第3話:「ご注文は以上で宜しいですか?」

「存外に美味いわね。ワニの肉って。」


 綺麗に平らげられたステーキプレート、トレイに残った数個のナゲットを前に高見は言った。


「犬も結構美味い。」


 江川崎は意地悪く笑った。


「野蛮ね。」


 高見はナプキンをトレイの横に丁寧に畳んで置いた。


「酷いヘイトスピーチね、高見さん。ANTIFAが黙っちゃいないわ。」


 高見はトレイに残ったナゲットをつまみ上げた。


「私の自論では、旧約聖書だろうが、古事記だろうが、最初の人類は犬を食べたことがあるに違い無いわ。」


「つまり?」


「押し並べて人は蛮族ということよ。」


 高見は面白く無さそうに最後のナゲットを口に放り込む。江川崎は面白そうに目尻に皺を寄せペプシの瓶をコツコツと鳴らした。


 ゲテモノで彩られた昼下がりの食卓は、存外にも社交の場として及第点の役割を果たした。悪くはないと互いに思わせるには十分だった。


「それで?パンチ力が足りないって言っていたけれど、何が問題なの? 貴女の言い草だと、『通例通り、すっぱ抜きました。はい終わり。』とはいかなさそうだけど。」


 江川崎は多少、真剣な面構えで言った。


「すぐに分かるわ。嫌でもね。」


 江川崎はラップトップからSDカードを抜き出し、高見の方へ寄越す。視線はショウウィンドウの向こう。奥の駐車場に向けられていた。


「商談は成立。代金はそちらの言い値で結構。適当に振り込んで置いて、私としてはBremsenがこのネタを取り上げてくれさえすれば、それでいいから。」


 江川崎はラップトップを手早くしまう。


「代金は適当?私は貴女の担当になるんでしょう?それなら....」


 江川崎は取り合わず、続けた。


「カードを持ってさっさと店の奥に行きな。裏口から出られる。」


 江川崎は、チェーンを引っ掴み、背後を振り返った。


 ショウウィンドウの向こう側。駐車場で動き出す車影。250ccの単車。フルフェイスのヘルメットを被ったライダー。機首を曲げ、ダイナーを正面に捉える。

 右手に握られた大振りの鉈が振り上げられた。


「早く行きな‼︎」


 江川崎のワークブーツが私のスツールを蹴り上げる。体が跳ね飛ばされ、ようやく、事のまずさに気がつく。


 バイクが突っ込んできた。ガラスが砕け散る。ライダーが騎馬民族の様に、鉈を振り上げ襲い来る。頭上を刃が、眼前をタイヤが通り過ぎて行った。


 金属音。


 江川崎はスツールで鉈を弾いた。バイクは店の奥まで突っ込み、Uターンし、こちらを向く。エンジンを噴かし、もう一度鉈を振り上げる。

 江川崎もチェーンを握り込んだ。


 私は必死になって床に落ちたSDカードを掴み取り、転がっているバッグを拾い上げた。心臓は脈打ち、息つく事を忘れる。


 バイクが走り出す。耳をつんざく唸りを上げ、江川崎へと突っ込む。

 江川崎は進路上から飛び退くと同時に、スツールを全力で投擲した。

 ライダーに直撃するスツール。メットがへこむ。ライダーの身体が後ろ向きに吹っ飛ぶ。騎手を失ったバイクは店外へと飛び出し、横転し、ダイナーの配達用バンに激突してようやく止まった。


 私は仰向けに投げ出されたライダーを尻目に駆け出した。店の奥にある陰気なステンレスの扉へと一直線に。無駄だろうと思えるほど乱立するスツールを避けながら。


 ノブに手が掛かる。背後で音がする。さっきと同じ金属音。背後を振り返る。


 張られたチェーンに叩きつけられる鉈。凹んだヘルメットを被ったままライダーは江川崎と打ち合っていた。

 江川崎は刃を絡め取ろうと、身を引き、チェーンを緩ませ、両手を交差させる。ライダーは刀身を引きそれを避ける。後ろに飛び退く。


 江川崎は右手でスツールを再び拾い上げた。左手にチェーン。右手にスツール。SCAのように構える。

 ライダーは鉈を前屈みに構え、重心を落とした。堂に入った構え。


 チェーンが唸る。江川崎はライダーの鳩尾を抉るようにフルスイングした。躊躇いも容赦も無い一撃。

 ライダーはそれを打ち払おうと刀身を振る。チェーンはうねり、刀身に巻きつく。

 江川崎はチェーンを引き、重心を崩しにかかる。スツールを袈裟に振りかぶる。

 ライダーは鉈を手離さない。体ごと持っていかれる。スツールの間合いに飛び込んでゆく。


 江川崎は笑みと共にスツールを全力で叩きつけようとした。

 だが、ライダーの方が上手だった。空いた左手でポケットから何かを抜き放った。


 豪炎。店内が朱色に照らされる。携帯型の火炎放射器。ライダーの取り出したものはそれだった。


「ゴホッ、ゴヒュッ...ゴホッ。」


 江川崎はむせた。数歩離れた位置で。江川崎はチェーンを支えにのけぞって炎を躱し、拘束を外し、距離を取ったのだ。

 元々握っていたスツールは手離され、今まさに三本目となるスツールを手に取った。


 このままでは、ヤバい。それだけは分かった。どうにかしなければ、そう思った。


 バックヤードに飛び込んだ。中には雑多な代物がステンレス製の戸棚に所狭しと並べられていた。見渡した。探した。打開策を見つけようとした。


 頭の中を黒い奔流が駆け巡る。碌でも無い記憶と知識が全て押し流され、形を成して行く。アクション映画。ホラー小説。読み、書いてきた殺人事件の記事。ありとあらゆるものが動員された。


 バケツが見つかる。棚の下段にあったサラダ油の一斗缶に、壁に掛かっていた出刃庖丁で大穴をぶち開ける。バケツの中に放り込む。バケツを油が満たして行く。

 1カートンの箱入りマッチ掴み取る。ビニールの包装を引きちぎり、ポケットに中身をぶち込んだ。バケツは満杯になっていた。背後では金属音と火炎の噴き出る音が響いていた。

 バケツを掴み、扉を潜る。江川崎もライダーも気づいちゃいない。テーブルの上に登る。

 バケツを構え、生涯で一度も出したこともない声量で叫んだ。


「オイ‼︎ギョロ目のキチガイ女‼︎」


 江川崎が舌打ちしながらこちらに視線を寄越す。メットも此方を向く。バケツと興奮しきった面のハッピーセットに目を剥いたのは江川崎が先だった。咄嗟に、江川崎は私の足元へと飛び退る。


 私はバケツをぶち撒けた。油と一斗缶は放物線を描き、反応の遅れたライダーにクリーンヒットし、ずぶ濡れにした。


 ライダーは液体の正体に気付く。慌てて距離を取ろうとする。

 油に塗れて慌てれば、当然転ぶ。無様に顔面から転ぶライダー。


 人生最高級の凶悪な笑みを浮かべ、マッチを擦った。


「ご注文は以上となりますかぁあ⁉︎」


 マッチを離す。火が落ちる。サラダ油に引火し、炎になる。ライダーの体を灯心に豪炎となる。ライダーは踊りを踊り出す。ステップを踏む。炎の中を転げ回る。火炎放射器の燃料缶が弾け飛ぶ。


 江川崎は荷物を炎から遠ざけている。機材が壊れていないか確認している。


 私の心臓は高鳴っている。頭の奥は冷え切っている。“人を燃やした”事実に混乱している。青褪めている。アドレナリンすらもそれを無視させはしなかった。


 そして、追い討ちをかけるようにスプリンクラーが作動し、冷えた水を降り注がせた。炎は蒸気を上げながらみるみる弱まっていった。 

 ちょうど、私の中で渦巻いていた何かが鎮まっていくように....


 消え去った火の中から、ずぶ濡れで黒焦げの死体が現れた。

 江川崎はそれに歩み寄り、ヘルメットを脱がせ、焼けきっていない面を拝む。スマートフォンで写真を一枚。

 それから、「Hmm...」と唸った後、チェーンを巻いた握り拳を死体の喉笛に叩き込んだ。

 炭化しかけた喉にはいとも容易く拳がめり込んだ。死亡確認というよりは、単純な憂さ晴らしをしているように見えた。

 江川崎はチェーンをベルトに掛け、死体を担いだ。


「ど、何処に持ってくの、それ。」


 絵面の異常さに思わず呼び止めてしまう。

 江川崎は此方を見ると、心底不機嫌そうに言った。


「ドコも、ソコも、クソもねぇだろ。フードプロセッサーだよ。ミディアムレアの人肉ミンチにしちまうのさ。」


 その言葉で、さっき食べた物が全て逆流してきた。二度とこの店で食事を取らないと心に決めた。

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