第40話:SHOOTING SHOPPING
夕焼けに染まる立体駐車場。タイヤのゴムと排ガス。捨てられた吸い殻のヤニの香りが立ち込めていた。
高見は両手にビニール袋を吊るしながら、自身のレクサスの前まで来ていた。袋はベーコンやビール缶によって殺人的な重さに達していたが、何とかレクサスまでの強行軍を乗り切った。夕闇と冷気が少しずつ染み出し始める時刻だった。
愛車のレクサスが見える。愛すべきその流麗なシルエットには何ら変わりはなかった。
だが、缶コーヒーのおまけの如く、変な男が一人、ボンネットに腰かけていた。
印象的な男だった。ブルテリアのような卵型の顔に、落ちくぼんだ目が二つ付いていて、髪は黒色、金束子みたいなパーマがかかっていた。
服装は、デニムのジャケットにカーゴパンツ。中堅ぐらいのブランドのスニーカー。薄手の革手袋。おまけに70年代ぐらいにはやった茄子型のサングラスを胸ポケットにかけている。言っては何だが、ヤクザ版の山下〇郎といった風体だ。
「アンタが、高見博子か?」
デニム男が親しみを感じさせる低い声で言った。
「いえ、私は高木直子ですが…」
息を吐くように嘘をつく高見。
デニム男は苦笑する。
「そいつは可笑しい、なあ?車内の車検証にはしっかりと高見博子と載っとたぜ」
男は紙製のファイルを左右に振った。高見がコンパートメントに入れておいた代物だった。
「ケチな真似する連中ですね、ALSECってのは。貴方が日々、袋叩きにしている連中以下ですよ」
「そういうアンタはそれを声高に書き立てることで金を稼ぎ、メシを食ってるわけだ。なぁ、記者さん?」
高見はドサリと買い物袋を床に捨てる。デニム男は動かない。高見は恐る恐る袋に手を伸ばし、ビール缶を二本手に取った。
そして、アサヒビールの一本を二本指でつまみ、男に向けかざした。
「飲みます?」
男はにんまりと笑った。
「悪くない、悪くないなぁ、記者さんよ」
ジャケットのポケットに手を突っ込みながら語るデニム男。その中に、何が入っているかは想像に難くない。
覚悟を決め、高見は無言で生ビールを放った。銀色の缶は橙と白い光を乱反射し、宙を舞う。男の左手がそれを軽やかにキャッチする。男の革手袋に収まり、パシリと子気味のいい音が鳴った。
だが、男の右手は依然ポケットの中だ。いつ火を噴いてもおかしくはない。
男が器用に片手でプルタブを開ける。プシュッ。発泡音。白泡が噴き出すのが見える。この手も失敗。発砲音では無かった事だけが救いだ。
「何だあ、あんたは飲まないのか?先に頂いちゃうのは気が引けるぜ」
「貴方がビールを存分に楽しむ姿勢になったら、そうさせてもらうわ。ポケットに手を突っ込みながらなんて行儀が悪いわよ」
「おう、ごめんよ。そいつは大切なことだな。おまけに挨拶もしてないときたもんだ。おじさんの名前はワタナベだよ。そんで、こいつが拳銃のルーちゃんだ。可愛いだろう?」
男は左手をポケットから出した。手には、ルガーMkⅡのが握られていた。クロームメッキ。弾薬は22口径。寸筒型のサプレッサー付き。デニム男は悪びれもしない。
「直接向けて欲しいなら、さっさとそう言うべきだな。お嬢ちゃん」
「私は29歳よ。お嬢ちゃんって年でもないわ」
「俺に言わせりゃ、渋柿もいい所だ。食えたもんじゃない」
「あんたの守備範囲はどうでも良いのよ。セクハラで訴えるわよ?」
「何処にだ?連合会議のオフィスにでも電話するか?いっちゃあ、何だがあそこは女も男もド変態の集まりだぜ。人間ってのは物欲が満ちると、もう一つの方に盛り出す様に出来てるからなぁ」
男はビールを呷った。グビリと喉を鳴らし、それから愉快そうに笑った。卑屈さに溢れているようにも見えたが、銃口はしっかりと此方を捉えていた。
高見はどうにかなってしまいそうだった。銃を向けられるのは初めての体験だった。数グラムの力で心臓に風穴を作り出せる。脳味噌は衝撃でぐちゃぐちゃになる。嫌な知識だけが頭の中を駆け巡る。
「ビールを有難う。中々、面白い余興だったぜ」
男が銃口をこちらに向ける。22口径の暗く、丸い穴。脳には、あの時と同じように黒い奔流が流れている。ダイナーの時と同じように。
駐車場に響き渡るエンジン音。250㏄。山羊の悪魔の嘶き。
デニム男の視線がそちらにぶれる。銃口がぶれる。
高見は買い物袋を車線上に放り投げる。死に物狂いで、腕を軋ませ、投擲した。そのまま、車の陰へ向け、飛び込んだ。
サイレンサー付きの発砲音。三連発。缶ビールの発泡音より多少デカい。
悉く、買い物袋に命中する。ベーコンを穿ち、ビール缶を炸裂させ、リンゴを砕く。そして、最後の一発が高見の脇腹を抉る。
燃え盛る痛みの波。跳ね上がる心臓。そして、強まるバイクの排気音。Cd125が突っ込んでくる。乗っているのは殺し屋じゃない。数倍恐ろしい取り立て屋だ。
デニム男はルガーをバイクへ向けた。ダスターコートを着たライダーは前輪を上に持ち上げ、ウィリーする。バイクを盾にする。
撃つ。撃つ。撃つ。ルガーが硝煙を吐き出す。だが、22口径弾はエンジンフレームに弾かれる。ホローポイント弾では抜けない。弾頭が潰れて終わりだ。
お返しとばかりに、唸るタイヤが男をひき殺さんと迫る。
デニム男は飛びのいた。高見より素早く、迅速に。前転し、態勢を立て直す。白いセダンを盾に銃口を覗かせる。だが、それよりも早く、別の銃声が鳴る。サイレンサー無しの轟音が。
八島の手に握られた硝煙を燻ぶらせるリボルバー。M513。ステンレスのボディ。黒いラバーグリップ。長いシリンダー。短い銃身。弾薬は.410ゲージショットシェル。トーラス社製の回転式散弾銃。
八島は満面の笑みで、景気づけとばかりに制圧射撃を行う。二発でセダンは穴だらけだ。デニム男は容易に銃眼を覗かせられない。八島が構えているのは散弾銃。狙う必要のない武器。先に手を出せば、銃もろとも吹き飛ばされるのがオチだ。
拮抗状態を破るように駐車場に声が響く。
「早く乗れ!」
朝方に駐車場で聞いた声。田上だ。高見は咄嗟に声の方へ駆け出す。脇腹の痛み、視界の揺らぎ、だが、田上のZOOMERに跨る頼もしい姿が見える。
なりふり構わず飛び乗る。血が溢れてくる。焼けるようだ。心臓が鈍く拍動している。
「つかまってろ」
田上は高見の背中にケブラー製のジャージを被せ、アクセルを踏み込んだ。ZOOMERは原付にあるまじき加速力で、立体駐車場の出口へと突っ込む。
八島はその始終を横目に、サイドバッグへと手を伸ばす。液体入りの黒いビール瓶を取り出す。濡れそぼった布が瓶の頭に結ばれている。そして、香り立つケロシンの匂い。
八島は火炎瓶の導火線に掠るように一発、発砲する。マズルフラッシュが導火線を着火する。橙色の炎が灯る。八島は叫んだ。
「一杯やろうぜ、オッサン!」
空中へと投擲される火炎瓶。
八島は男に二択を迫った。焼け死ぬか、撃ち殺されるか。
デニムの男は冷静に狙いを定めた。遮蔽から姿を出さずに、瓶を打ち落とせるのは一瞬。車のサイドミラー越しに八島の一挙移動を捉え、瓶を打ち落とす。
回転する橙の炎が飛び込んでくる。銃眼の向こうに。
ワタナベは引き金を引いた。
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