私の保身であの人から遠ざけ、そして、好きでもない女と見合い結婚させ、結局、捨てられた。可哀想なことを…」と


 そうである。


 男は女と別れてから1日足りとも女のことを想わない時はなかった。


 それが、時の移りにより、「哀愁」から「怨念」へと変異して行った。


 母親は今の男の気持ちを考えると居た堪れなくなり、男が戻る前に足早に501号室を後にした。


 その頃、怪物はタクシーに乗っていた。


 その手には、切れ味鋭い凶器【出刃包丁・柳刃包丁】が4本入ったビニール袋が握られていた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る