第25話:盗撮魔と色情魔

 誰もいない廊下。用務員用の台車。中には機材を隠してある。勿論、床のシミを落とす類のものじゃ無い。

 汚れを拭い取るという点に於いては共通だが、もっと効果的で便所掃除より金になる点が違なる。


 ムシは殆ど仕掛け終わっていた。コンセントの中、ルーターの配線の途中、合い挽きに使われそうなトイレの中。目ぼしい場所の見落としは無く、他の連中が見落とすように上手くやった。


 スマートフォンを確認する。チャットアプリにつけたGPS機能を起動する。既製のマップ機能と大差ない代物だ。

 ブルーの点。高見は理事長室とは真反対の校舎まで移動しつつある。理事長室に入り込むには絶好の機会。

 グリーンの点。何故かは知らないが、八島は未だ開放されていない実技棟の屋上にいる。粗方、喧嘩を売って連れていかれた所なのだろう。スマートフォンが壊れないかだけが心配だ。


 廊下の角を曲がる。上履きの足音が微かに聞こえる。先程、曲がった角で音は止まる。下手くそな尾行。間違いなく生徒だと足音から確信する。


 江川崎は、階段横の用具倉庫へと入った。明かりをつけ、台車を奥に押し込み、振り返る。


「授業中でしょう? 教室に帰りなさい。」


 戸の外に声を掛ける。数秒の静寂の後、戸の影から女生徒が現れる。

 黒のセーラー服に白の上履き。紛れもない秀翫高校の制服。程よく肉のついた肢体。制服に押し込まれた張りのある胸。

 しっとりとした黒髪を石竹色の髪留めで分けている。溢れ落ちる髪は水墨でかかれた柳の様に肩にしなだれかかっている。

 化粧の気を全く感じさせない肌はほんのりと桃色に染まり、どこ迄もきめ細やかだ。細められた目は、万人の心の奥に眠る獣じみた欲求を引っ掻き回す。

 余りにも肉感的で場違いな女生徒だった。


 女が吐息の様に囁く。


「ええ、そうです。授業よりも大切な、ずぅぅっと大切なことがあるんですわ。」


 女は後手に扉を閉める。シリンダー錠が閉まる。女が歩み寄ってくる。用具倉庫の頼りない蛍光灯が淡く女を照らす。幻想的なまでの陰影をつける。女の影法師が揺れる。


 江川崎はポケットの中のブラックジャックに手を伸ばす。

 想定外の事態。単純な解決策は一つしかない。しかし、万事上手くいくわけでもない。最善はシラを切ること。


「用務員と話すことが学業より大切だって?」


 無言で近づいて来る女。ブラックジャックの間合いに入って来る。抜き放とうした。女の手がそれを制した。


「貴女が訳ありなのは分かっております。そして、それが褒められる類のものでないことも...」

 

 女が温かい息を吐く。口内でのたうつ朱色の舌が覗いた。


「ですがぁ、そんなことが関係ありますでしょうか? 愛の獣同士の間に?」


 女が目と鼻の先まで迫る。芳しいラベンダーの香りと湿っぽいハッパの匂いがした。薬中だ。

 ブラックジャックから手を離した。この距離なら締め落とした方が早い。それに、話しが分からない奴では無さそうだ。少なくとも、ヤクの件で強請れはするだろう。状況はイーブンだ。


「じゃあ、何をしたいの? お嬢さん。」


「ああ、“お嬢さん”! “お嬢さん”と呼ばれてしまいましたわ! 安っぽいラヴロマンスのような台詞! けれど、面と向かい合って貴女に言われる何て!」


 女が江川崎の手を取る。火照った白い指と、力強い傷だらけの指が絡み合う。女は江川崎の目を楽しそうに覗き込む。


「何をしたいかと仰いましたねぇ...」


 女の顔が敏捷に迫る。唇にむしゃぶりついて来る。腕が腰に回る。むっちりとした太腿が股座に挟みこまれる。

 江川崎は不意を突かれた。意図が読めない。全く知らない行動規範。

 全身の筋肉を隆起させ、女を引き剥がしにかかる。

 女が更に強烈に江川崎の舌を吸った。首筋を掻き撫でる。赤髪をかき分け、力強く頭骨を握り込む。江川崎の舌に白磁のような歯を立てる。

 

 江川崎は力を緩めた。女の愛撫に応えた。女の柳髪を掻き撫でる。太腿をさする。握り込む。舌を吸い返し、陰部にするりと指を往来させる。ソレは激っている。じくじくと濡れそぼっている。

 唇を離すことなく、女は江川崎を覗き込む。細められた目。愛欲に塗れた瞳。とろりと落ちた目尻。緩慢な瞬き。

 互いに熱い息を吐く。二人の顔の表面を混沌とした風が流れる。熱病じみたそれは、秋の夜風などではなく、熱帯夜に漂うじとじととした微風だ。


 情熱的な愛撫が続く。用具倉庫の窓には二体の絡み合う蛇の影が蠢く。一体はグロテスクなまでの筋肉を纏ったアナコンダ。もう一体は白く艶やかな白蛇。ただし、無い筈の神経毒を双方の牙から滴らせている。


 永遠とも取れる時が過ぎ去った。


 女が涎を引きながら、唇を離す。微笑む間もなく、江川崎は女を突き飛ばす。

 女が端に積まれたマットレスにへたり込む。可愛いらしい声を上げる。わざとらしい三文芝居。素人のAV女優でももう少しマシだ。


 江川崎は、頬に垂れていた涎を拭った。混ざり合い熱を持った唾液。


「ヤリたいことは終わり?」


 腕時計を確認しながら淡々と言った。


「いいえ、これからぁでしょう? せっかくマットレスが有るんですから、このまま押し倒しなさってください。ねぇ?」


 陰部を撫ですさるような緩慢さで女は言った。余裕を装っていた。焦りが少し覗いていた。流れる様にコトに及ぶ筈が、見事に梯子を外されたのが効いたようだった。

 ナンパ師みたいな女だ。


「私にはソッチの趣味も、発情した兎さんに構ってやる時間も無いの。分かるかしら、薬中さん?」


「ダメです! 私もう貴女を一眼見た時から、ココが熱く激って我慢ならないんですの...」


 女が縋り付くような視線を送る。マットレスの上を指が這う。“薬中”という言葉に反応しない。悪びれもしない。

 江川崎はわざと女を無視して、台車に手を掛ける。出ていこうとする。押して駄目なら引いてみる。


「一回きりで良いですのよ。協力出来ることならなんでも致しますから、ねぇ?」


 女が上目遣いをする。己の腕を掻き抱く。セーラー服の上に胸の谷間が浮かび上がる。

 江川崎は台車に手を付きながら言った。


「あら、“副業についてタレ込んでやる”って脅すんじゃ無いのね。下手に出る所じゃ無いと思うのだけれど? 」


「それでは完璧な情事を成すことは叶いませんわぁ。だってそうでしょう? 気兼ねなくお互いを貪らねば肉欲とは言えませんわ。」


 女が艶っぽく笑う。桜色の唇が弧を描く。肉感的な太腿がスカートの下から覗く。乳房の上をしなやかな指が行き来する。

 悪く無い。最高の生き餌。だが、何か引っかかる。美人局には出来ない何かがある。だが、あくまで保険だ。八島の方が本命だ。


「ある男と寝てくれるというなら、考えてあげても良いわ。」


 江川崎は凶悪な笑みを浮かべた。


「ええッ! 男を紹介してくださるの? ヤッタ後に更にヤレる何て、感無量ですわ。インポか性病持ちでなければ誰でも無問題ですのよ。」


 女は目を輝かせながら宣った。江川崎は信じられないものを見たように目尻に皺を寄せた。頭に嫌な予感が過った。


「そんな目で見ないでください。ね? 私こう見えても一途なんですのよ。貴女を初めて目にした時の激りは経験したことの無い、途轍も無いものでしたわぁ。上質なクリスタル以上の飛翔感! アレは不感症になりかねないのですぐ辞めましたけど...」


 薬中特有のアップダウン。語尾は揺れている。イントネーションは震えている。


「コレが連絡先ですわぁ...」


 女が胸の谷間から紙切れを取り出す。お決まりの構図。江川崎はソレを確認する。電話番号。メールアドレス。


         “真田咲“


 女に詰め寄る。首根っこを引っ掴む。締め落とす寸前まで力を込める。目を剥き、凄む。ビッグトラヴルだ。


「何がしたい⁉︎ クスリをキメたい! 女とヤリたい!それ以外の事を言え!」


 咲は恍惚に浸っている。江川崎の太い二の腕を摩っている。慈しんでいる。自分の命を握るその手を。

 江川崎は更に凄んだ。爪を首筋に食い込ませた。

 

「そんなに窒息プレイが好きなのか? 変態女。」


 咲の肢体がぶるりと震える。“変態”という言葉に反応した様だった。救いようが無い。

 咲は痙攣しながら叫び始めた。


「嗚呼ッ。美しい瞳。何でも致しますから、その瞳で私だけを見つめてくださらない? ヒミツはしっかりと墓まで離しませんから、ねぇ?」


 江川崎は手を離した。これ以上は無駄だと判断した。クスリとS◯Xのヤリ過ぎで、脳の何処かが焼き切れているに違いない。全くもって、手に負えない。

 あの男の養子だと公表されているが、隠し子かなのかもしれない。どっちも余りに酷すぎる。


「本当に、何でも仰って良いのよ? お父様と寝て貰いたいのなら、そう言って下さいな。ピースサイン付きで自撮りを送って差し上げますわ。」


 宙を舞う台車。咲の真横を通り過ぎる。マットレスの山を打ち崩す。咲の体が打ち震える。愛と恍惚ではなく、焦りと恐怖。


 江川崎は、キリストに石を放った民衆のような体勢から戻る。仁王立ちになる。薄ら笑いの仮面は剥がれている。怒りが溢れ出している。声は平坦で、その下でどす黒い何かが蠢いている。

 眼球は剥き出しになっている。


「怖がらせて悪かったわね。取引はコレでおしまい。貴女も私も、得るものは無く。失うものものも無い。」


 江川崎は真顔のまま、台車を引き抜きにかかった。咲は動けなかった。なぜ、江川崎がブチ切れたのか分からなかった。


「ああ、そう言えば、コレで中の機材が壊れてたとしたら失うものがあったことになるわね。だけど、心配しなくて結構よ。貸しにしておくから。」


 ガシャンッ!という音。台車が地面に戻る。

 江川崎は中の機材を確認する。梱包材は見事にその役割を全うし、無惨に潰れている。だが、江川崎の怒りは受け止め切るには不十分だった。ハンディカムの一つが砕け散っていた。


「ま、待ってください!」


 咲は愛する人に肉薄する。耳元に寄る。江川崎は真顔のままだ。目は血走っている。血管は炙られた鉄線のようだ。

 咲は命乞いをする様に耳元で囁く。彼女の愛と思惑を。


 用具倉庫には別の時間が流れていた。濃密で、多くの人々を左右する時間が...

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