【愛への帰趨】第49話 死神は運命の映像を放つ

 女は男を見送った後、ベットに腰掛けていたが、突然、立ち上がり、服を着ると、部屋の掃除を始めた。


 女は先ずは、2人の体液が染み込んだベットシーツを洗濯機に入れ、


 次に、玄関ドアにぶら下げられていた箒を持ち、部屋中に散乱しているガラス破片をはわき集めた。


 そして、女は洗面所のタオルを雑巾にし、煙草の灰が散らばっているベットの周辺を綺麗に吹き上げた。


 女は時計を見遣った。


 男が出て行ってから、まだ、30分しか経って居なかった。


「後、30分!」と女は自分に言い聞かせ、男の脱ぎ捨てた衣類も洗濯機に入れ、洗剤を挿れて、洗濯機を回した。


 洗濯が終わる頃には男が戻ってくると信じ、


 女は洗濯機の前で、残り時間の表示画面を見続けていた。


 その時、「キィー」と玄関ドアが開く音がした。


 女はもう男が帰って来たと思い、急いで、洗面所から玄関口に顔を出した。


「お母さん!」


 女は思わず声を出した。


「貴女…、どうして…」と


 男の母親も声を同時に上げた。


しかし、今の女は怯えなかった。

 

 母親に軽く頭を下げると洗面所に戻り、シンク磨きに掛かった。


 母親もこうなる事が薄々分かっていたので、女に更問いをすることはなかった。


 先だって、病院で女に会った時から、この人なら、息子を助けてくれるのではないかと、内なる期待を抱いていたのだ。


 案の定、女は男の部屋に居る。


 母親は、状況は好転したと早合点し、笑みを浮かべながら、部屋に上がると、部屋のゴミを集め出した。


 女はゴミを集める母親に気付き、


「あっ、お母さん、私がゴミを集めますから!」と慌てて声を出した。


「えっ!良いわよ、いつも私、集めてるのよ。」と


 母親はそう言い、濡れ汚れたティッシュの詰まったゴミ箱をゴミ袋に入れ移した。


 女の顔は赤らんでいた。


 ゴミであるティッシュの殆どは、女が吹き散らした愛液を含んでいたからだ。


 母親はそんな事も予想していた。


 男が隠し持っていた女の写真のファイル。


 今でも息子が女のことを愛していることは、十分、それで把握できた。


 そして、病院で見た女の表情と、胸に着けていた、あの十字架。


 このサインで十分であった。


 ゴミを詰める母親を見ながら、女は、今更ながら、母親にこう聞いてみた。

 

「お母さん、此処に私が居ることに驚かないんですか?」と


 母親は何も答えなかった。


 母親は、不思議そうな表情で佇む女をよそに、ゴミ袋を持ち、玄関に行き、靴を履き、そして、女の方を振り向き、こう言った。


「ありがとう、そして、ごめんなさいね…」と


 女は思わず、口に手を当てた。


 母親は、女が応えるのを拒むように、玄関ドアを開け、出て行こうとした。


「お母さん!」と


 女が呼び止めた。


 女は今ある男の現状、男と女以外には途轍もない不幸しか思われない状況を説明しようと呼び止めたのだが、


 振り向いた母親は笑みを浮かべていた。


 その表情を見た女は、何も言えなかった。


 女は急場凌ぎに、こう言った。


「息子さん、もう少ししたら、帰ってきますから」と


 母親は新婚の嫁に言うように、


「息子をよろしくね。」と一言だけ言い残し、部屋を後にした。


 玄関ドアがゆっくりと閉まった。


 女はドアの向こう側を歩いて行く、母親に聞こえぬよう、こう言った。


「あの時、そう、言って欲しかった…」と


 女は思った。


【これも運命なのかと。


 35年前、手編みのセーターを渡しに訪れた時、今日みたいに受け入れてくれれば…


 女の人生はどんなに幸せであっただろうかと。


 しかし、今自分も子供を持つ母親となった。


 あの時の母親が言った辛辣な言葉は、決して、理解出来ない事ではないと感じた。


 そして、この後、男と女を待ち受けている今世の最期の場面で、何が因果なのか、母親に会い、理解ある言葉を投げかけられる。


 これが運命なのか…】と、


 女は人生を歩む人間が、いかに盲目であるかをつくづく感じた。


 玄関ドアの前に女が佇んでいると、


「ピィー、ピィー、ピィー」と


 洗濯機が洗濯完了のブザーを鳴らした。


 女は我にかえり、腕時計を見た。


「もう1時間、過ぎてる…」


 女は不安気に呟いた。


 その時、


「1時間では戻って来れない!」と、


 天井四隅の方から、重く低い唸り声が響いた。


 女は声がした天井の四隅を見遣った。


 「うっ!」と


 女は息を呑み、腰を抜かすようその場にへたり込んんだ。


 女は恐怖の余りに、悲鳴さえも出せなかった。


 そう、死神であった。


 遂に女にも見えてしまったのだ。


 それは、女の今世が残り僅かであることの証であり、かつ、決して、天国へは行けない証でもあった。


 死神はドス黒い灰色の雲を纏い、ゆっくりと下に降り、そして、壁に向かって、青白い炎を吹いた。


 すると、


 青白い炎は映写機が放つ映像光のように、壁がスクリーンであるかのように、ある映像が写し出された。


 「あの人…」


 女は恐怖を飛び越え、その映像に映る男の姿を凝視した。


 映像の中の男は病院の待合室に座り、瞑想しているかのように、腕組みをし、目を閉じていた。


 女は青白い光を放つ死神に構わず、叫んだ。


「必ず戻って来て!死なないで!」と


 女の悲痛な叫び声が部屋の空気を占領すると、死神の龍口から放たれる映像光は弱まり、やがて、壁スクリーンの映像は消えた。


「お願い!映して!彼を映して!」と女が死神に乞うた。


 死神はドス黒い雲を纏うと、スッと天井の四隅にワープし、そこに鎮座し、女は睨み、こう言った。


「運命の映像はここまでだ。


 その後を知るのは神のみ。」と


 

 


 

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