第59話:黄金の手記

 扉の両脇に待機していた二人のSPが一斉に銃口を緑川へと向ける。

 だが、緑川の方が遥かに機敏だった。手近な奴の胸倉へと掴みかかり、放り投げた。大の男一人が軽々と宙を舞う。冗談じみた光景だ。


 緑川はジャージのポケットに突っ込んでいたダブルバレルを取り出し、二連同時に発射した。空中で血しぶきが舞い、SPの体が両断される。内臓という内臓が腸に混じった糞と共に、もう一人のSPの前身を赤黒く染める。

 銃を構えたまま立ち尽くすSP。彼へと歩み寄る緑川。散弾銃を振り上げ、呆然とする彼の頭へと振り下ろす。鈍い音が鳴り、彼は冗談じみた動作で倒れ伏した。血と内臓と糞の海へ。


 緑川は太々しく、部屋の端に置かれた予備の椅子を掴み上げ、テディとコーエンの間に配置し、大儀そうに座り込んだ。

 場の空気は凍り付いていた。セレブのパーティでいきなりB級スプラッター映画を流したような様子へと変わった。


「何も殺し合いに来たわけじゃない。ケツを蹴り飛ばしに来たのには違いないけれど」


 緑川は返り血をジャージで拭いながら言った。


「誰のケツを蹴り飛ばすと言うのかね?」


 テディが記者がインタビューするみたいに問うた。彼自身は常に問われる立場の人間であったから、三文芝居も良いところだったが、まず間違いなく愛嬌はあった。


「そこの痩せぎすの変態よ」


 緑川の言葉に、真田は漸く状況から立ち直り、叫んだ。


「ふざけるな、何の権利が有ってそんなことをのたまえる⁉」


「権利?笑わせないでよ。この街における権利は全て金と醜聞でしょう?」


 緑川は机上のど真ん中に古びた書類の束を放った。

 それを目にしたコーエンと真田の顔色が変わる。コーエンは怒りに打ち震え、真田は凍り付く。フーヴァーは自身の剃り残しの髭を摩った。


「懐かしいでしょう?貴方達に大損を扱かせたLiveware の帳簿よ。誰かさんに貸してもらってるの」


 コーエンは声を荒げる。


「今更そんなものが何の役に立つ!二十年以上前の代物だ。影も形も残っちゃいない」


 緑川はたるんだ頬にグロテスクな靨を浮かべる。


「過去はいつだって追ってくるものよ。ねぇ、真田?」


 真田は凍り付くように冷え切った声で言った。


「冗談はやめろ」


 その張り詰めた態度の真田と不敵な緑川の間に割り込んだのは、彼の養女である真田咲だった。

 

「そうですわ。冗談ではありません。冗談なんて、ナンセンスです。ただ、其処に過去があるだけ」


 咲は前へと進み出て、真田に熱い視線を送った。それに対し、真田は食って掛かる。切羽詰まっていた。


「しゃしゃって来るな。小娘」


 咲は微笑む。


「デカい口を叩くべきじゃない。裏切り者」


 そのやり取りを見て、緑川とテディは楽し気に笑い、フーヴァーは値踏みするような視線で見詰めた。真田は狼狽し、その他は静観を決め込んだ。


「皆さん。あの時、不思議に思えなかったでしょうか。如何にして、そこらの空き巣がLivewareのセキュリティを突破しえたのか。勿論、現在よりテクノロジーは発展していなかったでしょう。それでもです。テディ氏やフーヴァー氏、以前の土木建設業の席を担っていた方が、そのセキュリティに尽力していたにも関わらず」


 咲は付箋だらけの古びた手帳を取り出した。


「ここにありますのは、かの盗難劇の主犯である空き巣の手記です。彼自身に関するありとあらゆる情報が載っています。彼の可愛らしい養子についても」


 咲は手記を初めて読んだ時のことを、江川崎の存在を初めて知った時のことを反芻しながら熱っぽく宣った。興奮を身に沁み込ませながら。

 養父から全てを奪うために知り得た彼女の存在。今や咲にとって目的も過程も逆転し、倒錯しつつあった。

 それに冷や水を浴びせるように、フーヴァーが問うた。


「何処で手に入れ、信憑性はどの程度ある?」


 咲は不気味な程に愛らしいはにかみ顔を見せる。


「入手場所は彼が贔屓にしていた質屋。信憑性の方はご自身でご確認ください。読んでいただければ、一連の事件との整合性、この街で起こった数々の盗難事件との共通性が見て取れると思います。ALSECや警察が公にしていない情報についてもかなり詳細に載っていますしね」


 咲は可愛らしいくしゃみを一つ挟み、付け加えた。


「ちなみに、お父様と空き巣さんの密談の件について言及されているのは緑色の付箋のページです」


 そう言って、フーヴァーへと手記を放る。それはフーヴァーの眼前へと、中に詰め込まれた黒い歴史の数々の重みを表装するような音を立てて落ちた。

 フーヴァーはそれを手に取り、ページをまくってゆく。時に早く、時にゆっくりと。緩急をつけ、読み進める。


 全員の視線がフーヴァーへと向けられ、彼の咳払い一つにも注意を払う中、彼は突然に顔をあげた。

 

「確かに、俺が把握している限りの事件について、整合性は取れている。矛盾はない。公表外の内部情報まで書かれている。何より、あのくそったれのタックス・マンの首領ボネガットの描写がどうしようもなく精確だ。こいつを書いた奴は空き巣より小説家にでもなるべきだ」


 フーヴァーは手帳を閉じる。


「これが忌憚のない意見というやつだ」


 そう付け足し、手帳を放る。

 それは、ロシアンルーレット用の残弾一発のリボルバーみたいに隣のコーエンへと回された。ご丁寧に疑惑の密談について書かれたページを開いた状態で。

 会議の席を担うもの達は、慇懃で、大儀そうに手記を回し読んだ。それこそ、黄金の受話器を受け渡すユナイテッド・フルーツ社の出資者らの如く。

 最後の一人であるテディが読み終わり、皆を代表して真田に問うた。


「説明願えるかな?」


 真田の返答。


「でたらめだ」


 ただ一言。それだけだった。

 それに対し、コーエンが沈鬱な面持ちで淡々と言った。


「この街の、特にこの会議における定例を知らないわけではないだろう。相互利益によって成り立つ、このか弱い共同体を守る唯一の不文律だ」


 真田の瞳をコーエンが覗き込む。


「『疑わしきは罰せよ』だ。我々は常に強く在らねばならない」


 テディが宣言する。


「判決を取りたい。本来において今回の議会は真田晃司によるALSEC特殊部隊の出動依頼が妥当であるかについて論ずるものだった。しかし、今やそれ以上の嫌疑が彼にはかかっている。彼が拘留されるべきか否か。正々堂々、多数決で決めようじゃないか」


 テディが一同を見渡す。


「皆も例のLivewareの一件で腸が煮えくり返ったのを忘れてはいないだろう?」


皆が思い思いの反応を見せる。


「交流するべきだと考えるものは挙手したまえ。その後の処遇はまたの機会に論じるとしよう」


その言葉に、真田とフーヴァー以外の全員がその手をあげた。コーエンとホッファは恨み浸透といった様子。テディはウェイターを呼ぶように。フーヴァーは腕を組んだまま不動だ。

 票には換算しないが咲と緑川も挙手している。


「フーヴァー君は何が不服かね?」


 テディの問いに、フーヴァーが答える。


「今のところは、奴はクライアントだ。事が済めば、拘留に賛成するが、それまでは否定する」


 テディはもっともらしく頷く。


「なるほど。とはいえ、過半数の賛成だ。彼は拘留される」


 ホッファが茶化す。


「結果が変わらぬから主義を通せたのさ。プロとしてのな」


 フーヴァーはホッフアを睨みつけ、片手間で無線を用い、一階の警備に指示を出した。

 緑川は終始、厭らしい笑みを浮かべていたが、久方ぶりに口を開く。


「終わりだわね」


 鼻で笑う緑川。立ち尽くす真田を一瞥する。

 放心状態の真田。彼の瘦せぎすの体は針金で編んだ不格好な案山子のようだった。その隣には、いつの間にか咲が歩み寄っている。

 JK離れした肢体を淫靡に揺らし、養父にすり寄る彼女。深いグレイの瞳が世紀の抜けた養父の顔を写す。そのこけた頬へと白魚の如き指を這わせ、耳元で囁く。


「さようなら。お父様」

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