第30話:PRIDE or....

 2-Aの教室は喧騒に満ちていた。

 

「なあ、二時間目は自習になったらしいぜ。」


 制服の第一ボタンを外した少年が、後ろの席の少年に言った。


「は? 何で? 定期考査前でもねぇだろ。」


 後ろの席の少年はそう言って、持っていた蛍光ペンを脇に置いた。


「しらね。委員長がそう言ってたんだから、確実ではあるぜ。ラッキーじゃねぇか、田上も山中もいねぇし。」


「もしかしなくても、その件のことじゃねぇか? あの八島とかいう奴の自己紹介聞いただろ?」


「ああ、頭のネジが外れてるとしか思えね〜。顔は可愛いのになぁ。髪ボサボサだけどさぁ」


「『嫌いなものは〜』のくだりは笑えねぇよ。山中達がいるのにあれはないだろ。マゾなのかな」


「きっと、ボロ雑巾みたいになって帰ってくるだろうさ。その時には笑って迎えてやろうぜ」


 教室のドアが開いた。クラス全員の視線が集まる。


 七人の不良達が教室の中へと入って来た。手に包帯を巻いてる奴もいれば、顔面事情が酷いことになっている奴もいた。唯一に無傷に見えたのは山中の彼女の澤部だけだった。

 七人は教室の右端にいつもの如く陣取る。話し声は彼らの身体に阻まれ、ほとんど聞こえない。クラスの殆どが気にしていない素振りを見せながら、その内実、野次馬精神面をこれ以上なく沸き立たせていた。ゴシップ好きに年齢は関係ない。

 

「ウゲ〜ッ。痛ぇぇぇよう。頭もガァンガンするぅ。」

 赤メッシュの派手な髪の少年、広江が情け無い声を出した。窓を開け、外の空気を吸った。シンナーの数倍キク。


「ああ、クソ痛ぇよ。てめえのナイフの所為で、あのクソ女を仕留め損ねた上に、手まで切られちまったんだからよ。」


 鼻面にガーゼを貼った男が言った。ネクタイを肩から掛けていた少年、ランディ。本人はイカしてると思っている辛子色のネクタイは、ズタボロになりポケットに押し込まれている。


「しかし、保健室に誰もいなくて助かったぜ。お陰で、欲しいものはかっぱらえたしな。」


 迷彩パーカーの男、中田が言った。ボクシング部の女主将の一撃で歯が二本程砕けていた。他の連中の手当てをしたのはこの少年だった。


「後々、不味くねぇか?」


 ミシェルが氷嚢で顎を冷やしながら、情けなく言った。派手なベルトバックルに彫られた髑髏も心なしかしょんぼりとしている。


「ストレート一発で即KOされたお前にどうこういう権利はねぇよ。その間抜けな氷嚢を分捕るぞ。」


 ランディが悪態をついたその時。


「黙れッ!」


 山中が言い放った。低く、はっきりと。セットされた金髪は崩れ、目は据わっていた。

 それは大して大きな声では無かったが、教室に確かな緊張を走らせた。あからさまに視線を送っていた連中も机上の自習道具に目線を落とした。

 山中は仲間達を見回し、それぞれの傷を見た。黙りこくっている彼の親友の巨漢。ラオの方を見た。顔は青褪め、溝尾を押さえている。拳は包帯で巻かれ、血が滲んでいる。


「お前らは病院へ行け、俺から親父に電話しといてやる。何も言わなくていいし、金もいらない。」


 山中はゆっくりと言った。


「早退しろって?」


 ランディがガーゼから漏れる鼻血を拭いながら言った。


「ああ、中田のネット譲りの応急処置じゃ、何の役にも立たない。特にラオに関しては。」


「お前はどうすんだ..山中」


 ラオが声を絞り出した。脂汗が浮いている。


「セン公とあのクソ女二人と話をつける。それが終わるまで全員口をつぐんでおけ。何も言うな。気が動転して何も思い出せないとでも言っておけ。」


「あのイカレポンチ二人に話が通じるか?」


「コイツを見ろ。」


 山中がスマホを仲間達に向ける。


『件名:ドミノスポットにやられた。そういうことにしないか?      

              From 田上 To 山中


 俺達はこれ以上面倒を起こしたくない。お前らの方は恥を掻きたくないだろう。女二人にのされた上に病院送りなんて、恥ずかしい所の話じゃないからな。

 話をつけるなら、俺達とお前らの間だけで済ませないか。俺達としてはまた血生臭い方法でやってもいいんだ。お前らが気の済むまでな。

 お前らにフェア精神というものが欠片でも残ってるなら、リングの上でも結構だ。レフェリー付きで正々堂々。チンピラ御用達の玩具抜き。玉が付いているならやってみろ。


 担任と話し終えたら、また会いに行く。それまで待っとけ。いいな?』


「舐め腐ってんな。」


 ミシェルが吐き捨てた。


「いや、田上に一撃でのされた俺達は何も言えねぇよ。ミシェル。」


 中田が迷彩柄の肩をすくめた。


「田上は問題じゃない。」


 山中はスマホをポケットにしまった。


「問題はあのクソチビだ。」


「あの棍棒振り回してた蛮人?」


 広江が窓からようやく顔を離して言った。八島に殴られた頭をさすった。赤黒いたんこぶが髪の間から顔を覗かせている。


「ああ、そうだ。何がやりたくてあんな挑発をしたのか見当がつかない。何が目的だ...」


「ひっッ」


 澤部が呻いた。右端で彼女は縮こまった。


「どうした? 絵梨花」


「エリちゃんもどっかあのクソチビにやられたん?」


「無理しねぇ方がいいぜ」


「アスピリンまだ余ってたかなぁ」


 それぞれに心配する素振りを見せる男共。


「いや...なんでもないの...あのボサボサ髪を思い出してゾッとしただけ..」


 澤部は両手で持ったスマホを顔を隠すように引き寄せた。怯えた彼女にいつもの勝気さは無い。


「そうか...」


 山中は何かを言おうとして止めた。代わりに、他の仲間達の方に顔を向け、言った。


「そろそろ行け。ラオが無理しないぐらいの速さで行け。実習棟の方から回っていけばバレずにいける筈だ。」


 六人が立ち上がり、教室を出ようとした。


「澤部、少し待ってくれ。」


 山中は澤部だけを呼び止めた。ランディも振り返ったが、山中がジロリと目線を送ると卑屈に頭を下げ、他の仲間達の後を追った。

  

「えっ...」


 澤部は戸惑っている。呼び止められた理由を探している。


「そこに座ってくれないか?」


 山中は右端の窓際の席を指さした。男達の壁はなくなり声は教室に響くようになった。全員が聞き耳を立てている。山中は気にもしていない。

 澤部は恐る恐るといった風に席へ着いた。窓から吹き込む風が彼女の金髪を靡かせる。


「何か隠してることがあるんじゃないか?」


 澤部は目を伏せた。分かりやすい彼女だ。


「どうして...」


「スマホを見ながら怯えていた」


 山中は立ち上がった。椅子がガタリと音を立てた。


「何を隠してるんだ。」


 澤部は窓際へと身を逸らす。


「言ってくれないか?」


 澤部へと詰め寄る。澤部は窓枠へと寄り掛かった。それ以上退けない。


「あのね...だめなの、本当に...」


 澤部はスマートフォンを抱えるようにして持ち、窓の外へ顔を向けた。声はか細く、消え入りそうだった。風の音に負けていた。


「そうか...」


 そう言いながら、澤部へと近寄った。耳元まで近づき、彼女の肩に触れた。


「今はそれでいい。だけどな、あの女から連絡があったら俺にすぐに言ってくれ。頼ってくれ。命を賭けてでも何とかしてやる。」


 澤部は何も言わず、微かに頷き、俯いたまま教師を後にした。足取りは重く、輝いて見える金髪も、金メッキのように見えた。別人のようだった。

 それでも、彼女は自分の彼女だった。


 俺はデカいミスを犯してしまった。安易な挑発に乗ってしまった。

 あの二人の目的は何だ?

 田上は間違いなく奴の突飛な正義感からだろう。ことあるごとに正論を振り回し、価値観を押し付けてくるそんな女だ。それでも、直接手を出して来たのは始めてだった。中田の話によれば、予想以上に奴は強かったようだ。何がしたいのやら...


 それでも、強さと得体の知れなさは、あのクソチビの方が上だ。

 情け無いことに、あのクソチビに一撃でのされた。肋骨には、恐らくだが、ヒビが入っている。だが、奴はあれでもかなり加減していた。ラオに放った蹴りを見れば、それは明白だ。化け物じみたクソチビだ。

 あいつの目的は絵梨花だろう。彼女の反応からの推測でしかないが、筋は通っている。売春か、はたまたアイツ自体がレズなのか。

 どっちみち、彼氏の俺はそれを止めなければならない。絶対に。命を賭けて。見栄もクソも関係なく。


 しかし、一つ筋が通らないことがある。


 どうして、田上は八島の行為に協力している?

 俺達を叩きのめした所までは理解できる。だが、売春は? 正義のためと言えるのか?

 

 ただ知らないだけ。他に目的がある。思いつく妥当な見解はこれぐらい。だが、あの女の目的を知らないというには田上は深入りし過ぎている気がする。

 他の目的があるとする。だが、それは何か。 あの女にとっての“正義”に勝る行動原理はあるのか?


 全ては推測でしかない。反証は幾らでも思いつく。『だが』を繰り返すしかない。確実なことは殆ど無い。

 兎に角、あの二人が現れるのを待つしかないだろう。教師より先にあの二人と話せるのがベストだ。ピースを先に揃えるべきだ。それから、セン公には脚色した完成品を渡すのだ。


 考えるのを止め、教室を見渡した。周囲からの目線が痛い。生まれて初めての経験。中々、キツい。ヒビの入った肋骨よりも....


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