第34話:LUNCH TIME
誰もいない屋上。ゴミ箱横のベンチに座り、八島と田上は昼食を共にしていた。
ササミフライも悪くない。八島は分けてもらったそれを食いながら思った。
先程までは、食堂で食べようかと考えていたが、田上が拒否した為に急遽変更となった。田上は自分の決めたメニューを食わねばならないと言って聞かなかったのだ。
そして、田上は隣で海藻サラダとササミフライを貪っている。飲み物はダイエットコークだ。八島は自前で持ってきた軽食と購買で購入したものを食べている。ドリンクは、自販機で買った瓶入りペプシだ。
八島はササミフライを片手にスマホをいじった。姉達の動向を確認した。
どちらも其々の仕事をしっかりと果たしたようだ。幾らかのトラブルに見舞われたようだったが、それは八島も同じだ。
いや、八島の方が先が見えない分だけ深刻かもしれない。山中と廣田はまだお話の最中で、昼食まで一緒に食いそうな調子。奴と話を付けるのは、いつのことになるか判然としない。兎角、待つしか無い状況。性に合わない。
「なあ、人とメシ食いながらスマホ弄んのは無しだ」
田上がスティレットの如き視線を突きつけた。
「すまんね。少し真田の件でさ」
八島はスマホをコートの裏に仕舞った。
「奴はそんなにヤバいのか?」
「ヒーロー気取りが、そんなことも知らんでどうするよ」
「彼奴の情報は幾らチンピラを痛め付けた所で出てこない」
「そりゃそうだ。住む世界が違う」
「だからといって、諦めるわけにはいかない」
田上はダイエットコークのボトルを握り潰した。幸運な事に中身は半分以上飲み干されていた。
「だから、私達が動いてんだろ? 目的は金だけど...」
「知っている。唯の利害の一致だ。だが、俺は妥協しない。それだけは肝に銘じておけ」
「格好良いセリフだ。焼きそばパンの紅生姜ぐらいイカしてる」
八島は購買で買った焼きそばパンの包み紙を剥いた。コート下から取り出した七味をかけた。あっという間に、真っ赤になる。紅生姜と麺の見分けがつかなくなる。
「亜紀、マジでそれを食べるのか? あのタコスを食った後に?」
田上は信じられないと言うように、真っ赤になった焼きそばパンを睨む。親の仇に向ける様な目付き。
「アレは元々、オヤツのつもりで持ってきたもんだからな。今からがランチタイムだぜ!」
八島は焼きそばパンに元気良く喰らい付いた。田上は顔を顰めた。
「お前の辛党っぷりも気になるが、取引の方が気になる。俺はもう協力した。次はお前の番だ」
八島は口を忙しなく動かし、あっという間に焼きそばパンを呑み込んだ。
「力の由来が知りたいんだったな?」
「ああ」
田上は指を組み、聞く姿勢に入った。目付きは更に鋭くなった。
「そんな顔して、本当に友達いんのか?」
「くだらない」
「私の力の由来の方が、くだらないと思うけどね...」
八島はペプシをラッパ飲みした。口の中を消火した。それから、話を切り出した。
「なあ、田上。呪術って信じるか?」
「真面目に答えるんじゃなかったのか?」
「まあ、待て。今は私が話してんだ。水を挿すな。」
八島は焼きそばパンを一口齧った。咀嚼しながら喋った。
「でだ、前提として、私は呪術に関するスピリチュアルな部分をこれっぽっちも信じてねぇ。だけどな、語られるからには、何かがあるのは間違いない。インチキにもタネが必要だからな。オチが集団ヒステリーってのもままあるにせよ....」
八島は田上の顔を見た。いつになく真面目腐った面をして。
「コイツを見てみろ」
八島はコートの袖を捲った。忌々しい刺青を露わにした。校則違反間違いなし。おまけに、それは蠢いている。餓狼が涎を撒き散らし、野山羊が唾を吐き散らし嘶いている。
「そのキモい刺青は何だ?」
“キモい”。確かに、それが一番相応しい形容詞だ。その幾何学模様は実に抽象的で、絶えず変化し続ける。時に狼、時に山羊、悶絶する人面に見える事もある。LSDでキマると壁の滲みがジーザスに見えるのと同じ事だ。
八島は戯けて言った。諦念と残虐性が小匙一杯だけ込められていた。
「コイツが全ての元凶だ。私が生まれ育った所で彫られた代物だよ。脊椎に針を刺されるぐらい痛かったぜ」
「麻酔は?」
「あったら痛かねぇよ、アホタレ」
八島はペプシを飲み干した。二日酔いから逃れようとアスピリンを流し込む酔っ払いのように。
「“サック・ヤン”ってのを聞いたことは?」
「無い。また、呪術か?」
「近いな。糞長いステンレスの針で手彫りする刺青のことだ。タイかどっかの風習らしいが、魔力が宿るらしいぜ」
「馬鹿馬鹿しい」
「勿論、馬鹿らしいし、キモい。だけどな、それを真に受けてやり出す奴等がいるのさ。私が育ったのはそう言う連中が作り上げた場所だった」
八島はペプシの瓶を持った方の手で、袖を戻した。それから、遠くのジェーン・エアの像を見た。
「“景心立教会”ってのが、連中の名前だ。キリストと仏の教えに精霊信仰を足してご都合良く改訂したような教義をしてやがった」
「よくあるチャンポン新興宗教だ」
田上が肩をすくめた。八島はウンザリした様子で後を継いだ。
「奴等が本気で呪術を信奉していなけりゃな。
連中はそれを信じて止まず、自分達が正しいことを知らしめる術を探していたんだ。“神の奇跡”を起こしたかったわけだ。
そして、連中はありとあらゆる文献を調べ上げ、遡れる所まで遡った。専門の調査チームを作り、十数億もの金を投下した。その金の多くは、メタンフェタミンとヘロイン、連中オリジナルのヤク“唱礼”から来ていた。
奴等は支部を世界中に持ち、夜柝市にも食い込んでいた。だが、後者に関しちゃ過去形だな。麻薬ビジネスはあくまでタックス・マンズが牛耳ってる。
昔、一騒動あったんだ。デカいのがね」
田上が口を挟んだ。
「その件に関しちゃ知ってる。“法人税戦争”だな?」
「そう、徴税官vs宗教法人の構図を揶揄って、そう呼ばれてる。じゃあ、その時タックス・マンズとALSECがグルだったって知ってるか?」
「噂で聞いたことがある。それに、自分で調べたことも。」
「結果は?」
「ALSECのガサ入れやら、パトロールでの検挙がどうもタックス・マンズに都合が良すぎだ。おまけに、タックス・マンズ側のカチコミにALSECの到着が遅れることも異常に多かった。ここまであからさまだと、何らかの取り決めがなされていたのは間違いない、と言っていいだろう」
「流石だな、ディック・トレイシー。報酬はササミフライか?」
「二度と、昼メシは分けてやらん」
「へそ曲げんなって。とっておきを聞かせてやるから」
「漸く、脱線した話がもとに戻るのか?」
「そうとも言えるな。景心立教会本部が法人税戦争の直下に焼け落ちたのは知ってるな?」
「ああ、派手に燃えたらしいな。今日が確かその日だ」
八島は屈託のない笑みを浮かべた。誇らしげに、口を滑らせた。
「マジか、そうだったかな? あれをやった張本人が覚えていないなんて、笑えるなぁ全く」
田上は眉を顰めた。何も言わない。八島はそれを気にせず続けた。淡々と、咀嚼するように。
「そう、あれをやってのける事が出来たのは、ひとえにこの刺青のお陰だった。そして、コイツは例の調査チームが発見したものが元になってる。汚れた金と信心で奴等は何を見つけたと思う?」
「知らん。ブッダの男根でも見つけたか?」
一方、田上は吐き捨てるように言った。
「ギャハハッ!違うね。ブッダのアレで刺青を彫っても林檎病にかかるだけさ。正解は“麻黄”だ」
「マオウ?」
「そう、新種の麻黄だ。本来は漢方薬やら、アルカロイドを抽出して覚醒剤の原料に使う代物なんだが、奴等が見つけたのは一風変わっていたんだ」
八島は苦笑した。奥歯を噛み締めた。
「マスタードガス。化学兵器の王様。2,2'-硫化ジクロロジエチル。その誘導体が、含まれていたのさ」
田上は眉を顰めた。呪術から似非科学への急激な転向に困惑した。
「俺は文系なんだがな...」
「教科書の件で茶化された意趣返しさ」
八島は悪戯っぽく笑った。そして、続けた。
「2,2'-硫化ジクロロジエチル。構造式自体は単純だが、かなり強力なびらん剤で多少弄れば抗がん剤にもなる特殊な物質だ。蛋白質やDNAの窒素と反応することで、その構造を変性させたり、DNAをアルキル化し、遺伝子をグチャミソにして、毒性を発揮する。そして、その性質上、強力な発癌性を有するのはいたって当然のこと。其処がこの力の鍵だ。理解したか?」
「さっぱりだな」
「高校化学で習う程度のことしか言ってないぜ?」
「じゃあ、その毒ガスが最初に使われた戦場はいつ、どこだ? 西暦何年だ?」
「文系と理系の張り合い以上に不毛なものはないなぁ、田上」
「2-Aは文系のクラスだ。理系はお呼びじゃない」
「留年せずに乗り切り易いのは、どう考えたって文系だからな。私が文系で転入したのは、そういうこった」
「舐めやがって」
「舐めちゃいないさ。世の中、適材適所だ。脳味噌に化学式しか詰まってない奴が映画をとっても、限界があるぜ。なぁ?」
「もういい、早く刺青の正体を言え。麻黄がどうしたら、そんなキモい刺青になるんだ」
八島はとびっきりいやらしく笑った。
「墨と混ぜて彫り込むのさ、赤子の皮膚にな」
八島の笑みが深くなる。眼が見開かれる。
「サック・ヤンの原形が、誕生したって土地で行われていた不思議な風習だ」
蟻を潰して遊ぶ子供の様な笑みを浮かべる八島。泣き笑いの様でもあった。
「グロいが、それでどうなるっていうんだ? 刺青、彫ったチンピラなんて腐る程凹ませてる。見栄だけだ。タフか否かは、そんなもんじゃ決まらない」
田上はつまらなそうに言った。肩透かしを食らったと、露骨に抗議していた。
「早い話、癌になるのさ」
「可哀想にな。墓に線香ぐらいはあげてやる。短い付き合いだった」
「そういうなって、早合点し過ぎるのは悪い癖だぜ」
「癌でそんな風になるわけがない。いい加減にしろ」
「わかりやすい言い方がそれぐらいしか見当たらなかったのさ。でも、まるっきり間違いというわけでもない。皮膚癌で悪性黒色腫が生じるのと同じように、私の刺青は出来上がっている。刺青の墨なんざ、ほんの一部に過ぎない。この蠢く黒い紋様は私の細胞そのものなんだ」
「その特殊な細胞が力を生み出していると?」
八島は口をへの字に曲げて頷いた。確信までは至っていないと、顔で語っていた。
「どうあれ、力と鈍痛が手に入ったのは間違いない。アメコミばりのスーパーパワーと末期の癌患者が感じるのと全く同じ痛みをな」
「その刺青が入っているところ全部が痛むのか?」
「ああ、痛い。少し前に手術して貰ってマシになったが、それでも疼く」
八島は腕をさすった。衣ずれの音がする。刺青が再び露わになる。
「痛覚なんて無くなる程に痛んでも、心臓がどくどくという度に、ゲロを吐きたくなる程痛むんだ。鎮痛剤も効きやしない...」
八島は卑屈に笑った。焼きそばパンを頬張る時と全くの別人に見えた。刺青は彼女を嘲笑う様に蠢いてる。狼が遠吠えし、山羊が草を貪っている。何方も嫌味ったらしく。
田上は目を細めた。ボトルをと包み紙を脇に置き、言った。
「同情して欲しいのか?」
“同情”。その言葉を発した田上を、八島は悪鬼の様な形相で睨み付けた。ペプシの瓶を握り潰した。力んだ腕には筋肉の筋が浮かび、刺青が隙間無く肌を埋め尽くした。
八島は割れたペプシの瓶を掴み取った。割れ口は鋭く、凶悪だ。今の八島の形相とタメを張れる程。
「そいつはなぁ、田上! 私に最もいらねぇもんなんだよ!」
八島は割れた瓶を振りかぶった。田上はそれを打ち砕こうとストレートを放った。
しかし、ペプシの鋭い切先の方が先んずる。
ガラスが突き立つ。田上ではなく、八島の剥き出しの肌に。刺青を数ミリ押し込み、止まった。血は噴き出なかった。防弾ベストを玩具のナイフで突き刺した様だった。
田上はストレートをピタリと止め、目を見張った。
「こんな力が手に入るなら、同情される筋合いはねえんだ。何も手に入らずベッドに縛り付けられてる奴もいるんだからよぉ」
八島はそう言って、空き瓶を遠くのゴミ箱へ放った。田上は手を引っ込め、席に座り直した。
「面白い実証実験だっただろう? いつ脅かしてやろうかと悩んでたんだぜ、感謝してくれよな」
「悪趣味な女だ」
「同情よりその言葉の方がよっぽど嬉しいぜ、田上」
八島はコートの裾を戻して、続けた。
「私はこのクソ刺青を物心ついてから、ひたすらに彫り込まれ続けた。当時の私は、その事について全く疑問を持っちゃいなかった」
田上は真剣に聞いている。律儀な奴。悪戯も無礼な言動も全く気にかけていない。
「ある日、阿保なロクデナシがやってきたんだ。口は悪くて、粗暴で、喫煙中毒者。おまけに病的なまでのナルシスト。だけど、立教会の信者じゃない男。
その男は、私に新しい経典をくれた。別の世界を見せてくれた。そいつは....」
言葉が出なかった。
「そいつは何だって?」
田上は真剣に、真面目に、実直に、耳を傾けていた。笑い話にはなりそうもなかった。
八島は黙りこくった。昼休みは終わろうとしていた。
「田上、お前って一応は優等生なんだろ? 昼休みが終わっちまう前に行かなくちゃあな」
八島は言い訳を捻り出し、逃げる様に話を切り上げた。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
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