第32話:MATCH POMPU
「おいおい、山中はどうしたよぉ?」
裏門近くのフェンス際に声が響く。タバコで喉をやられたガラガラ声。あからさまな嘲笑を含んでいる。
向かい合う二つの集団。一つは山中のいない2-Aの6人組。対するは高3を含んだ9人組。刈り上げの奴。刺青シールを貼った奴。どいつも大いに柄が悪い。紋切り型だ。
「何すか先輩方。俺ら急いでいるんで、通してもらえませんかね?」
ランディが前に進み出て言った。
「早退はいけねぇよ。ランちゃん。先輩方に一言くれなきゃよぅ」
フィールドジャケットを羽織った大柄な男が言った。雄牛がプリントされている。涎をはきちらし、猛っている。男の顔も丁度そんな感じだった。
ランディの顔を覗き込み、続けた。
「満身創痍じゃねぇか。何かあったのかい?」
「あんたらにゃ、関係ねぇだろ。猪瀬さん」
中田が迷彩パーカーに手を突っ込みながら言った。
「いゃ〜あるだろぅ、なぁ?」
猪瀬と呼ばれた雄牛男が背後の仲間達に問うた。
「そうだぜ。生ぁ言ってる後輩達が満身創痍なんてなぁ!」
「やらせてクレェ! 絵里香ちゃぁん!」
「此間、山中にゲロ吐かされたからな。八つ当たりさせてくれよぉ!」
口々に叫ぶ不良達。
「そういうことだ、八つ当たりに付き合ってもらうぜ」
猪瀬は下卑た笑みを浮かべ、ランディに掴みかかる。
ランディは素早く反応し、伸ばされた手を横掴む。横にそらし、頭突きをかます。仰け反る猪瀬。そのままヤクザキックで蹴飛ばす。猪瀬の股間に足跡をつけて。
「アウアウアァァっっっっッ‼︎」
猪瀬が股間を押さえて絶叫。背後の仲間からの大爆笑。
「山中がいなくてもな、それなりに場数踏んでんだよ」
ランディが切れたネクタイを左右の拳巻きつけながら言った。
「アウーーッ!俺のドキンタマを蹴りやがって!くそネクタイがぁ!」
猪瀬が叫ぶ。
その傍ら、ミシェルがベルトを引き抜き、ラオも巨大な拳を握り締めた。中田は武器になるものを探した。が、大したものは見つからず諦めて素手で構える。
氷河流は痛むシンナー漬け頭を押さえながら、ナイフを抜き、澤部を庇った。
一触即発。まさにその時、ガラガラと間の抜けた音が聞こえてきた。全員の視線が音の方を向いた。
ゴミを満載した台車。そして、それを押す用務員。髪は赤錆の色。隆々とした筋肉。
それは6人組にとっての僥倖であり、ことの元凶であった。
••••••••••••••••••••••••••••••••
江河崎はゴミ捨て場に向かう途中、チンピラの囀りを聞いた。
それは鉱山のカナリアの囀りと同様、警鐘以外の何物でもない。避けて通るべきトラブルの前兆だ。普段なら...
この時に限っては、トラブルは避けて通るべきものではなかった。打ち砕くべきものだった。
大いに、随分と、気が立っていたのだ。八島のトラブルと、地下での少女との邂逅で生じた柄でもない葛藤のせいだ。
だから、深く考えずゴミ捨て場へ直行した。絡んできても、八つ当たりがてら脅してやればいい。そうとしか考えなかった。
チンピラ達は二つに分かれて睨み合っていた。お決まりの様相だ。
何方に組するか? 単純だ。殴って楽しそうな方に決まっている。
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江河崎は棒読みで言った。「何やってる!」
刺青シールの不良が猪瀬を見る。「くそ用務員が来たぜ、どうする?」
猪瀬がけむくじゃらの拳を握った。「ふざけんじゃねぇ、用務員見て尻をまくる漢が何処にいるってんだ」
ランディは氷河流に向けて合図した。早く行け。
氷河流は澤部の手を引き駆け出した。ラオも後に続いた。足手まといになるのを分かっていた。それだけ八島の蹴りは痛烈だった。
三人はゴミの台車の横をすり抜け、裏門へと走った。
「アッっ、おい待て!」
刈り上げ男が叫び、三人が後を追おうとした。しかし、ゴミの台車が音を立て、その行く手を阻んだ。
「何やってる?って聞いたんだけど」
江河崎が、後を追手の三人の前に出た。顔は快活なまでに笑っている。
真ん中の刈り上げ男が江河崎に凄んだ。口泡を飛ばした。臭い息を吐いた。
「ンダッ、テメッコラーッツ!!!」
男の息は突然止められた。江河崎の傷だらけの指が男の首を掴み、締め上げ、持ち上げてたのだ。鶏を屠殺するように。
男が目を剥く。暴れる。江河崎の太いの二の腕を叩く。
「まっちゃん!」
「フザケンナ、テメェ!」
残りの二人が拳を振り上げる。踏み込む。靴が地面を踏みしめる。
江河崎は何でもないように刈り上げ男を左に放った。白目を剥いた刈り上げ男は左の奴に激突。よろめかせ、躊躇わせた。
江河崎は右の奴にエルボーを放つ。右の奴のショベルフックを甘んじて受ける。分厚い筋肉の鎧がそれを阻む。ショボい衝撃。
対して、エルボーは右の奴の心臓を貫いた。男は仰け反った。そのままフックキック、男の右膝にブーツの爪先をめり込ませる。
男が素っ転び、台車で後頭部を撃った。
「ククソッタレぇぇ!」
態勢を立て直した左の奴が殴りかかる。
江河崎は肩でそれを受け、わざとらしく派手にぶっ飛ぶ。台車まで後退する。台車のゴミから古新聞を一部抜き取り、立ち直りざまに台車に寄り掛かる男に蹴りを入れた。意識を刈りとった。
左の奴は予想外の衝撃に顔を顰めながら、ニヤニヤと笑う江河崎を睨み据えた。
「ねぇ、ココらで“ごめんなさい”した方が良いんじゃない?」
江河崎はミルウォーク・ブリック(新聞を丸めて作る棍棒)を拵えながら言った。
奥の方では、ランディが猪瀬と一騎打ちを繰り広げる。中田が投石し、ミシェルがベルトで刺青男を打ち据える。収拾はつかなさそうだった。
「ダメみたいね。」
江河崎は左の奴に向かって戯ける。男はブチ切れ、スタンガンを抜いた。火花を吐き出し、凶悪な音を撒き散らす。男は乱暴にそれを突き出した。
「捻りが無い」
江河崎はミルウォーク・ブリックで男の手首を打ち付けた。手首の骨がヒビが割れる。スタンガンが中を舞う。
江河崎はそれを掴み取り、再びブリックを振りかざす。手首を押さえて悶える男の鼻面にブリックを叩き込む。男は仰向けに倒れこむ。
突然。背後からの風切り音。
江河崎は叩き込んだ勢いのまま身体を丸める。間一髪、頭上をバットが過ぎて行く。
「惜しい!」
江河崎は振り向き様にブリックと賞賛を投擲。ノーコン男の顔面にストライク。いや、デッドボール。
江河崎はスタンガンをバチリッと鳴らし、ノーコン男の腹に突き込む。閃光が走り、男が痙攣し、白目を剥く。異常な電圧。
「脱法級の玩具ね、いけないガキ共」
江河崎はスタンガンをポケットに放り込んだ。没収した。代わりにバットを拾い上げる。あまり良い思い出のある獲物ではないが、威力はラムレーズン味のハーゲンダッツ級だ。
「ウグッ!」
ランディが重いのを一発貰った。猪瀬はストレートで追撃。ランディはよろめくようにそれを避け、猪瀬に右頬に掌底を繰り出した。
ミシェルと中田は背中合わせになり、周りを取り囲む四人と対峙している。状況は膠着している。
江河崎はアスファルトをバットで叩きながら叫んだ。
「野糞頭。ダサ剃り込み。シャツ出し。安物スニーカー。数の暴力は楽しいなぁ?そうだろ⁈」
即席の渾名を吐き散らす。あからさまな挑発。全員が見事に引っかかる。ちなみに、野糞頭とはドレッドヘアーのことだ。
中田とミシェルはその隙を逃さない。それぞれ、シャツ出しと安物スニーカーに突っ込んで行く。
江河崎はバットをブンブンと素振りしながら距離を詰める。野糞頭とダサ剃り込みは距離を測りかねる。素人には対処が難しい行動。
江河崎は真顔でバットを投擲した。素振りの勢いそのまま、何の前触れも無し。バットは回転する。空を飛ぶ。ダサ剃り込みの脇腹にめり込む。いろんなものを吐き散らしながら崩れ落ちる。
野糞頭が摺り足で距離を詰める。悶絶するダサ剃り込みを気にも留めない。冷たいやつだ。堅実さが滲み出ている。
江河崎は驕っていた。舐め腐っていた。手を抜いていた。ツケを払うことになった。
野糞頭が鋭く一回転、上段蹴りを放つ。スピニングサイドキック。予想外の大技。堅実さはフェイント。怒りの一撃。
江河崎の頭を踵が抉る。頭がぶっ飛ぶ衝撃。カチューシャが外れ、宙を舞う。
野糞頭が態勢を戻し、左右のコンビネーションを繰り出す。江河崎の胸と顎、鳩尾を的確に抉る。
怒涛の連撃。断続する衝撃と痛み。その中で、江河崎は笑い転げていた。闘争と激痛と大人気なさに酔いしれた。葛藤を忘れ、華麗なコンビネーションを楽しんだ。戒めと快楽の為に。
「ハー、ハー、ハー」
江河崎の吐き出す笑い声。
野糞頭のラッシュが止まった。否、止められた。江河崎の手が野糞頭の手首を掴んでいた。万力のごとき握力。ミシリと骨が軋む。
野糞頭は苦痛に顔を歪める。江河崎に膝蹴りを叩き込もうとする。
江河崎は男の両手を下へとおもいきり引き込んだ。身を引いた。男の上半身は勢いよく二つ折りになり、顔面は自身の膝へと吸い込まれる。
野糞頭の肩が外れる。鼻骨がひしゃげ、鼻血を撒き散らし、倒れ込む。顔面でアスファルトを擦る、拭き掃除をする。
江河崎は他の連中を見渡した。
ベルトの少年は安物スニーカーを絞め落とそうとしている。迷彩パーカーは地に伏したダサ剃り込みに蹴りを入れている。
勝敗が決していないのは、くだらない一騎打ちだけだった。
江河崎はカチューシャを拾い上げ、髪を整えながらそれを見物した。
猪瀬がストレートを繰り出す。ランディがサイドに避け、脇腹へとサイドキックを放つ。しかし、猪瀬はそれを物ともせずラリアットを繰り出す。ランディを引き倒す。
ランディは仰向けから、身を捩って腹を隠すように丸まった。間一髪。
猪瀬が容赦ないローキックがランディの背に決まる。太く強靭な脚による一撃。
原付級の衝撃。逆らわずランディは転がる。地に手を突き、跳ね起きる。低姿勢のまま猪瀬にタックル。地を蹴り、ひとっ飛び。
猪瀬はそれを膝で迎え撃とうとした。間に合わない。猪瀬の鳩尾に頭骨が突き立つ。
今度はランディが猪瀬を引き倒す。マウントを取る。間髪入れず、拳を繰り出す。殴る、殴る、殴る。マスタード色のネクタイが真っ赤に染まるまで。殴る、殴る、殴る。猪瀬の意識をぶっ飛ばしてもなお。殴る、殴る、殴る。
「はい、止め止め」
江河崎がランディの肩を掴み、引き離した。
「アアッ‼︎」
ランディは叫んだ。そして、我に帰った。血みどろの猪瀬に気付いた。
「喧嘩はやり過ぎちゃいけないし、殺しはやり過ぎなくちゃいけない。そこが違いよ。」
江河崎は微笑んだ。ミシェルや中田もそれを気まずそうに見ていた。
ランディが言った。「あ、あんたは何なんだ。残りの奴らは...」
江河崎が言った。「用務員さんよ。ゴミを片付けに来たの」
中田が言った。「スゲェ強いなあんた。女版ジェイソン・ボーンだ。」
ミシェルが言った。「どうして、俺らの味方を?」
江河崎が言った。「ドードードー、質問は後から受け付けるわ。貴方達がゴミ捨てを手伝ってくれた後にね。」
ランディが大口を開けた。「はあ?」
ミシェルが言った。「俺達、友達を病院へ連れてかなきゃいけないんだ」
中田が言った。「灰色髪のコートのクソ餓鬼にボコられてよ。今にも死にそうなんだって」
灰色髪、コート、クソ餓鬼。思い当たる事しか無い。だとしたら、とんでもないマッチポンプだ。
江河崎は考えた。どうするべきか。他の仕事は粗方終わっている。高見の方は順調であるし、いつ取材を切り上げても構わない。八島の方は厄介な教師の厄介になっているようだが、話は上手く付きそうだった。
差しあたる問題は無く、ある意味においてはこの遭遇は僥倖である。マッチポンプは我々の得意芸だ。それが、偶然によるものであっても。
見せかけの恩を売り付けるのだ。
「ゴミを捨ててくれたら、私の車で送ってあげてもいいわ。どうせ、すぐにお昼休みだしね。」
不良達は顔を見合わせた。
「取り敢えず、血だけ流してきていいか?」
ランディは血塗れのネクタイを振りながら申し訳なさそうに苦笑した。
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