第31話:TROUBLE BUSTER ②
面接指導室。合わされた二つの折り畳みテーブル。合計六脚のパイプ椅子。灰色の壁に燻んだクリーム色の床。カーテンから漏れる陽光。
新築だと言うのに、この部屋だけは良くない年の取り方をした老人のようだった。
担任は中に入るなり、蛍光灯のスイッチを入れた。舞い散る埃が浮かび上がった。
「ゴホッ、ゴホッ。この部屋嫌いだけど、面倒事はもっと嫌いだからしょうがないよね。」
担任はそう言ってパイプ椅子に腰掛けた。噛みタバコを取り出し、口に放り込む。
「昔は教室で紙煙草を吸ってても、何も言われなかったんだけどねぇ..ああ、どうぞ座って」
八島と田上はパイプ椅子に一席分の間を空けて座った。クッションからカビ臭い空気が漏れた。
田上は膝に手を乗せ、背筋を伸ばし、面接を受ける就活生のような体勢を取る。八島は目線を軽く逸らし、左手で右腕を握った。罰の悪いような雰囲気を演出した。
「じゃあ、事の顛末をしっかりと話してくれないか? 取り敢えず、田上さんの口からだけでいいから」
担任は優しげに言った。
「そうさせて頂きます。」
田上は一呼吸置いた。
「大方、予想がつくと思いますが亜紀さんはホームルームの後、本校舎の離れにある工事現場跡まで連れて行かれました。私はどうしても気掛かりでして、後をつけていきました。単純な正義感からの行動です。酷いことになるのは目に見えていましたから。」
「それで?」
担任は噛みタバコを噛み締めた。歯茎と溶いた黄身のような色の歯が覗いた。無残に噛みタバコは歪んでいる。
田上は続けた。
「八島さんはフェンスぎわに追い詰められ、ナイフを突きつけられました。八島さんのコートを見ていただければ分かりますが、見事に裂かれているでしょう」
田上は八島のコートを指さした。裂け目からはゲーム機が覗いている。八島は咄嗟にそれを手で隠した。ナイフを突きつけられた事を思い出して恐怖しているかのように。実際はゲーム機を没収される事を恐れていたのだが。
「それで、私が止めに入りました。」
担任は二人を見比べた。つぶらな丸っこい瞳は良く動き、安っぽいセルロイドの人形のようだ。ナイフという単語にも反応を見せない人形。
「それで?」
「口論に発展しました。一触即発という状況です。次に、ネクタイを肩にかけたランディが八島さんの胸倉を掴みあげました。首が絞まるほどに強く。」
八島がコクリと頷いた。
「そして、八島さんは頭突きをかましました。メシャリと」
教師は片眉を上げた。
「本当かい? 八島さん」
八島は再び頷いた。
「死ぬほど苦しくて、咄嗟にそうしました。拘束は外そうともがくより、相手に一撃を喰らわせる方がいいので...」
田上は若干、眉を顰めた。余計なことを言うな。
「随分しおらしくなったね。八島さん」
担任は噛みタバコを頬にためながら言った。
「いきなりナイフを持ち出してくるなんて予想してませんでした。殴る蹴るで済むと思っていたのですが...そっちの方は前の学校で慣れていたので...ね」
「そこから血みどろの喧嘩に発展しなかったのかい? そうならない筋書きの以外思いつかないんだけれど...」
「危ないところでした。あそこで山中君が他の六人を静止しなければ」
「どうやって?」
「『止めろ』の一言でした。場は静寂に包まれ、それから山中さんは口を開き、八島さんに凄みました。『謝れ。それで終わりにしてやる』」
担任は頷いた。実にわざとらしく頷いた。
「うーむ、咽せるね。まさに二枚目という感じだ。八島さんは謝ったのかい?」
「はい。謝った後は山中さん達は、ダサい捨てゼリフも残さず何処かに行ってしまいました。その後どうなったかは知りません」
「そうか...」
担任は出席簿の白紙のページを千切りとり、そこに噛みタバコを吐き捨て、ぐしゃぐしゃに丸めた。
「この際だから、正直に言わせてもらおう」
部屋の端に据えられた屑籠へ担任は紙の塊を放った。それから、二人に再び向き直り、目を細めた。
「私は君達が嫌いだ。今すぐにでも警察かALSECに突き出してやりたいぐらいに。何が愛すべき生徒だ? 知ったことか」
担任は更に目を細めた。
「お前らは私を舐め腐っているんだろう。俺は良く知っているんだ。お前らは俺の名前すら口にしない。何が“担任”だ。俺は、廣田和郎だ。」
歯茎を見せて笑う“担任”。
「おい、今、“担任”だと思っただろう。違う、廣田だ。」
廣田は上目遣いで二人を見た。
「私は、面倒事が嫌いだ。これ以上トラヴルを引き起こすなら私にも考えがある。」
廣田はポケットからスマートフォンを取り出した。電源を入れ、パスコードを入れ、二人に画面を向けた。
写っているのは八島の在籍個票。八島のむっつりとした顔写真、転入時に提出した個人情報が載っている。
「この高校に転入する前は、“阿澄高校”に通っていたんだってねぇ?」
廣田はスマートフォンを揺らした。八島は何も言わず、頷いた。
「だがねぇ、私の友人の阿澄高校に勤務している教師に聞けば、八島亜紀なんて生徒はいなかった。というんだよ。過去の名簿を調べて貰っても、名前も、灰色の髪も、ふざけた入れ墨も、見当たらないそうだ。」
廣田はスマートフォンを手元に戻した。
「次に、役所に問い合わせてみた。“私は高校の教師をしております。これこれこういう書類の不備でして、八島亜紀という生徒の名簿に食い違いあります”とね。日がな暇を持て余している連中は快く協力してくれたよ。」
上目遣いのまま口角を吊り上げる廣田。錐で空けたようなエクボが贅肉の上に浮かび上がる。
廣田は言った。
「お前を産んだのは誰だ?」
八島は作り笑いをした。八重歯を見せ、目尻に皺をつくり、コートの下に手を伸ばした。田上は不動だ。
「まあ、待て」
廣田は手でそれを制した。わざとらしく、慇懃に。
「多感な時期の問題児を扱うのに、何も準備してきていないわけがないだろう?」
廣田は椅子を引き、スマートフォンの画面を向けながら、挑発する様にそれを振った。画面にはPDFファイルの添付されたメール。宛先は“理事長”
「どうするかい?」
八島はコートから手を離した。
廣田は微笑み、頷いた。
「廣田先生はどうしたいんだ? 援交でもしたいのか?」
田上が廣田を睨み付ける。
「守備範囲外だよ。どうして、こんな仕事をしているのやら....」
廣田は戯けた。そして続けた。
「私が言いたいことは単純明快なんだ。面倒を起こすな。人を嘗めるな。」
廣田は画面をチラリと見てから言った。
「私は面倒事が嫌いなんだよ、心底ね。転入生と聞いた時には絶望したんだ。まさにビッグトラヴル。だから、最小限に被害を抑えるため尽力したんだ。事前に手を打つため、生徒の個人情報を片っ端から掘り起こした。そして、結果的に更なるデカいトラヴルを発見することになったわけだ。良い教師だろ?」
「覗き趣味の変態が?」
八島はうんざりしたように言った。
「生徒によく目を配っていると言って欲しいね」
「貴方がそんな方だとは知りませんでしたよ。廣田和郎」
田上が言った。スティレットの鋭さが秘められている。廣田はそれに微笑で応えた。
「私の方は知りたくもないよ、君が裏でやってることなんてね。表向きマトモにしてる限り、何も手出ししないし、したくもないんだ。若気の至りの正義感に付き合う程疲れるものはない」
田上は顔を顰めた。廣田は気にも留めず続けた。
「だが、隠そうとする姿勢は評価するよ。さっきの作り話だって、中々のものだ。あのまま上手くやってくれれば良い。私も上手くやろう、事は荒立てないし、これ以上深入りしない。だけどね...」
廣田は八島を見た。
「あの自己紹介は全くもって最悪だ。教室でやる事じゃない。路地裏でやれ、そしてお互いに喉笛を掻っ切って死んでしまえ。」
喉元で親指を一閃する廣田。
「血がドバーッ! ブッダとキリストに小便をかけられ、そのまま腐って消えちまうんだ。南無阿弥アーメンだ。問題児め」
廣田は震えながら捲し立て、スマホを握りしめ、天を仰いだ。平穏を愛する敬虔な信徒のように。
「口裏を合わせるなりなんなりしろ。そして、完成品を私に渡せ。いいな?」
二人は肩をすくめるしかなかった。
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