第12話:コレはケロッグ....
クレーンの音で目が覚める。窓の外で、黄色いクレーンがコンテナを持ち上げている。海鳥の群が鳴きながら、その周りを旋回していた。
高見は布団から体を起こす。見慣れない部屋に驚く。
引っ越したばかりのアパートのように何も無い部屋。江川崎のあてがってくれた部屋。分水嶺の向こう側の新たなる朝。
十月の終わり頃の肌寒さを感じながら、洗面台を借りに一階まで降りた。
昨日、我々が酒を飲むのに使っていたソファーに見慣れない少女が眠っていた。ダスターコートにくるまり、サイドに灰色の二つのお下げが飛び出している。
彼女が江川崎の言っていた妹である可能性。それが、一番妥当だった。江川崎に聞くのが最も早い。そう思い、2階へ戻ろうとする。
「アンタ誰だい?」
声の方を見る。お下げ髪が目前にあった。
蛮族が持ってるような棍棒を此方に突きつけている。黒ずみ、錆びた金具やビスからテーブルの脚であることに気づく。持ち手にはダクトテープが巻かれていた。
「さっさと答えな!クソッタレ‼︎」
革手袋に胸ぐらを掴み上げられる。体が浮かぶ。信じられない感覚。声が出せない。
少女が舌打ちした。コンビニの袋をベッドに投げるように、私の体はソファーに投げ出される。少女はテーブルに腰を下ろす。
「アンタは誰かって、聞いてんだよ‼︎ なぁ、オバサン!どうして、オレのオヤジの服着て此処にいんのかって、聞いてんだよ。なあ!」
“脚”で肩口をパシパシと叩きながら凄む少女。コートの袖が落ち、腕が剥き出しになる。びっしりと刻まれた刺青が露わになる。
それは、幾何学的で、叫ぶ狼にも見えて、また狼を蹴りつける山羊の様にも見えた。ロールシャッハテストのように、はっきりとした答えは存在しないように見えた。
「なあ、オイッ‼︎」
鼓膜が震える。彼女の刺青が吠える。二本の角が揺れる。
「ハイッ‼︎」
素晴らしい返事をする。編集長にだってしない百点満点の返事。
「アヒャヒャヒャッ!“ハイッ”だってよ。」
“脚”を振り回す。ドタ靴を踏み鳴らす。少女は大笑いする。風体以外の全てが彼女とそっくり。見せつけられた力の差を無視し、怒りが混み上がって来る。
「おはよう。高見。亜紀もおはよう。」
江川崎が暖簾の下から現れた。狙い澄ましていたようだった。手には昨晩と同じお盆が握られていた。ケロッグと牛乳。コップとボウルが三つずつ上に乗っていた。
「おはよう!江川姉ぇ。通算46日目の朝ケロッグを有難う‼︎」
亜紀と呼ばれた少女は、嫌味たっぷりの“おはよう”を言う。そして机から飛び上がり、ソファに降下する。腕の力だけでやってのける。
「しょうがないでしょ。在庫が余ってるからって、押し付けられたんだから。恨むなら、港湾労働者組合(非正規)を恨みなさい。」
江川崎はお盆を机に置いた。
「あ、高見さん。此方、私の妹の八島亜紀よ。柄は悪いけど、私ほどゲスじゃ無いわ。」
妹の前だからか、異常に丁寧だ。
「ギャハハハッ‼︎自虐してやがんの、マジでウケる。」
ドタ靴を踏み鳴らす八島。
「コーンフレークぐらいさっさと捨てて、新しいの買えばいいのに。ゲスというよりケチだね姉ちゃん。」
容赦無いエルボーが飛ぶ。ケロッグの箱を掴んだままとは思えない、鋭い一撃。八島は自ら頭突きを繰り出す。額を叩き付ける。野生の雄鹿が激突し合う音。
八島は額を抑えて蹲る。江川崎はケロッグの箱を握りつぶしながら堪える。両者痛み分け。
江川崎は左手だけで、支度をする。相当に痛かったようだ。
私も自分のボウルを取り、八島にコップを渡した。
「あんがとさん。オバサン。」
お前の言葉遣いの方がオッサンだ。江川崎の妹。
私はそう思いながら、ケロッグをザラザラとボウルに注いだ。懐かしい甘い匂いがする。最後に食べたのはいつのことだろうか。
「江川姉ぇ!私の紹介はしてもらったけど、この人のはしてもらってないよ。」
牛乳を注ぎながら八島が言う。まともな自己紹介が出来ていないのはお前のヤンキーみたいな態度が原因だ。江川妹よ。
「この人はねぇ、高見博子さんよ。Bremsenの記者さん。鉈を持った鉄砲玉から私を救ってくれた敏腕よ。特に、揚げ物に関してはね。」
江川崎が楽しそうに言った。“揚げ物”。その言葉で脳裏にアイツがフラッシュバックする。炎にのたうちまわる姿。破裂する燃料缶。黒焦げ。潰れた喉。
ケロッグが胃から込み上げてくる。
「この人がぁ?江川姉ぇを?私が姉ちゃんを助けることすら殆ど無いってのにぃ?」
八島が目を見開いてこっちを見る。疑惑と驚愕と微妙な尊敬が感じられる視線。文字通り、溜飲が下がる。朝ケロッグならぬ朝ゲロは防がれた。
江川崎が牛乳パックを直飲みしてから言った。
「ええ、そうよ。だから、もう少し礼儀正しくしたほうがいいわよ。」
江川崎が自然に微笑む。口元に牛乳が付いている。
「ねえ、一つ聞いていいかしら?」
一つだけ気になること。いや、他にも沢山あるが、最も謎な事があった。
「どうして、苗字が違うの?再婚したからとか....」
「ギャハハハハハハハハハッ!」
江川崎と八島が大爆笑する。足を踏み鳴らす。机を叩く。太腿を鷲掴みにする。そっくりの挙動。そっくりの笑い声。全く同じ笑いのツボ。
苗字も髪の色も関係ない。この二人は間違いなく姉妹だ。それも最低最悪の二人だ。
私はそう確信し、黙ってふやけ始めたケロッグを口に運んだ。
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