エピローグ

 アークがウエストタワーにいる夢を見た。彼は不適な笑みを浮かべて戦闘で割れた窓辺に立っている。鳥のように手を伸ばした。ニノンだってそんなふざけた遊びはしない。彼の当てつけだった。俺を憎んでいるんだやっぱり。彼は飛び降りて死ぬ気だ。


 またこんな夢も見た。彼はニノンに微笑みかけて二人で手を繋いだまま氷漬けになってしまった。はっきり言って美しい絵になっていた。俺には何が正解か分からない。なあ、マルコ俺は罪深いか。


 目が覚めたら何時か分からないのはいつものことだ。通路を誰かが走り抜けた風が寝室まで入り込んできたので、目が覚めただけ。


 午前五時。


 起きるには早すぎるが、今日のエルザスは忙しくなりそうだ。今日は上層階エレベーターの通行制限がなくなる。リングの弁も撤去する工事がはじまった。代わりに防火扉にして火災を防ぐそうだ。


 下層階の頼りない議長は首になった。イザークのいない革命グループ『ブラオレヴォル』はあっという間に解体した。俺の幹部の力なんてその程度だったのだ。


 だが、各々が動いたんだ。グループという概念なく、議長になりたかった人物が名乗り上げ(まさかの無名だった)、上層階の評議会も解体し、下層階との統一選挙を行うこととなった。


 そして、何より一番驚いたのは、アークがイーブンにメッセージをくれていたことだ。受信時刻は午前零時きっかりだった。


《償う準備ができた》


 俺は面食らってしまってイーブンに直接電話した。コールしてもなかなか出ない。またメッセージが届いた。


《見晴らしのいいリングへ》


 まさか上層階と下層階の間で一体何をしようと言うのか。

 リングへはものの十分で到着する。続け様にメッセージだ。


《窓の外を見て》


 ふざけんなよ。もう一度電話する。今度はワンコールで出た。


「アークお前、何しでかす気だ」


「まあ見ててって」


 リングの外周からはいつも通り外界エクステリユの氷の山が連なって見えるだけだ。ところがいつもと違ったことは氷の中にあるであろうビル群や街並みは氷が厚すぎて見えた試しはなかったのに、今は薄っすらとそれが見えている。


 そして、霧に包まれたと思ったら、氷河が、少しずつ空に水蒸気を上げながら溶け出しているではないか。


 あの野郎もったいぶりやがって。こんなことしたら一気に人が外界エクステリユに出たがるだろうがよ。


 俺は興奮冷めやらぬまま走った。下層階に降りる前にもう一度外界エクステリユを見たが、氷河は順調に溶けていく。


 俺の後からも前からもエルザスの住人がみないっせいに驚きの声を上げて走り出した。途中から、ざわめきと、期待の叫びや悲鳴、歓声が上がった。


 下層階に着くと、誰がやったのかもうホールの壁にトラックが通るほどの穴が開けられていた。次々に人が外界エクステリユに飛び出していく。


 穴から冷気が下層階に流れ込んできて下層階は氷点下になっていたが、人々は関係なく普段着のまま思い思いに叫び飛び出して行った。二十万という住人の中で出遅れた俺が空いた穴に飛び出るころは今から何時間後だろうか? 


 そのころにはきっと外界エクステリユの氷も今よりももっと溶けているだろう。そこには俺たちの知らない歴史が眠ってる。そこにはアークの暮らした世界がある。


 そこに、俺たちだっていずれは住めるかもしれない。いや、住むんだ。


 人類最後の都市は人類最初の都市になるだろう。エルザスから外界エクステリユへ。俺たちは自由になったんだ。


 穴に着くまでの長い列の間に上層階からの執行シャ警察ルフが来た。今は解体し、有志のボランティアがやっていると聞く。執行シャ警察ルフという名前も何に改名するか決まっていない。


 執行シャ警察ルフのマシンから、外に出る人たちのために次々と分厚いコートが上空から投げ与えられていく。コートを奪い合う争奪戦は何かの祭りみたいだ。


 一台のマシンが俺の傍でホバリングした。そこから身を乗り出したのはまさかの、アークだ。


「来てくれたのか。驚かせやがって。赤い制服なんか着てどうしたんだ? 似合わねぇな。まさか執行シャ警察ルフになったのか?」


「就職先がなくてね」アークが冗談を返した。これは革命だな。


 執行シャ警察ルフの制服は赤を着用するようになっていた。革命の意思が唯一引き継がれたとするならば、俺たちのシンボルカラーだけだろうな。アークは執行シャ警察ルフとして働くつもりだろうか。


「優先的に連れてってあげようか?」


「マジかよ。いや、ここでいい。俺はやっぱこのレースみたいな、競い合う雰囲気を味わうんだ」


外界エクステリユに出るころには日が暮れるかもね」


「そうだな。でも、そのころには本物の星が見えるんだろう?」


 アークは微笑んでマシンに半分乗り出していた身を引っ込めた。


「これから何ができるか考えてみるよ。もう寿命も引き延ばさない」


 俺は後ろから押されて小競り合いに巻き込まれた。


「なあ、アークまた会おう。俺もやることがいっぱいできそうだ」


 順番を抜かされまいと、俺を抜かした男をひっぱたいた。でも、誰もかれも殴られようが足を踏まれたり転げようが笑顔でこぜりあっていて滑稽で愉快だ。なんたって、俺たちは未知の世界、可能性の世界に飛び出すのだ。誰だって浮足立つ。


 アークはマシンから出した片手を挙げ、俺より先に外界エクステリユに出かけて行った。きっと温暖化メサ冷却装置を完全停止させに行くのだろう。マシンだけ先に旅立って行くのはずるいと、人々はもらったばかりの防寒コートを空に投げ返した。

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ノアの楽園に人形の眼差しを 影津 @getawake

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