第二章:盾と矛、散弾銃
第22話:HARA HARA MEMORIAL
江川崎は言った。
『貴方にはBremsenの記者として潜入してもらう。真田に例のスキャンダルについてのコメントを貰いに来た三流記者、という体でね。
その間にやってもらうことは二つだけ。奴を適宜、引き止めること。奴の位置を逐一伝達すること。
私が盗聴器やカメラを仕掛け終わったら切り上げていいわ。亜紀が美人局を斡旋するのを待つ必要はない。そこは、また後日決行する。』
レクサスのステアリングを操りながら、高見は江川崎の言を反芻した。
思えば、コレが初のこの街における本格的な取材ではなかろうか。勿論、“本格的”というのは“まとも”の同義語としてだ。
前の支社で上司に対してキレ散らかし、此処に左遷してからやった仕事といえば、資料の整理や、他愛のないコラムを書いたこと、そして、悪趣味でぶっ飛んだパパラッチと面会させられたことぐらいだ。
あと、等身大のフライドチキンを揚げたような気もする。だが、私の頭の中ではフライになったのはでかいバーレルであり、決して鉈を手にした殺し屋ではない。
目的地は、夜柝市の北の端。山肌を切り崩して造られた新設校。
まあ、新設校というには多少語弊があるかも知れない。正しくは、真田グループが私立高校を丸々買収し、名前も校舎も立て直したエセ新設高校。それが、“秀翫高校”だ。
生徒達の顔ぶれは全く変わっていない。変わったのは名前と校舎、教員だけだ。
江川崎に言わせれば、JKを漁る自作の餌場らしいが、流石に無いだろうと思ってしまう。ただ、美人局を仕掛ければ嘘も誠も関係なくなるというのは確かだ。
無ければ、作るべし。単純な話だ。
何にせよ、彼女が私をフライドチキン製造犯であるとタレコメる以上、どっちみち選択肢はない。やれることをやるだけだ。それに、エビスビールの礼もある。
校門が見えてくる。
一瞬、我が目を疑った。煌びやかな真鍮製の校門である。ヒップホッパーのアクセサリーが霞んで見えるような輝き。この独特のセンス、緑川さんの親類が建てたのだろうか?
標識の指示に従い、駐車場へと車を走らせる。
駐車場とそれに隣接する駐輪場の敷地はとてつもなく広い。ショッピングモールの屋外駐車場ぐらいありそうだ。おまけに、全車両を覆うように日さしが設けられている。実に金が掛かっている。
ただ、まだ早朝であるからか、スカスカであった。広い分だけ閑散とした雰囲気も倍増している。
奥の方には、モダンでアヴァンギャルドな校舎が聳え立っているのが見えた。多少良いとこの私立高校に通っていた私でさえ、その威容は衝撃的であった。
高校というより美術館と評した方が適切な構造。張り出した広大なテラス。数百メートル以上、離れた此処からでも分かる程巨大なオブジェ。それが女体を象っているのは間違いない。張りのある乳房の膨らみやキュッとしまったウェストはどう見ても、真田の特殊な趣味。
あながち、江川崎の推測も捨てたもんじゃないかもしれない。
しかし、建設王の名は伊達じゃないと感心させられるのは結構なことであるが、事務室がどの辺にあるか皆目見当がつかないのは問題だった。
取り敢えず校舎に向けて歩み出した。何はともあれ、駐車場を出なければ話にならない。鉄の日さしの並木を抜けて行く。
一台のZOOMERが走って来た。黒に白のアクセントが入ったボディ。それに跨る女生徒。羽織る銀のジャージが日を照り返す。その下の制服は筋肉質な細身の身体を完璧に縁取り、無欠さを周囲に誇示している。全てが研ぎ澄まされたシチリアンスティレットを思わせた。
感心なことに、しっかりと彼女はヘルメットを被っている。ドイツ軍の鉄帽のような特徴的な特徴的なメットだ。
ZOOMERは私の前方の直ぐそこに停まった。ジャージの女の子がスタンドを下ろす。
私は彼女に声を掛けた。道を聞きたかった。
「ねえ、そこの貴女。道を教えて頂きたいのだけれど、いいかしら?」
女生徒がゴーグルを上げ、ヘルメットを脱ぐ、後ろに撫でつけられた黒髪が現れる。銑鉄のような黒。彼女が此方を向く。彫りの深い顔に切長の目。
強烈な意思を感じさせる瞳は私をたじろがせた。江川崎とは違ったタイプの鮮烈さ。
彼女はジャージの下の制服のスカーフを直してから言った。
「結構ですが、どういった御用向きで?」
堂に入った敬語。ハキハキとした発声。何もかもが鋭い。八島という不躾の極みを経験した所為もあって、そのインパクトはより増大した。
「私はこういうものです。」
定型句と共に、私は背広の裏から名刺を取り出す。どんな相手だろうと自己紹介はこれだけで殆ど完結する。名刺文化よ、永遠なれ!
少女は名刺を両手で丁寧に受け取り、その鋭い視線を落とす。途端、目を見開いて問い返した。強烈な熱視線。
「Bremsenの担当記者でいらっしゃる?」
江川崎といい、目力星人には事欠かない街だ。
「え、ええ、そうね。その通りですよ。この街に来たのは最近だけど、一応、記者よ。」
三流ゴシップ雑誌の名など逆効果だったか...
「そうですか、では、事務室の方へ案内して差し上げましょう。おそらく、その為にお声掛け頂いたのでしょうから。」
彼女は微笑んだ。態度は明らかに軟化した。目は笑っていなかったが、刺し殺さんばかりの鋭さは無い。剥き出しのスチレットは丁寧に折り畳まれた。
「申し遅れましたが、俺....いや、失礼。私は、田上正華と申します。高等部普通科第二学年です。」
美しい一礼をしてから、田上はZOOMERの後ろに積まれた学生鞄を取り、歩き出した。重心の揺れない美しい歩き方。
ジャージの背面にプリントされた“SGB”のロゴ。ロゴもそうだが、生地の材質も見たことがないものだ。特注品なのだろうか。
「貴女のそのジャージは、部活のユニフォームか何かなのかしら?」
「その通りです。私は女子ボクシング部に所属しておりまして、そのユニフォームです。」
「へえ、じゃあ、貴方がインターハイで優勝したりしたら、取材に来ることになるかもしれないわね。」
さして面白くもない話を繋ぐためだけの冗談。
「“Bremsen”はそういったことは取り上げないのでは?」
田上が不思議そうに言った。間に受けているようだった。
「いえ、それで合ってるわよ。臭いものを晒し物にして稼ぐ三流雑誌で相違ないわ。だけど、女子高生がBremsenなんて読むの? コンビニで見かけるぐらいでしょう?」
「いえ、定期購読させて頂いております。素晴らしい雑誌だと思っておりますよ。エネマグラとED治療の広告を除けばですがね...」
田上がニヤリと笑った。そんな笑い方が出来るとは予想外。
「有り難い話だけど、イマドキの女の子はGINZAとかPOPYEとか、そういうハイカラなものを読んでいると思っていたから、意外だわ。」
「それは間違った認識じゃありませんよ。ただ、私の場合、貴女方の掲げる明確な行動規範を買っているのです。他者を風説で殴り飛ばし、金を得る。
目的と行動が一貫している分、情報の狙いがよく分かる。白か黒か分ける時の明確な指標の一つ足り得ます。」
田上は淡々と述べた。心中をそのまま吐露しているように。
「中々、聡い子のようね。私が学生の時なんて、三文小説とラジオのことしか頭に無かったわ。」
「賢いか否かは重要ではありません。考えるか考えないか。妥協するか、しないかの違いです。」
田上は実に平然と言って退けた。
私達は話の間に随分と歩いたようだった。体育館と思われる巨大なドームの横まで来ていた。
正面で案内板を眺めている少女。見覚えのある灰の髪とダスターコート。制服を着ていても、ダスターコートは意地でも脱がないらしい。
八島が此方に気付く。ただ、此方をチラと見つめただけで、直ぐ様、踵を返して実に白々しくドームの裏手に消えてしまった。
私は田上に視線を戻し、問うた。
「来客用の玄関まではまだかかるのかしら?」
「いえ、彼処です。」
田上が指差す先。体育館脇のこぢんまりした別校舎。他の高校と比べれば遜色ないものだったが、あの校舎と比べてしまうと何とも侘しく見えてしまう。
田上はくるりと軽やかに此方に向き直る。
「申し訳ありませんが、私は本日の日直でありますので、ここで失礼させて頂きます。事務室は玄関の目の前ですのですぐに分かると思います。お仕事頑張ってください。」
彼女はハキハキと言い切ると、丁寧にお辞儀をし、本校舎の方へ向かって足速に駆け出した。
お礼を言う暇も無かった。
来客用の玄関はまさしく絵に描いたような学校の玄関で靴箱があり、その向こうに受付と事務室が一体になって存在していた。この学校の規模からすると随分小さい。おそらく、真田の頭の中では、『高校生>>>>>>来客』という大小関係が成り立っているのだろう。
私は来客用スリッパに履き替えてから、受付の女性に声を掛けた。
「おはようございます。理事長さんと面会を予約していたものですが...」
「Bremsenの高見博子さんですね?」
「理事長室はここの廊下を真っ直ぐ行ったところにあります。理事長は部屋で待っています。大変、楽しみにしておりましたよ。」
事務員による実に事務的対応。私もそれに来客的に対応して、軽く会釈してから、事務室へ向かった。廊下は薄暗く、業務用糊とペンのインクの嗅ぎ慣れた匂いが立ち込めていた。
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