幕間:ある空巣の日記 2004年
2004年
4月3日
この街の良い所をあげるとすれば、恐らく一つだけだろう。
この街に何一つとして明確なものが無いという事だ。
やれ、アレが悪い、コレの所為でどうなった。という明確なモノは無い。
あるとすれば、其れは金だけだ。
しかし、それは多くの場合、平等だ。誰でも手に入れる事が出来る。上手くやりさえすれば、誰でも出来る事なのだ。金を稼ぐという事は。
文句つける事が出来るのは“金”だけ。それ以外は理由として弱過ぎる。
其れは絶対的指標だ。肌の色や性別、年齢、宗教、そんなものとは全く異なる尺度だ。工夫のしようがある。
“上手くやれ”
分かったかい? 陽香...
6月7日
“SCAr”という組織の存在を初めて見知った。(“State of Creative Anachronist reordered”の略称)
彼等は骨董品の銃の展示会やアンティーク武器取扱店、SF同好会、ルネッサンス・フェア、夜柝市の私立大学である“偏執大学”の歴史学科、戦争ゲーム同好会、その他昔懐かしむ連中が集まる場所で彼等に逢えてしまう。
時に、“村建地区”の空き地にて競技会を開催する彼等は端的に言って変人奇人の集まりである。
彼等は大仰なセンチメンタリズムと前時代的なプライドに埋もれている。何を求めようが、何を騙ろうが、結局はそれしかない。偏執的な悪夢を見続けている。覚める事はない。覚めたつもりになっているからだ。
思うに、彼等は“古き良き”という言葉に取り憑かれているのだ。この街の空気がそれに大義名分を与えている。“今が最悪”というとびっきりの命題だ。
反証は不能。何故なら最悪だから。以上、証明終わり。
俺はSCArの創設者だという男に“商売繁盛”で出くわした。
ガスパール・デ・セルバンテスと名乗る男で、ヒスパニック系だった。
別段、珍しくはない。既に人種は意味を失っている。言葉は完全なごった煮だ。認識したいように意味を取るし、その都度、使いたい言葉を使う。誰も彼もが名乗りたい名前を名乗っている。この男もそうだった。
男の第一声は勿論、「昔は良かった」だ。そう言って奴は、盗品が幾らで売られているのかを確認している俺達に話しかけてきた。
奴はリーゼ入りの衣装の上に鎖帷子を着けていた。これで貞操帯まで履いていたら完璧な十字軍の騎士という格好。
俺が「イスラム圏に侵攻中かい?」と聞けば、「神の平和運動だ」と奴は言った。
2か月程前に書いた俺の恥ずかしい哲学が、早くも覆されてしまった。連中には“金”という尺度は通用しないようだ。
夜柝市の唯一の美点も妄想に過ぎなかったようだ。
どうしようもない街だよ。此処は...
9月4日
最悪という言葉があれ程似合う女もいないだろう。
俺が家で陽香と遊んでいる時に、その女はやって来た。
名前を緑川葉子という。無駄にグラマラスな身体付きをしている女で、括れる所はコルセットを巻かずとも括れ、出る所はダイナマイト級に出ている。エロティックモンスターだ。
ピンクのスウェットシャツの上に、黒い合成皮革のジャケットを羽織っていた。胸のせいでタイトな革ジャンのジッパーは閉まりそうにもなかった。
当人の言うことには、記者の野郎の上司らしい。場違いな格好で、どう見たって記者なんかには見えなかったが、その詮索好きそうな雰囲気がそれが嘘でない事を物語っていた。
何故、“最悪”なのか。答えは単純だ、デリカシーが無いのだ。それも壊滅的に無い。ノアの洪水の後に核戦争をおっぱじめた後みたいな終わりっぷりだった。
家に入り込むなり、冷蔵庫を開け放ちピーナッツバターを取り出す。台所から食パンを取り出して、トースターにぶち込む。
トーストが出来るまで待つかと思ったら、バターだけを食べ始める。それも素手で。更にはベタベタのその手で、陽香と遊び始めようとするのだから、手に負えない。
終いには、出来上がったトーストの上にピーナッツバターと戸棚から引っ張り出したシーチキンを乗せ、ビールと一緒に貪った。食べ終わるまで一口も口を聞かない。
食後のタバコだけは何としても阻止した。
どれだけグラマラスで外面が良くとも、勘弁して欲しいものだ。
緑川がどうしてこの家にやって来たか。
記者が目的か?
いや、違う。面倒臭いことに、目的は俺だ。
“live ware”の一件を嗅ぎ回った結果、俺に行き着いたらしい。御明察だよ。悪趣味女。
アレはかなり尾を引く一件のようだ。それ程のことだったんだろう。だから、ALSECはあそこまで俺を血眼になって探し回った。
結局、ボネガットが丸く?ことを収めたが、俺は未だに俺が盗んだものが何だったのかを知らない。何でもかんでも、デジタル化して行こうという風潮が生まれている昨今では珍しく、アレは書類だった。
何かの帳簿か人事名簿だった。そして、中身を見ちゃいない。長生きするコツだからだ。
緑川は俺に匿名で良いから、取材を受けてくれと頼んで来た。報酬を弾むとも言った。
俺は陽香の方を見た。それから、提示された額を舌の上で転がしてみた。口を滑らせるだけで金が貰えるのだ。沈黙は金、雄弁は銀というが、バレなきゃ無問題。実質、どちらも手に入る。
俺が話したこと。
・胡散臭い連中にその一件を頼まれたこと。
(タックス・マンズの名は出さなかった。言われなくとも、分かっているだろう。現に世間はそうであると決めつけていた。)
・連中には内部の協力者がいたこと。
(そうでなければ、アレほどまでのお膳立ては整わなかった。当人の名前も聞いていたが、忘れた。何故なら生きるコツだからだ。
配管の位置からエレベーターシャフトの幅まであらゆる事前情報を事前に渡されたのだ。それにセキュリティゲートやその他のドアを無いも同然にするIDカードまで...)
・胡散臭い連中はアレによって勢力を大きく拡大できたこと。
(アレを人事名簿だと仮定するなら、アレは連中に誰を顧客にするべきかという最適解をもたらしたに違いない。クスリを売り込む有料物件のことだ。群れの小リーダーを的確にてなづけるのだ。成り上がる常套手段だ。)
・特殊部隊が駆り出されたこと
(ボネガットからことが終わった後に聞いた話によれば、“サヴェッジ” とかいうALSECの部隊が俺を追っていたらしい。
幸運なことに、下水道と地上とを出たり入ったりして逃げ仰せていた俺からすれば、いないも同然の存在だった。
連中は古い言い方をすれば機械化歩兵師団のようなものだ。下水道を探すようには出来ていない。電撃戦は地下では行えない。
“サヴェッジ” とは別に “チャンドラーズ” という部隊もあるらしい。そっちは細々としたトラヴルを叩き潰す部隊で余り知れ渡っていない。と、ボネガットから聞いた。実際、初耳だった。都市伝説というだけはある。)
緑川は冷蔵庫から捕ってきたバケツ入りのバニラアイスを貪りながら言った。
「“チャンドラーズ”って名前の売れないバンドがありそうね。ニキビ面のヒッピーがやってそうなヤツ」
「レイモンド・チャンドラーから取ったらしいぞ」
「そう? どちらかというジム・トンプスンの悪漢みたいな振る舞いだけれど...」
「確かに『大いなる眠り』よりは『残酷な夜』の方が相応しい」
「それに、“チャンドラーズ”って、“タックス”とおんなじぐらい怪しい都市伝説でしょう? マジに実在するの?」
「さあな。だが、タックスがそう言ってたんだから、そうなんだろう。餅は餅屋。都市伝説は都市伝説本体に、だ」
「依頼主は“タックス”で決定ってことね」
「オフレコだろ?」
「いいえ。レコーダーは回ってるわ。その子がアイスを舐める音まで捉えてる」
「やめてくれ、俺が消される」
「今でも十分危ない橋を渡っているようだけど」
「この子の為だ。」
「そうね。私には無理だろうけど、子供はいいものね。老後も尽くしてくれるし。」
「アンタ今何歳だ?」
「ドラム缶に詰めて沈めるわよ?」
「やめてくれ、冗談に聞こえない。」
「この子の名前は?」
「陽香。」
「へえ、これがあの男の娘ね。」
「アンタからも言ってやってくれ。まともに子育てしろとな。」
「孔雀に言葉を教え込むのと同じくらい不可能ね。あの男は典型的なソシオパスだもの。」
「何だって?」
「反社会性か演技性かは判然としないけれど、言えることは単純ね。。あの男の頭には思春期のガキの何倍もの自尊心と、人事部の千分の一以下の同情心しか詰まっていないってこと。」
「確かにそんな感じがある男だ。年から年中、フィルム・ノワールの世界から引っ張り出してきたようなコートを着込んでいるし、髭は綺麗に整えている。しかも、それでいて興味があるのは自分自身と他からの賞賛だけだ。俺とは真逆だな。」
「あら、怪盗じみた振る舞いをしているじゃない。私から見たら似たようなもんだわ。」
「金に困ってたんだよ。その時は...」
「そのおかげで昇進が目前にあるんだから、私からすれば怪盗様様だわ。でも、確かにあの男とは違うのかも知れないわね。」
「何故そう言える?」
「金にも名声にもならないベビーシッターなんてやってるからよ。」
「ただの気紛れだ。ここの家に忍びこんだ時に出くわしたもんでね、退くに退けなくなったんだ」
「貴方もあの男も分かりやすい奴ね。どっちもありふれた人種だわ。曰く、唯の自己満足」
「俺みたいなヤツが溢れててたまるか。お互いに空巣に入りあってたら、それは唯のプレゼント交換会だ」
「ダサい台詞。それはそうと、あの男はどっちだと思う? ダイムノベルにハマった演技性人格障害か、根っからの反社会性人格障害か」
「正直な話。この街に住んでる人間の殆どがそんな感じだ。アッパー系のヤクでも吸わされてるんじゃないかってぐらいだ。皆んなおかしくちゃ、おかしいって言葉自体が意味を無くす。そうだろう?」
「タックスが上水道に亜硝酸アミルでも混ぜてるんじゃあないかしら?」
「陰謀論は嫌いじゃない。それが、ユーモアの一環として楽しめる程度の信憑性ならの話だけど」
「それを撒き散らすのが私らの仕事よ。嘘も誠になるし、嘘も誠になるこの街で気にしすぎても意味ないのよ」
「それは大切なことだな。今日の日記の最後にでも書いておこう。俺は気にすることが多すぎて、禿げるのが早まりそうだし」
「そういう役割を配役されたのね。貴方が交番に財布を届けただけで持ち主が死ぬような損な役回りよ。お次は何かしらね?」
「誰だって少なからずそんなもんだ。単純にそれを認識出来ていないだけ。俺達が余りにちっぽけ過ぎるから。」
「『捻れたキューでゲームを始め、大きな悪を為す者たち。おれたち人間。』というやつね。少し違う気もするけど、大方そんな感じ。」
「考えに考え、漸くある結論に辿り着いた。」
「『俺には何にも分かっちゃいないという結論さ!』 でしょう? ちょっと気取り過ぎね。貴方いつもこんな話し方するの?」
「陽香の目の前だからな。」
「教育熱心なパパさんね...」
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