第36話:MUTUAL AID


 埃っぽい生徒指導室に一人の生徒が座っている。


 これ見よがしな二枚目の顔をした不良、山中太郎だ。顔には悪魔の浮かべる仏頂面より酷い不機嫌な表情を浮かべていた。もう随分長い事そうしていたが、漸く山中は長時間座って痛めた腰を伸ばし、指の関節を鳴らした。


 現在、担任である廣田は部屋にいない。二人分の昼食を取りに行ってくれている。病的な面倒くさがりにも関わらず、そうするのには勿論理由がある。まだ話が終わっていないことと、生徒をパシリに使ったと噂されるのを嫌ったためだ。リスクヘッジと怠慢が導いた及第案だ。

 廣田はそう悪い男ではない。教師としてはおおよそ失格にせよ、人としては理解出来る。ウチの担任は、単なる日和見を望む行動主義者なのだ。


 その方が、刺青入りの怪物女や正義気取りの暴力女よりよっぽど人間らしい。


 廣田は徹底的にコトを隠蔽したがっていた。お互いが口を噤むのを望んでいた。実際、提案を呑むのはやぶさかではない。面倒事が願い下げなのは万人にとっての共通項だ。

 そして、譲れないものを持つという事も同様だ。だが、自分は澤部のトラブルを取っ払ってやらねばならない。どんな手を使ってでも。屋上から突き落とされても。約束したから。彼女が大切であるから。


 最大の後悔。八島の凶悪性を見抜けなかったこと。完璧な自己責任だ。自らフードプロセッサに頭から突っ込むのと同等の愚行だ。


 しかし、あそこで引く事も出来ない相談だった。仲間達を守っているのは悪評であり、醜聞だ。俺達は自分達を大きく見せているだけの腑抜けの集まりに過ぎないのだ。少しでも気を抜けば日は沈んでしまう。問題から退くことは彼らを、彼女を陥れてしまうということ。


 山中は金髪を後ろにかき上げた。埃っぽい部屋に悪態をつこうとした。そして、部屋のドアがそれを待ち受けていたかのように開いた。換気がしたいんだってな?

 

「待たせたね。今日の学食はサワークリームビーフシチューだ。メシが美味いのがこの学校の唯一の取り柄だな」


 廣田が生徒指導室に入ってきた。二人分のタッパーを乗せたトレイを持っている。その横にはポットとホットサンドを乗せた皿。


「こんな部屋でシチューだと? アンタをまともだと思った俺が馬鹿だったか?」


 廣田は困ったような顔をした。眉間に皺がより、下唇を軽く噛んだ。四六時中、廣田が浮かべている表情だ。


「おいおい、山中君。何回も言ってるだろう? 大人を舐めるなとね。僕は君を中々気に入っているんだから、余り評価を下げさせないでくれ」


「俺もアンタが嫌いじゃないぜ、廣田先生。俺らを見捨てやがったこと以外はな」


「なんて失礼な。今もこうして君らの引き起こしたトラブルに親身になって対処しているじゃないか」


 廣田は大袈裟に手を打った。薄気味悪い笑みを浮かべている。親しみと意地の悪さが同居している。


「それで、君は本当に例の件を意地でもやるというのかい? 出来ればというか、是非ともやめて欲しいと、私は強く願うのだけれどねぇ、山中君」


「それで止めるぐらいなら、はなから言い出す筈ねぇじゃないか。奴ともう一度一騎討ちするってのは、男としての決定事項なんだよ」


「一騎討ちして何になるんだね? 僕には君が再びケチョンケチョンにされて、最愛の彼女を寝取られる未来しか見えないんだけれども...」


「勝算がゼロでもやるしかない。ルール無しでやり合ってアイツに勝てる筈が無い。それよりかはルール有りの一騎討ちで、ハメる方がよっぽど可能性が有るってもんだ」


「どうしようもない阿呆だね。あんなガキ後ろからバットで一発だろう?」


「教師とは思えない言動だな」


「どんなに強い奴でも、不意打ち一発かまして、囲んで棒で叩けばそれで終わり。普遍の真理だろう?」


「アイツは違う」


「へえ」


「全く違う。人ですら無い。不条理だ。普遍も何も関係ない。だからこそ、無理矢理ルールに嵌めてしまう必要があるんだ。」


「そんなにかね?」


「そうだ」


 山中はそう吐き捨て、ビーフシチューの詰まったタッパーに手を伸ばした。


「おいおい、もう冷めてるぞこれ」


「しょうがないだろう? 怨むなら、無駄にだだっ広いこの高校を怨んでくれ」


 廣田もタッパーに手を伸ばし、プラスティックのスプーンの包装を開けた。

 

「それよりかは、どうやって八島を嵌めるかを考えた方がよっぽど生産的だ。そうだろう?」


「言えてるね」


 山中はビーフシチューを口に運んだ。冷めきり、脂が浮かび、酸味だけが残ったそれはこの上なく不味かった。


「場所はどうするんだね?」


「旧校舎の屋上だ」

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