幕間:ある空巣の日記 2003年

2003年


1月1日

 外は寒い。陽香は温かい。陽香は走り回るのが好きだ。物に乗り上がるのを愛している。

 今も俺の肩の上までにじり上がって来た。凄い子だ。まだ、二歳にもなっていないだろうに....


 一つだけ悩ましいことがある。

 陽香に絵本や玩具を買い与えてみても、殆ど反応してくれないのだ。

 唯一、興味を持ったのは誕生日プレゼントにあげた目玉オ◯ジの縫いぐるみだけ。

 代わりに大いに興味を寄せるのは、“記者”の溜め込んだ雑誌と新聞の切り抜き、俺が手慰みに遊んでいた透明な南京錠。鍵開けの練習用に、シリンダーの中が透けて見える造りになっている。


 俺がそれを使って、錠開けの練習を陽香の見張りがてら行っていたところ、やにわに陽香はBremsenから視線を外し、俺の手元に興味を示した。


 そして、今見せているような脅威のよじ登り力でテーブルの上に這い上がり、俺の手から錠前を奪い取った。空巣みたいな奴だ。

 錠前は不意を突かれ盗られたが、ピックは尖っていて危険だと判断し、意地でも渡さなかった。

 陽香はピックを諦めて、錠前を握りしめ、俺の足をつたって床に降りた。手伝う暇もなくスルスルと床に降りた。

 暫くソレをいじくりまわした後、今度は手近な代物を鍵穴に差し込もうと悪戦苦闘し始めた。とてつも無い、集中力だった。

 果たして、これは知育玩具足り得るのだろうか?



1月3日

 流石に南京錠は無理だったようで、玩具箱替わりの段ボールに放置してあった。だが、糸口は見えた気がする。

 今日も今日とて、陽香は記事のスクラップとチラシの裏紙を相手に、お絵描きの練習をしている。驚くべきことに、陽香が見ているのは俺を取り上げている記事を眺めていた。

 勿論、実名は出ていない。だが、それは間違いなく、俺の記事だった。

 記事の見出し———“live wareで重要書類の盗難”

 


1月4日

 南京錠ではなく、ナンバー式の錠前を買ってきて、陽香にプレゼントした。陽香はやっぱり興味を示した。

 俺は錠前と一緒にパスコードの書かれた紙を渡した。陽香は其れも快く受け取り傍らに置きながら、錠前を散々いじくりまわした。

 俺が一杯分のインスタントコーヒーを飲み終わる頃、カチリと音が鳴った。パスコードは“1234”だった。

 陽香はにんまりと笑い、錠前を振り回した。俺もるんるん気分で台所から、マルボーロを取ってきて陽香にプレゼントした。



2月8日

 陽香の服を買いに行った。俺一人だけで行くとスゴイ目で見られそうなので、陽香も一緒に連れて行った。

 俺の歩幅に合わせようと、陽香はパタパタと元気よく歩いた。疲れてしまうと、オッサンみたいに道端の縁石に座り込む。俺が抱っこしてやろうとすると、意地を張って歩き出す。

 正直、言ってカワイイ。


 幼児服の量販店なんかに行くのは生まれて初めてのことだった。児童養護施設で育った俺が着ていたのは寄付でやってきた古着だけなのだ。

 

 物心ついた時には彼処にいて、脱脂粉乳の山を喰らいながら過ごした。そして、俺はあの悪夢のような施設から逃げ出した。思い出したくもない記憶だが、そういう記憶程、消えてなくならないものだ。

 店内に整列された成長時期別の服を見ていると、その記憶は染み出す油剤のように俺の思考を埋め尽くした。その場に俺を縛りつけた。

 

 そんな俺の足を陽香はパシパシと叩き、それでも動かない俺にギュウッと抱きついてきた。

 温かい陽香の体温がじんわりと伝わってきた。すると、施設の悪夢の上映は終わった。それこそ、映写機のフィルムが取り外されたみたいに思えた。

 この子の存在が俺の中でかけがえないものになりつつあるのを実感した。

 肝心の陽香の服だが....。幼児用の衣服って何であんなに高いのだろう。

 値札を見た時にはちびりそうになった。

 結果として、陳列されていたのから一着、残りの4着は在庫処分用の棚にあったモノになってしまった。

  金ピカのドクロのプリントされたTシャツ。ショッキングピンクのズボン。涎を垂らすブルドックのプリントTシャツ。その他もろもろ。


 中々悪くないんじゃなかろうか。服に気を使ったことのない俺にはよく分からないが....


8月6日

 暇を持て余していたので、陽香を連れて質屋へ遊びに行った。

 他に遊びに行く所は幾らでも有るのだろうが、押し並べて売り手有利のぶっ壊れ価格設定である。それに加えて、数少ない無料の遊び場である公園では、犯罪組織の首領が草野球を楽しんだ前例がある。

 この街ほど子育てに向かない街はそうないだろう。


 陽香を肩車しながら、繁華街に入った。これなら迷子の心配はない。陽香は頭上ではしゃいでいて、可愛いらしかった。それで、俺が被っている野球帽をバシバシ叩かなければ完璧なのだが。

 通りはもうすぐ昼時ということもあって、かなりの混みようだった。香辛料やニンニク、肉の焼ける匂いが陽香と俺の胃袋を刺激して止まなかった。


 手頃な露天を見つけ、俺達は昼食がわりに肉饅頭を買った。それをパクつきながら、通りを歩く。陽香には覚まして小さく千切ったのをあげた。覚めても、肉の旨みや生地の弾力は少しも衰えない素晴らしい饅頭だった。

 

 お目当ての路地に入る。別世界に来たように喧騒は消え失せる。人は胡乱な連中しか居なくなる。露店はタックス・マンズの息がかかった店だけが残る。

 そして、当のタックス・マンズの正規の構成員達は全く判然としない。浮浪者の一人かも知れないし、俺達がさっきいた大通りを歩く奴等の一人かも知れない。

 連中は巧妙に隠れている。


 其処が陽香にとって危なくないか。と、問われれば、そうでないと断言することはできない。

 だが、ここの路地の連中は大概が顔見知りだし、俺が年中、金欠だということも知っている。陽香自身が狙いになるには陽香は幼すぎる。

 まあ、そういう変態がいないとも断定は出来ないが....


 質屋はいつも通り、路地の奥の開けた空き地にぽつねんと立っていた。夕方ごろには陽だまりになる中々どうして素晴らしい立地だった。

 店に着くなり陽香はするすると俺の方から降りてしまい。店の押し戸に突貫していった。俺は呆気に取られた。保護者失格だった。

 後を追うように中に入ると、カウンターのオヤジが陽香を物凄い形相で陽香を見つめているのが見えた。

 夕食中にいきなり見知らぬ芝犬が乱入してきたような顔と表現するのが適切だろう。

 オヤジは俺を見つけるなり言った。


「なあ、おい。どういうことだ? いったいどうしてグエン様の御屋敷にプレートがいるんだ?」


 わかりにくいが、プレートとはサンスクリット語で『餓鬼』だ。移民であるグエンによる本場の東南アジアジョークなのだ。


「そりゃあ、あれだろ。此処が、フエの王城じゃあなくて、インチキ質屋だからだろう?」


「二度と買い取ってやらん。」


「冗談に冗談で返しただけだよ。」


「マジな話、この餓鬼は何だ⁉︎」


「俺の娘。」


「面白くないぞ、お前の冗談。」


「ベビーシッターとしてのお仕事中だ。」


「散弾銃で説得しようか、マジに検討中だ。」


「最後のは冗談じゃない。文字通り俺の命を賭けていい。」


と、言うような会話をした。勿論、こんなにクールに締まった会話じゃなかったのは確かだ。確かなことは、俺が散弾でミンチになってないことだけ。


 俺とオヤジが冗談を言い合っている間、陽香はぐるぐると店中を歩き回って、様々な“質”を見物していた。

 店内には本当に雑多な代物が出揃っていた。

 見るからに高そうな陶器。ビンテージの革ジャケット。骨董品のマスケットライフル。果てはバイクまで展示されている始末だった。

 それらは普通、滞納期間を過ぎれば売りに出されるのだが、そんなものが設けられている品は全くと言っていいほど無かった。

 つまり、俺みたいな連中の手による物ばかりだというわけだ。


 少しして、陽香はピタリとその足を止めた。店の真ん中の小物の展示してあるショウケースに張り付いた。まさに、興味津々という風にお目々をパチクリさせながら、中を見つめていた。

 熱視線の先にはクロームメッキの置物。血走った眼球を模したそれはホルマリン漬けのように瓶の中に浮いている。

 陽香はショウケースに張り付きながら言った。


「目玉オ◯ジ〜‼︎」


 俺は堪らず合いの手を入れた。


「そうか〜、目◯オヤジか〜」


 グエンはそんな俺をナマコの内臓でも見るかのような目付きで見ていた。が、俺はそれを捨て置き、陽香の側に行き、しゃがみ込んだ。

 あわよくば、買ってあげようと思っていたのだ。


 だが、俺のそんな幼稚な試みを目玉は嘲笑った。


 “120000円”という値札。俺は必死に少数点を探したがどこにもなかった。無駄だった。


 十二万円とは俺のベビーシッター代の一月分に当たる。つまり、俺のベビーシッター代は日当、四百円だ。哀しい!

 俺はその場に泣き崩れそうになった。実際、泣いた。明後日は陽香の誕生日だっていうのに!


 という文章を声高に、店内に響き渡るように俺は朗々と読み上げた。鼻を啜り、涙を流しながら....。5分程。


「もういい、好きに持ってけ! 泥棒!」


 更に嘆いた。


「有難う御座います。店主様。天主様!」


 グエンは苦虫を噛み潰したような顔をした。


「どうせ、お前が盗ってきたもんだ。売れる見込みもねぇ。」


「そうだっけ?」


「あんなくだらんガラクタを拾って来るのはテメェだけだよ。」


 

 これを書いている横で、陽香は嬉しそうに12万円のオブジェで遊んでいる。

 あの子のプレゼントは鎖で巻いて、例の南京錠を掛けてからあげてみたのだが、陽香が難無く開けしまった。

 今回は足し算の式でパスワードを書いていたというのに、どこでそんなことを覚えたのだろう?

 まさか、俺が家計簿をつけているのを見て覚えたのだろうか。

 だとしたら、陽香が助けてと頼って来るのを楽しみにしていた俺が馬鹿みたいだ.....

 よく考えたら、二歳児にやることじゃ無かった気もする。

 まあ、いい。陽香が楽しそうにしているから万事OKだ。

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