第20話:DIZZY RIDER
黄昏の海岸沿い。街灯はまだ灯っていない。車影は一つだけ。広い公道をCD125が我が物顔で走り抜けて行く。サイドには荷物が満載されていた。
八島はハンドルを指で叩きながら調子をとり、“BORN TO BE WILD”を口ずさんでいる。サビだけがひたすらに繰り返されている。
そんな彼女の小さいくも力強い背中に、私はしがみついていた。
「ねえ、私の話は聞かなくて良いの?」
八島は鼻歌を止めた。
「何の話だ?」
「江川崎さんの話をしてくれる代わりに、ダイナーでの顛末を話すって話よ。」
八島の銀のメットがピョコンと跳ねた。
「そういや、そういう取引だったな! アンタの詮索を逃れるために、話を早々切り上げようと必死だったから、うっかりしちまってた。」
「お姉さんほど、この手のことは得意じゃないのね。」
「昼に話してやっただろ! 姉ちゃんは別格なんだよ! 比べること自体がナンセンスだ!」
「言えてるわ。つまらない過去を送ってきた私よりも随分、刺激に溢れていたみたいだものね。」
搾取する側にまわれている時点で、私よりも遥かにマシ。キレそうになるので、私はクソのような記憶には蓋を被せた。
「で、ダイナーでのことはどうだったんだ?」
八島はヘルメットを私の胸にぽさりと押し付け、言った。
「まず、私は緑川さんに....って、緑川さんって分かる?」
「勿論。あの人は裏じゃ物凄く有名だよ。敵に回したくない女、NO.1だってことでね。」
「部屋から余り出ないから、誰も知らないもんだと思ってたわ。あの人、人間っていうより洞窟か何処かに住んでる化け物みたいだもの。」
「化け物以上の何かだぜ、ありゃあ。化け物の私が言うんだから間違いない。」
「八島ちゃんが? そうだとしたら、可愛いモンスターちゃんね。少しばかしバイオレンスにすぎるけど....」
「ギャップがあっていいだろ? で、緑川さんがどうしたって?」
「そう、緑川さんが夜柝市に左遷されたばかりの私に仕事を放ったのよ。何の説明も無しに“GAVIAL DINER”に行けってね。」
「目に浮かぶね。」
「怪人パワハラおばさんは伊達じゃないわ。それに、引き合わせる相手が貴方のお姉さんって所が更に酷いわ。」
私はジャケットのジッパーを口元まで上げた。夕日は暖かく照っていたが、冷たい海風が吹き付け始めてもいた。
「初対面の人間にゴムマスクで下らないイタズラを仕掛けてくるし、殺し屋はやって来るし、マトモなことはひとつもなかった。おまけに、ワニの肉をご提供する店を待ち合わせ場所にするしさ。」
「でも、美味かったんだろ?」
「ええ。その後、全部戻したけどね。」
「ゲロったってこと?」
「その通りよ。ゲロを吐いたの。」
「ウエッ。バッチィ。」
「ワニ肉なんて食べた後に人をバーベキューにしたら、誰でもゲロるわよ。」
「殺し屋が来たってのは想像つくけど、バーベキュー?」
「まず、鉈を持った殺し屋がバイクに乗って乗り込んできた。江川崎さんは殺し屋顔負けの腕前でバイク男に応戦し、私にデータを持って逃げろと言い放った。」
「何のデータ?」
「真田のエロ写真に決まってるでしょう?」
「へえ、で?」
「ダイナーのバックヤードへの扉にたどり着いたところで、殺し屋が火炎放射器を使ったの。江川崎さんは避けたわ。だけど、それからは彼女が劣勢で、更には千日手。どうしようもなかった。」
「姉ちゃん、銃を持って行かなかったんだな。」
「銃ってことは、今朝、貴方のお姉さんの部屋でチラリと見えたのはやっぱりモデルガンじゃないのね。」
「それが、グロック17だったならその通り。そいつはモノホンだ。“親父”の御下がりだよ。」
「昼ご飯の時も思ったけど、どうしてそう変な所だけ感覚がずれているの? “親父”さんは...」
「アンタも私も人のこと言えねえだろ。バーベキューしたのはアンタなんだからさ。」
「切羽詰まってたんだからしょうがないでしょ⁉︎ 私は江川崎さんがそんな状況にいるのを見て、焦りまくったの! それでバックヤードに駆け込み、油でたっぷりのバケツを拵えて出てきた。」
「ひでえな、アンタ。ズレてるとしか言いようがねえぜ、その発想。」
「私のネットの検索履歴と取り扱ってきた記事を見てくればいいわ。源泉が何処か分かるから。」
「これだから、娯楽産業もネット界隈も叩かれるんだよ。」
「ご高説どうも、女子高生さん。バケツを持って行った後は想像がつくでしょう?」
「勿論、台の上に登り、口上を吐き捨て、油を撒き散らし、マッチ擦った。そして、“ご注文は以上ですかぁああ⁉︎”だろ? 想像がつくぜ。」
八島は迫真の演技を披露した。
「貴女、実はお姉さんから全て事細かにを聞いてたんでしょう? 余りにも正確過ぎるわ。」
「ふふん、そりゃあどうかな? 全部なんて知りようがねえだろ? アンタの心境や行動の動機まではさ、だから取引したんだろ?」
八島は遊んでいるようにエンジンを噴かせて言った。
「いずれにせよ、大切なことはだ。失敗したら死ぬって状況で、咄嗟に、“助けた”ってことだ。」
夕陽は沈もうとしている。
「きっと、アンタが助けずとも、姉ちゃんは上手く切り抜けたとは思う。でも、アンタは理屈抜きで手を差し伸べることをした。あの人相手にそれをするのはスゲェことだ。」
銀のメットが再び、私の胸に乗り、八島がにこやかに此方を見つめる。
「突拍子もなく、手を差し伸べるってのは、本当にイカしたやり方だと思うぜ。」
八島はとびっきりの笑顔を見せた。白い肌は夕日によってほんのりと橙色に染まっていた。
私も大人の笑みを浮かべて言った。
「そうね。じゃあ、前を見て安全運転しようか?」
通りには街灯が灯り始めようとしていた。
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