第35話:SUGAR SUGAR FRUITS?

「本当に山中はすげぇ奴なんだって、江川崎さん!」


 GAVIAL DINERの店内にランディの楽しそうな声が響いた。相変わらず店は閑古鳥が鳴いており、ランディを咎める者はいなかった。代わりに、ステレオからウィルソン・ピケット版の『SUGAR SUGAR』が流れ、甘ったるい歌詞を激シブに歌い上げていた。


「イケメンで、情に厚く、医者の息子で、彼女持ち。それでいて危険なワルの香りがする優等生。たしかに完璧ね。私のタイプじゃないけれど..」


 江川崎はうんうんとわざとらしく頷きながら、ミートローフを頬張った。ただ、それはミートローフとは名ばかりの代物で野菜や豆は入っておらず、チーズとベーコン、牛挽肉を重ねて焼いただけの料理だった。


「江川崎さん、山中病院のメシが幾ら不味いからって、こんな胡散臭いダイナーに入るのはどうなんすか?」


 中田が目の前に置かれたワニ肉バーガーを見つめながら言った。


「そうっすよ。クラブに通ってる俺らでも、こんな安食堂に来たことねぇっす。飯食うのはもう少しデカいチェーン店ですよ、それに食品偽装だのなんだのでこの店かなり揉めてるらしいじゃないっすか」


 ミシェルがベラベラと文句を垂れ流した。しかし、言動とは裏腹に口からは頬張ったチキンナゲットのカスがこぼれ落ち、バーベキューソースの匂いが漂っている。


「それよりよぉ、江川崎さん。山中も凄いけど、あんたもスゲェよ。なぁ、お前ら?」


 ランディはレッドブルの入ったグラスを片手に言った。中の氷が音を立てた。気泡が弾け、甘くスパイシーな匂いが沸き立つ。


 中田が言った。「女の人なのにマッチョだし」


 ミシェルが言った。「おまけに用務員でバイオレンスだし」


「革命で人を殺しまくった挙句、国のトップに座ってる様な輩に溢れてる世の中だって言うのに、喧嘩っ早い女は用務員にすらなっちゃいけないのかしら?」


 江川崎はノンアルコールビールをグビリと飲んだ。デカいゲップをした。恨めしげにジョッキを見た。


「運転する必要がなけりゃ、こんなクソ不味いもの飲まなくて良いんだけれどね」


 江川崎はジョッキをゴトリと置いた。


「じゃあ、何でノンアルビールなんて飲むんすか? 苦いだけだし、太るしで良いことなんて一つもないっすよ」


 ランディはそう言って、美味そうにレッドブルを口にした。食レポをする芸能人の様な笑みを浮かべていた。


「お子様は酎ハイで我慢しときなさい。暫くしたら、ビールが最高の夜の友になること請け合いだから」


 江川崎は八重歯を見せて笑った。ジョッキを握る手が強靭な筋肉の筋を浮かび上がらせた。


「未成年に飲酒を勧める親類のオヤジみたいっすよ、江川崎さん」


 中田がワニ肉バーガーから溢れ落ちたピクルスを摘み取りながら言った。


「中田ぁ。美味いぜ、このバーガーよぉ!」


 ミシェルがバーガーを振りながら言った。バーベキューソースが紙ナプキンにしたたった。


「男の子はしっかりと食うべきよ、 細かいことを気にしないでね。ワニ肉を食おうが食わまいが、私らは他の奴等を食い物にして生きざるおえないんだし」

 江川崎はミートローフの切れ端を挟んだレタスに喰らい付いた。ジャクリ。


「用務員なのに説教じみた話し方するんすね」


 ランディが面白くなそうにキーマカレーを乗せたナンに齧り付いた。


「人に説教垂れるのは好きだけれど、他人にくらうのは大嫌い。って言う典型的な年長者の態度よ。慣れて置いて損は無いわ。若い時に突っ張るのも良いけれど、鼻で笑った上で実力で捻じ伏せるのが一番カッコいいと思うわね」


「山中が正しくそれだ!」


「そうだぜ、あいつはいつだって一枚上手だ!」


「俺らは阿保でも、アイツだけは天才だ!」


 三人は口々に山中を褒め称えた。若干食い気味に。


「とはいえ、手酷くやられたみたいだけれど」


 江川崎は何でも無い様に口にした。ミートローフを咀嚼した。

 ランディは顔を顰めた。憎々しげに言った。


「アレはしょうがない。あんなのを予想出来る奴の方がおかしい。オマケに田上も割り入ってくるなんて尚更だ」


「一撃でラオの奴を吹き飛ばしやがった。あの女は人間じゃない」

 

 ミシェルがフライドポテトを紙ナプキンの上に広げながら言った。


「江川崎さんでも勝てないぜ、ありゃあ」


 中田が負け惜しみの様に言った。それを聞きながら、江川崎は心中でニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべた。黒い満足感が鎌首をもたげた。全くその通り。八島は常人ではない。私の妹だ。血とは別の所で繋がっている。


「でも、アイツの凄い所は腕っ節が強いってことじゃない」


 ランディが真剣な面持ちで言った。中田もミシェルもそれぞれに同意した。


「具体的には?」


「俺らが先輩共のパシリだの、部活の糞シゴキの餌食だの、不登校になってたりした所を引っ張り出してくれたのさ」


 中田が言った。「俺なんて、部屋に籠もってFPSばっかしてた所にいきなり凸ってきて、学校での振る舞い方やら、カモフラ柄の着こなし方をたたき込まれたんだ」


 ミシェルが言った。「パシリから昇格したのは俺」


 ランディが言った。「何も昇格してねぇだろ、お前は」


 ミシェルが言った。「お前だって、上級生に啖呵切ってボコボコにされかけてたじゃねぇか」


 ランディが言った。「お前もその糞どもの一人だよ、ミシェル。奴等と一緒になって俺のケツを蹴りやがって」


 ミシェルが言った。「しょうがないだろ、そうしないと俺の方が先輩にケツを蹴り上げられてたんだから」


 中田が言った。「良いじゃん、結局、俺たち全員でアイツらのケツを蹴り上げてやったんだから」


 三人は口々に自分達の情けなさと武勇伝とを折り混ぜ言い合った。あらゆる感情が溶け合い、渦巻き、響き合っていた。


「仲がいいわね三人共。私が高校の頃はそんな友達はいなかった」


 江川崎は微笑んだ。


「そうなんすか? 江川崎さん。美人だし、運動出来そうだし、タッパあるしでパリピでモテまくりじゃなかったんすか?」


「そういう友達は全くいなかったわ。理解しようともしてなかったし、何より斜に構えて相手にしてなかった。ちょっと辛いことがあって、そこから抜け出せなかったのね」


「うっそお、それダルい奴じゃん」


「ああでも、モテてはいたわよ。特に女からは」


「うわ、それメタくそイメージ出来る。マジで」


「そうそう、秀翫高校でもしっかり言い寄られたわ。ついさっきね」


「うええ!誰に⁉︎どの子に⁉︎アドレス貰った⁉︎」


「咲って子知ってる?」


「うげ、予想通りだ。あの面食い女、手が速すぎんだろ」


「どういう子なの?」


「理事長の娘で、成績優秀、眉目秀麗、ピンクの噂の絶えないスーパービッチ。俺らが入り浸ってるクラブより胡散臭い場所の常連さんらしい」


「情報通だな、ランディ」


「ピンクの噂って、具体的には?」


「養父とヤッタとか、窒息プレイが好き、ハッパ中毒、ドS、ドM、筋肉フェチ、その筋の奴らと繋がりがある、その他諸々」


「彼女と実際にヤッタって子はいるの?」


「結構いるみたいだけど、どこまでがマブなのかイマイチ分からない。あんな美人とヤッタなんて誰もが吹聴したがるもんだからさ。それが嘘だとしても」


「厄介な女の子ね」


「正しくそうだぜ。山中の奴も一度言い寄られたことがあるらしい」


「嘘だろ、その話初耳だぜ、ランディ」


「彼女持ちのアイツがホイホイ言いふらす訳ないだろ、アホタレ」


「そんなこと此処で言っちゃっていいのかな?」


「黙っててくれよ。江川崎さんに対する御礼みたいなもんだ。アイツから口止めされてるわけじゃないからな」


「誰にも言わないわ。約束する。これでも約束は破らないタチなの」


「そう言ってくれると思ったよ、江川崎さん」


「この後はどうするの? 三人共」


「怪我は糞痛ぇけど、我慢出来ない程じゃない」


「パーっと何処かで遊ぶかな」


「おいおいノシたアイツらをどうするんだよ、それにラオ達は?」


「ラオ達は山中の親父さんに任せるしかねぇだろ。闇やってるからって腕が立たない訳じゃないさ、何とかしてくれる」


「猪田の奴らは適当にあしらっておきゃいいだろ」


「教師にはチクらないと思うけど、かなりしつこいと思う」


 三人がき難しげに顔を歪める。中田は強く悩んでいる。流れている曲『SUGAR SUGAR』の真逆を行っている。

 沈黙を破る様に江川崎が口を開いた。


「少年達よ、名案がある」


 三人の目線が江川崎に向く。

 江川崎は徐にビニール袋を取り出した。中には、スタンガンが入れられていた。過剰な改造が施されているのがみてとれた。追加のバッテリー、追加のコンデンサ、消された製造番号。


「あの子達が持ってた代物よ。明らかに違法な改造が施されてるわね」


「そいつを脅しのネタに?」


「私は用務員用の手袋を付けていたから、しっかり連中の指紋は残ってる筈よ。おまけにALSECは最近、この手の検閲に厳しいわ。好都合ね」


「それだけで、アイツら全員を引っ張れるかな?」


「そこは大した問題じゃないわ。兎に角、アイツらが面倒くさいと思えばいいのよ、貴方達をぶん殴る快感より、それが勝れば無問題。いざとなれば、私が協力してあげる」


「どんな協力?」


「そりゃあもう徹底的にやってあげるわ。でっち上げでも暴力でもね」


 三人は顔を見合わせた。微笑しながら碌でもないことを言う女用務員をどう思うかと、目で話し合った。互いにこの用務員が自分達に少なくとも組みしているだろうことを確認した。


「江川崎さん。正直、アンタが何でここまで親身になってくれるのか、皆目見当がつかない。けど、信頼してみようと思うんだ。阿保みてぇなこと言うかもしれないけど...」

 

 ランディは江川崎の大きな瞳を見つめた。


「アンタは損得抜きで動いてる感じがする。それも唯の親切心とかじゃない何か別のものがある」


「罪悪感とかそんな感じ...」


 中田がボソッと言った。


「ハハハハッ、そんなこと言われたのは初めてだよ、少年達」


 江川崎は朗らかに笑った。別段、含みのない笑顔だったが、同時に何も読み取れない類の表情でもあった。


「でも、信頼なんて言葉を簡単に使うべきじゃないわ。年上としての説教ね」


 八重歯が蛍光灯の無機質な光を反射した。消毒済みのメスの様な輝き。

 ランディは訝しげに、ミシェルは面白くなさそうな、中田は情け無い表情を浮かべた。そして、曲の3回目のループが終わり、次の曲が始まった。ビリー・ホリデイの歌う『STRANGE FRUITS』だ。砂糖の甘さは消え、膿んだ死体の甘ったるい匂いだけが残った。

 四人の会話は途切れた様に思われたが、江川崎に飛んだ質問によって皮一枚で繋がった。


「ところで、江川崎さん。アンタが病院で見舞いに行ってたのは誰なんだい?」


 ミシェルが問うた。


「江川崎さん、ずっと駐車場にいたんじゃないの?」


 中田が言った。


「いや、便所に行く途中見かけたんだ。それも、重篤患者が入院してる部屋の方へ行ってた」


 ミシェルが興味深げに江川崎を見る。かなり不躾で野次馬根性丸出し。江川崎の謎めいた雰囲気がそれに拍車を掛けていた。

 江川崎は最後のミートローフのカケラを口に放り込む、ノンアルコールビールで流し込んでから言った。


「私の大切な人が御世話になった人よ。お仕事上のパートナーだったし、飲み友達でもあった。私にとっては親類の叔父みたいな人よ」


 江川崎は朗らかに笑った。


「本当の叔父なんて会ったこと無いけどね」
















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