幕間:ある空巣の日記 2001年 ②
8月8日
金はあった。だが、予想外のものもあった。赤子だ。女の子だった。バスタオルに包まれ、哺乳瓶と一緒にダンボールの中に放り込まれていた。
赤子は黒い大きな瞳でこちらを見つめ、それから笑った。
何の気無しだった。それが当たり前の事に感じたのだ。俺は赤子のクソを処理してやり、哺乳瓶を熱消毒して、ミルクを新しいのに代えてやった。焦ることはなかった。連中が帰ってくるまでに時間はたっぷりとあったからだ。
どうして、あんなことをしたのかは分からない。
8月9日
今朝は駅のホームで四人から財布を擦った。上がりは三万二千円だった。クレジットカードやら身分証やらは、写しを取って保険金詐欺をやってる連中に渡し、五万六千円をせしめた。あれでウン百万稼ぐのだろうから、もう少しくれてもいいんじゃないか?ケチ臭い連中だ。
空の財布は交番近くの人通りの多い道に捨てておいた。夜柝市の実態を思うと、それでも届ける奴がいない可能性もよぎってしまう。
その後、昼前に例の家に行ってみた。相変わらず酷い有り様で、エアコンが切れていた。あと少し遅ければ、赤子は蒸し焼きになっていただろう。
今日が涼しい日で良かった。
8月10日
俺はまたあの家に行った。不思議なもんだ。気にしないでいようとすると、あの子の大きな黒い瞳が脳裏をよぎるのだ。
此方を訝しみ、興味津々で、そして柔らかい視線。形容しきることなんて出来やしない。俺にもあんなことが出来る時分があったというのだろうか。信られん。
いや、きっとあったのだろう。赤子にはそういう力が備わっているに違いない。庇護欲をそそるというやつだ。アレは赤子の生存戦略なのだ!
だが、それだからどうしたいうのだろう。俺があの子に惹かれてしまったという事実が変わるわけではない。
8月11日
今日は余りに暑過ぎる。仕事はやめにして、あの子の様子を覗いた後は、書店を巡って回った。万引きはしなかった。
ただでさえ、万引きに悩まされ、業績も悪化しつつある本屋から、物を盗るのは何だか気が引けた。
“ひ〇こくらぶ”と育児の手引き書を購入した。コンビニと居酒屋以外で久々に金を払った気がする。
8月18日
危ない所だった。あの子の家の近所の連中に見つかるところだった。俺がつたっていた電柱の真下のゴミ捨て場で、オバハンがゴミの分別をしていたのだ。蹲ったオバハンのステルス機能といったらなかった。
俺はバレないよう、いや、バレる覚悟であの子の家の庭木に飛び込んだ。記者の奴が几帳面な奴じゃなくて助かった。伸び放題の枝には余裕で飛び移れた。伊達に三十年こんなことを続けていない。
オレを褒めろ!
あの子が褒めてくれる日が来るのだろうか。
8月19日
ビルの屋上で名案を思い付いた。児童相談所に電話するのだぁ!
どうして、先に思いつかなかったのだろう.....
8月23日
夜柝市は腐ってる。分かりきった事実だが、児童相談所までクズの仲間入りとは流石としか言いようが無い。そんなんじゃ、少子化で未来は無くなるぞ。児童相談所も保健所も数字しか見ていないようだ。
連中の言い分はこうに違い無い。「育児放棄は無いし、孤児も存在しない。いいね?」
ふざけるな!あの子の面倒をみるのは俺しかいないのか⁉︎
ああ、そうか。なら、とことんまでやってやろう。しかし、今のやり方では限界が来るのは間違いない。別の方法を考えなければ.....
8月30日
ベビーシッターの紹介所の面接に受かった。諸々の書類は、ボネガットや質屋のオヤジに頼んで偽造してもらった。酷い出来ではあったが、なんせ夜柝市の紹介所だ。俺の書類と同じくらいお粗末な審査だ。
塩対応に塩面接。あっという間に内定だ。世の就活生よ!俺を褒めろ‼︎
ただ、人事は雑で「客は自分で取ってこい」と言われた。何が紹介所だ。
9月8日
あの記者の家と職場にひたすら売り込みに行った結果、何とか雇って貰えた。
値切りに値切ったせいで、タダ働きも同然だが、何十回も同じ家に忍び込むストレスに比べたら遥かにマシだ。
ふと思うのだが、俺は何故こんなことをしているのだろうか?
だが、そんなことを考えながらコレを書いている傍らでは、あの子が笑っている。名前は陽香というらしい。
あの子の顔を見ていると分かる。
“何故か”なんてどうだって良い。コレは本能なのだ。酒や女と一緒だ。赤子がいれば護りたい。
そういうことなのだ。
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