第41話:アクセルはベタ踏みで


 田上はタイヤを焦がしながら、全速で立体駐車場を駆け下りた。


 背中には今朝、偶然あったばかりの記者が死に体で縋り付いている。田上のケブラージャケットで傷口を抑え、歯を食いしばっている。田上は銃に撃たれる痛みを良く理解していた。銃創から溢れ出す熱も波及する激痛も、暴れ狂う拍動も全て体験済みだった。

 

「おい、生きてるか⁈」


 返事は無い。だが、歯軋りと呪文のような囁き声が聞こえる。少なくとも、死んではない。田上はその事実を噛みしめ、立体駐車場の入場ゲートを睨み据えた。


 閉鎖も待ち伏せもされてはいない。ZOOMERのボトルキーパーに入れた38口径を見やる。黒いシルエットは確かにそこにある。例の警官から奪い取ったものだ。


 田上はハンドルを切り、駐車場から病院へと向けた。

 最短コースは海岸を通る産業道路だ。そこから、病院の経つ都市部のど真ん中に向かう。道中で山田と合流し、山田の親父が院長を務める病院へ向かう算段だ。山田はまだ例の店にいる。八島のふざけた作戦の実行のために。


 産業道路はひどく開けていた。トラック一台通らず、不気味なほど順調だった。黄昏はピークに達し、世界は黄色と橙色に浸食されていた。立ち並ぶガスタンクや工場たち。道路を分かつように立つ街灯。全てが映画のセットのように、作り物であるかのように思えた。


 そして、十字路に出た時、“止まれ”の標識を無視した時、背後に嫌な予感がした。あの質屋の店員から受けたのと同じような強烈な意志。

 アクセルを踏み込みながら、街灯を縫うように通り抜けた。背後での発砲音。弾丸が街灯に弾き替える甲高い金属音。そして、意を決したように響いてくるエンジン音。

 バックミラーを確認する。


 黒灰塗りのジープ・トラック。グラディエイタールビコンだ。四輪駆動。3.6ℓペンタスターV型6気筒DOHCエンジン。強力な馬力。柔軟な姿勢制御システム。凶悪なバンパー。広い荷台。そこに立つ一つの人影。運転席には一人。手にはライフルが握られている。恐らくセミオートマチック。


 嫌なものだ。此方は改造しているとはいえ、原付。背中には手負いの女記者。いつもの捨て身の戦術は使えない。対してあちらはジープにライフル。後部にいるのも健常な大男。

 勝ち筋が見えない。


 背後での男の動き。レーザーサイトがこちらを狙う。田上は、ボトルホルダーから

 拳銃を抜き放つ。当てることを意図しない三連射。

 

 レーザーサイトの赤い点が路上を揺れる。上に跳ね上がる。

 荷台の射手は予想だにしていなかったらしい。原付に乗る女子高生が銃を発砲するなど。


 ジープは距離を詰めてくる。

 どうやら、此方を横転させるか、轢殺するか、何れかを狙っているらしい。確かに、良い手だ。38口径ではジープの分厚いボンネットを貫通し、エンジンに致命的な損傷を与えるのは困難だ。

 やるとしても、タイヤか運転手しか有効打を狙えない。おまけに、少しでもバイクに接触すれば奴らの勝ちだ。落ちれば、二人そろって複雑骨折ミートボールになるに決まってる。

 

 だが、それ以外に手が無い。田上は意を決した。


「ハンドルを私に代わって」


 背後からの声。女記者。


「奴らのジープに飛び乗って、あいつらをノシて来て。ボクシング部の主将でしょう?」


 高見はそう言って、田上にケブラージャージを着せた。

 田上は呆れた笑みを浮かべる。全く、頭のおかしな奴だ。脇腹を撃たれた状態で、女子高生にライフルを持った男たちを殺してこいとのたまう。


 だが、田上の欲した独壇場に、リングに、上がる術はそれしかない。


「OK。さっさとハンドルを握れ」


 高見のペンだこの目立つ手がハンドルを握る。それと入れ替わるように、田上は曲芸じみて背部に滑り込む。ありえない程の体感と運動神経。高見はハンドルを操りながら、ハンカチを傷口に押し込み、無理くり流血を抑える。


 背後から迫るジープの巨大な影。虎の顎のようなバンパー。

 田上は飛び出す。後部の荷物台を蹴り飛ばし、ボンネットへと飛び乗る。高見はそれに合わせ、ハンドルを右に切り、ジープの進路から外れる。


 ジープの運転手は面食らい、高見の轢殺に失敗する。あまつさえ、高見を視界から逃す。田上の行動の真意を見逃す。


 田上はボンネットを蹴りだし、荷台へと飛び込む。荷台の男のライフルの銃口は既に田上に向けられている。


 引き金に指がかかる。だが、ライフルの長い銃身が仇になる。

 田上は持ち前の瞬発力で、その銃身を横殴りする。ブラスナックルと銃身が金属音を打ち鳴らす。次の瞬間、ライフルは暴発。発射炎が閃くが、弾丸は工場地帯の奥へと消える。


 ライフル男。ALSECの正式装備に身を包んでいる。そいつは手早くライフルを投げ捨て、トラックの荷台の端まで後退する。ナイフを取り出す。近接戦闘に一家芸あるのだろうか。

 ライフル男は、ナイフを繰り出す。横薙ぎにする。狭い荷台上、避ける余地はほとんどない。

 

 田上は一撃目をスウェイで、二撃目をバックステップで躱す。端へと追いつめられる。トラックの荷台にリングネットはない。背後は急速に流れゆくアスファルトだ。落ちれば赤い大根おろしになるのは間違いない。

 田上はジャケットの着こみ具合を調整した。裾を握りしめた。まるで、怯えているかのように。


 ライフル男は勝ち誇ったようにナイフを突き出す。洗練された一挙一頭足。

 

 田上はジャケットを脱ぎ去り、男の腕に叩きつけた。黒と銀の縄が男の腕を絡めとる。田上はそのまま男の腕を引き込み、肘鉄を男の顔面に叩き込む。

 鼻血が飛び散る。男の視界はぶっ飛ぶ。そのまま、次の衝撃。鳩尾に膝がめり込む。

 田上は男のボディアーマーをひっつかみ、遠心力を利用して、投げ飛ばした。男の巨体が宙を飛び、荷台の外へと飛び出し、アスファルトへと落下する。後には赤い轍と、頭陀袋のような男の死体だけが残された。


 背後で撃鉄を起こす音が聞こえた。田上は咄嗟に身をかがめた。

 頭上を弾丸が通り過ぎる。運転席から覗く銃口。万事休す。次の逃げ場はない。


 運転手は背後の田上にすべての意識を向けていた。だが、それが仇になった。

 右手の車窓から聞こえる軽快な排気音。ZOOMERだ。銃口を咄嗟にそちらに向けようとした。

 だが、眼前にあったのは38口径の黒く丸い銃口だった。


 拳銃を突きつけ、高見は酷い笑みを張り付けた。

「外しようがないわね?」


 乾いた銃声。フロントミラーを染め上げる鮮血。田上がZOOMERに飛び乗る音。


 運転手を失ったジープは車道を外れ、工場群へと突っ込む。派手な音を立てて激突する。火炎と黒煙が上がる。


「やったな」


 田上が無表情で言った。


「ええ、そうね。人をっちゃったわ、私」


「今更だろ」


「それはそうだけど、銃なんて…」


「気にするのは、全部終わってからだ。それより、あそこの角で駐車しろ。運転を代わる。怪我人にこれ以上、運転させられるか」


「ああ、そういえば、私、撃たれてるんだった…」


 痛みの波が強まるにつれ、原付の速度が落ちていく。意識が掠れていく。そして、高見の意識は途絶えた。

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