第二部【覚醒】第11話 苦しみの根源から目を逸らすな!
その日、俺はまだ日が昇らない時分から、部屋中を野良犬が残飯を漁るよう何かを探していた。
クローゼットの中、洗面所の戸棚の中、ベットの下、衣類のポケットの中等々、探し続けていた。
「何故、ないんだ!」
「あるはずだ、何処かに、きっと、あるはずだ!」
俺は諦めきれず、501号室を飛び出て、マンションの裏にある実家に向かった。
外に出るのは久方ぶりであり、実家に向かうのも何か月かぶりであった。
実家の庭の裏口の扉を開け、ウッドデッキのあるガラス扉を開けようとしたが、鍵が掛かっていた。
まだ、曙光が差し込んで間もなく、日の出前の時間帯であった。
ガラス扉から家の中を覗くと、台所に電気が付いていた。
ガラス扉を軽くノックすると母親が気づき、中に入れてくれた。
俺は台所に行き、煙草に火を付けた。
母親は慌てて灰皿を持ち出し、テーブルに置いた。
母親が尋ねた。
「朝早くから、どうしたの?ここに来るなんて?」
「親父は?」
「まだ、寝てるわ。」
俺と父親は不仲であった。息子が死んでから…
「ご飯は食べてるの?」
「………」
何も答えず煙草を蒸している俺を母親は心配そうに見つめていた。
丁度1年前、俺はこの実家に連れ戻された。
会社を首になり、妻と離婚し、一人で東京のマンションで暮らしていたが、脚も悪いこともあり、なかなか再就職先が見つからず、朝から酒浸りの生活を送っていた。
ある日、俺は救急車で病院に運ばれた。
自殺未遂を図ったとして…
実はそうではなかった。
俺はいつものとおり、長年して来たとおり、抗うつ剤をツマミに酒を飲んでいた。
少々飲み過ぎただけなんだ。
死のうとしたわけではない。
断片的な記憶しかないが、ことの経緯はこうだ。
酒と薬を飲み過ぎた俺は、意識が高揚し、錯乱して、マンションの窓から外に大声で怒鳴っていたそうだ。
誰かが警察に通報した。
警察が駆けつけ、部屋を開けようとしたが、俺は開けなかった。
俺は何よりも警察が嫌いだからだ。
警察と管理人が部屋に入ってきた。
俺は既に泥酔して床に横たわっていた。
その周りにウイスキーの空瓶と大量の抗うつ剤のカプセルが散らばっていた。
当然、警察は睡眠薬の過剰摂取による自殺未遂と推定し、病院に搬送した。
こういうことである。
それからは、一人での生活が危ういとし、半強制的に実家に戻され、あの501号室で生活している。
母親がお茶を入れた。
俺は煙草を吸い終わると、こう言った。
「この家に俺の荷物はまだあるか?」
「東京の荷物かい?」
「薬が入っていたビニール袋があるはずだ。」
「あれは捨てたよ。」
俺は母親を睨んだ。
母親は俺の睨みなど気にせず、こう言った。
「あんな薬と酒を飲めば、死んでしまうよ!」と
俺はお茶も飲まず、立ち上がり、実家を出た。
501号室に戻った俺は、ベットに横たわり、目を閉じた。
そして、悍ましい、あの夜の記憶を辿った。
死神と契りを交わした事を…
それは息子の夢を見た次の夜であった。
俺は寝ていた。確かに寝ていた、もしかすると夢かも知れないが…
急に、鬱蒼とした、どす黒い雲の渦が現れた。
鬱の塊の竜だ!
奴は、暗闇の中、青白い冷気を纏い、エアコンが生成した部屋の中の気流に乗るよう俺の上を悠々と泳ぎ、そして、ベットサイドに舞い降りた。
「あっ」と俺は声を上げた。
そこには息子が座っていた。
息子は俺にこう語った。
「お前の願いを叶えてあげよう。社会への復讐を実現させてあげよう。そうだ。お前の言うとおりだ。お前は決して悪くないのだ。お前を利用し、搾取し、虫ケラのように捨て去る社会に責がある。」と
青白い光に朧げに見える顔は息子であったが、声質、喋り方は全く違っていた。
俺は問うた。
「お前は〇〇か?」と
息子は答えた。
「違う。俺はお前の『遺恨』だ。」
俺は言う。
「何故、息子の姿を形取るのだ?」と
息子は答える。
「決して消えない恨みが、ここにある。」と
俺は息子に触れようと手を差し伸べた。
その時、青白く形取った息子の化身はパッと粉々に飛び散らかり、そして、空中で竜となり、俺に宣った。
「お前は結局は望んでいるんだ!鬱の中で生き、鬱に侵され死ぬことを!それがお前の真の望みなんだよ!」と
俺は竜に反論した。
「違う!俺を鬱にしたのは社会だ!」と
竜はニヤけながらこう問うた。
「お前は何が苦しくて鬱になったのか?」と
俺は口籠もりながら、こう答えた。
「仕事だ。仕事が激務だったから鬱になったんだ。」と
竜は俺に真っ白な炎を吐き、こう怒鳴った。
「お前の心は悪だ!お前は誤魔化してる。この後に及んでも、お前は精神を黒く染めようとしている。白くなれ!」と
竜の吐く白い炎が俺の身体の穴という穴から内部に侵入し、俺の全ての細胞に降り掛かった。
次の瞬間、俺の心の中の怨念が一瞬にして体外に噴出し、どす黒い雲を形成した。
そして、竜が、そのどす黒い雲に目掛けて、白い炎を吹きかけた。
すると、竜の吐く白い炎がまるで映写機の放つ光線のよう雲の中で一つの映像を映し始めた。
俺は息を呑んでそれを凝視した。
誰かの結婚式のようだ。
新郎新婦が神父に促され永遠の契りを交わしている。
新郎が新婦のベールを上げ、その唇に接吻をした。
新婦もそれを受け入れ、目を閉じた。
接吻が終わると、新郎新婦は祭壇のキリストが磔られている十字架に向かい、十字を切り、そして、こちらに振り向いた。
その新婦は俺の昔の彼女であった。
そう、あの夢の中の女だ。
俺は自ずと唇を噛み締め、こう呟いた。
「腐れが!」と
この女は俺を裏切った女であった。少なくとも俺はそう思っている。
俺とこの女は高校時代から大学2年まで付き合っていたが、女は訳も言わず、突如、俺の元から姿を消した。
その5年後、女は同じ高校の同級生である医者と結婚した。
俺は竜に問うた。
「何故、これを見せる?」と
竜は白い炎を吐くのを止め、こう言った。
「お前の苦しみ、怨念の根源は、紛れもなく、この女だ!違うか!」と
俺は答えた。
「それは違う。この女の件は既に片が付いてる。終わったことだ。現に俺は別の女と結婚した。」と
竜は笑い泣きしながら、こう言った。
「嘘を付くな!おい、お前!お前が死ぬほど仕事を頑張ったのも、家族を犠牲に野心を燃やし続けたのも、この女を見返す為ではなかったのか?そうだろ!」と
俺は心の核心を突かれ、何も返答することが出来ず、竜を睨むばかりであった。
竜は勝ち誇ったようにこう宣った。
「ほら、図星だろ!いいか!お前の苦しみの根源はこの女だ!それを誤魔化すな!」
俺は竜に問うた。
「俺にどうすれと言うのか?今更、この女を憎んで何になるんだ?」と
竜はぐるぐると渦巻く鬱の雲を引き寄せ、暗闇に消えようとした。
俺は叫んだ!
「何故だ!教えろ!」と
竜は去り際に一言宣った。
「誤魔化さず、この女を利用するのだ。社会に復讐するためにな!
良いか、もう一度言う。
苦しみの根源から目を逸らすな!」と
俺は目を覚ました。
が、しっかりと覚えていた。
息子の、いや、鬱の塊の竜の戯事を…
竜が言った「あの女を利用しろ!」という件
それは、俺が地元に戻ってから、いつもいつも考えていた事だった。
女は精神科の医者と結婚していた。
風の便りで、女も病院の事務職をしているとのことであった。
地元に戻った時、俺は長年の経験則から、心療内科を探そうとした。
その時、頭の片隅に女の病院が浮かんだ。
その瞬間、俺は心療内科を探すのを躊躇した。
「アイツにだけは会いたくない。」
そう思ったからだ。
しかし、今になって、まさか鬱が再発するなど思いも寄らなかった。
再度、「怒り」を生成するために抗うつ剤が必要になるなど、考えも及ばなかった。
現にこうなってしまった。
俺は社会への復讐を誓ってしまった。
正に運命だ。
俺は女の手助け無しに「怒り」を生成するため、薬を探したんだ。
長年、溜め込んだ薬を…
だが、それは最早、廃棄されていた。
俺はベットに横になりながら、あの鬱の塊の竜の言葉を思い浮かべた。
「お前の苦しみの根源はこの女だ!」
「苦しみの根源から目を逸らすな!」
この台詞を…
そして、俺は煙草を咥え、こう呟いた。
「あの病院に行ってみるか…」と
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