第1話:HOTDOG NIGHT
十月の夜風の吹き荒ぶオフィスビルの屋上にて、江川崎陽香は胡座をかきながら、ジャーマンドッグの包み紙を剥いていた。
眼前に散在する物———三脚に据えられた一眼レフ。ドトールの紙袋。プラスチックの蓋のついた紙コップ。悪趣味な目玉のストラップが付いたリュックサック。目玉のストラップは無骨なチェーンに繋がれ、リュックサックのカラビナから垂れ下がり、風の吹くたびチャリチャリと音を立てている。
江川崎は向かいのビルに視線を向けたまま、大口を開けてジャーマンドッグに齧り付いた。たっぷりと塗りたくられた粒入りマスタードの酸味がソーセージの肉汁と共に口内へと染み渡っていった。
そして、すぐさまコーヒーカップに手を伸ばし、まだドッグの残りを飲み込まないうちに熱いコーヒーを流し込んだ。
品が無いことは分かりきっている。
だが、自分の口の中で酸味と苦味と肉の味がごた混ぜになり、氾濫するようなこの感覚は堪らない至福だった。まさしく現実そのもので、生きている感じがするのだ。
ちょうど、向かいのラブホテルで始まろうとしている狂宴と同じように......。
雇った美人局と取り付けた時間きっかり、向かいのビルの十三階、右から三番目の窓に火が灯る。カーテンの裏地に男と女の影が一つずつ浮かび上がる。
男の影は酔ったようにユラユラと揺れる。女の影は股ぐらに手を当てがい、フリフリと尻を振っている。史上最高に卑猥な影芝居だ。
江川崎はニタニタと口角を釣り上げ、グロテスクな犬歯を剥き出しにした。カップを脇に置き、カメラのレンズ調整に取り掛かった。
美人局の影がカーテンにしなだれかかり、尻を揺らして誘っているのがハッキリと写った。そして、男の影が大きく膨れ上がり、美人局に飛びかかる。
美人局は悶えた。右手がカーテンを掴み、焦らすように少しずつ開けてゆく。モノクロが徐々にカラーへと変わってゆく。
次第にあらわになる全貌。痩せぎすの男が女の唇を貪っている。レンズ越しに写る男の面は、今朝の朝刊に出ていたものとそっくり同じだった。
記者会見用の笑みは欲望に濡れそぼっていたが、間違いなく目的の男。
真田晃司——夜柝市の名士。真田建設の代表取締役。JK好き。現金の詰まったくす玉。強請屋のための存在。
江川崎はシャッターを切りまくる。奴が陰部に手を伸ばすのを撮る。乳首にしゃぶりつくのを撮る。女子高生に馬乗りになるのを撮る。腑抜けた面を撮る。瞬間、瞬間を切り取ってゆく。
正直なところ、こんな回りくどい手を使う必要など、これっぽっちも無かった。単純な話だ。ホテルの中にビデオカメラを仕掛けるだけでいいのだ。こんな手間をかける必要はない。
だが、いい写真、特ダネ、スクープ、これらは全て、こだわりによって生まれる。“執念”によって生まれる。大衆にも、自分自身にも興奮をもたらす。これは不可欠な工程なのだ。
喉が酷く渇いているのに気がつく。腕時計を見れば、12時を回ろうとしていた。コーヒーを呷ろうと、手を伸ばす。そして、背後で音がした。
ドアの開く音。懐中電灯の強烈な光がどうしようもなくひらけた屋上を照らす。遮るものは何一つとして無かった。
光線は迷うことなく此方を向く。
「誰だ⁉︎」
夜警が叫ぶ。ALSEC の夜警———警棒。ブルーの制服。『ALSEC』のプリント入り防刃ベスト。無線機。義務感と暴力性。
夜警は叫び散らし、大股で歩いて来る。警棒を引き抜く。ALSECの人間は気性が荒い。江川崎はコーヒーカップを引っ掴む。
夜警が叫び散らしながら駆けてくる。光が強くなる。大股二歩の距離まで縮まる。
カップを光へ投げつける。黒い飛沫が撒き散る。光を照り返す。
夜警は腕で顔を守ろうとする。下半身がガラ空きになる。
リュックサックのカラビナから鎖を抜き放ち、振り抜く。先につけられた、充血した目玉のストラップが呻りをあげ、夜警の太腿にめり込む。
骨の折れる音。笑えるほどコミカルに鳴る。
夜警は横転し、叫び散らし、転げ回ろうとする。
江川崎はワークブーツで夜警の喉笛を踏み付け、声を止めさせた。夜警の酸素を求めて喘ぐ口にホットドッグの包み紙をつめこんだ。
夜警は包み紙を吐き出そうとした。のたうった。———息がしたい。叫ばせろ。ふざけるな。何が起こった。コイツは誰だ。なんなんだ。
目玉のストラップを夜警の眼前でチャラつかせる。鉛製の充血した目玉は夜警の目玉を覗き込む。夜警は再び、包み紙を飲み込んだ。
そばに落ちた警棒を拾い上げ、夜警の制服から財布と無線機を拝借する。グローブのおかげで、指紋の心配はない。
財布の中を物色する———現金四千円。束になったレシート。冴えない面の写真がついた運転免許証。大量のポイントカード。しけた財布だ。
入っていた四千円をポケットの中に突っ込み、夜警の保険証を確認する。スマホで写真を撮り、財布の奥までほじくり出す。レシートの束の裏の小さなポケットを探り当てる。中には、家族写真が一枚。
写真を夜警に突きつける。写真の中では夜警とその妻、娘が海をバックに笑っている。
江川崎もそれと同じぐらいの良い笑みを浮かべた。
「住所は分かった。一言でもタレコミやがったら、手前のブサイクな妻も娘も手前もろとも滅多撃ちのタタキにされる。分かったな? 」
夜警は内出血で赤く腫れあがった太腿を押さえ、口に包み紙を含んだまま固まっている。瞳孔は開き、視線は痛みに揺れている。
“目玉”を男の突き出た腹に叩き込む。夜警は唾液でベトベトの包み紙を吐き出し、苦痛に呻く。江川崎は更なる笑みを貼り付け、言った。
「わかるな?」
夜警は呻きながら首を縦に振った。より正確に言えば、縦に痙攣した。
「そう、そうだ。間抜けな手前は階段から転げ落ちて、足をやっちまった。そうだよな?」
江川崎はワークブーツを喉笛から外し、夜警を自由にした。夜警は身を起こすと、息も絶え絶え必死に頷いた。
江川崎は微笑んで言った。
「そうかい、じゃあな」
江川崎はチェーンを振り抜く。”目玉”は夜警の側頭部に直撃。夜警の体は無残に床に倒れ込む。
チェーンを手元に引き戻し、向かいのビルを確認する。灯りは消え、カーテンは開いたまま放置されていた。
きっと、いい気分で眠っていることだろう。明日の朝、カーテンに気付き青ざめるに違いない。
江川崎は倒れた夜警の方へ振り返る。
「来週の週刊誌の見出しをおせぇてやるよ。夜警。 “JK好きの建設王”だ。ぜひ、買ってくれよ」
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