第50話 フローラ

 フローラの車椅子にかけた腕が素早く車椅子のレバーを切り替えた。マシンがサスペンションで跳ねるような動きで車椅子は天井近くまで滞空する。彼女の伸ばした白い足から放射状に小型爆弾がばらまかれた。この塔の上層部でそれを普通やるか?


 逃げ場なんてなかった。足を引きずっていたイザークが底の抜けた床から落ちていくのが見えたときには、砂ぼこりや黒焦げになったカーペーットの燃焼する音と、鼻につく黒煙で自身の足場も崩れていくのが分かった。


 パニックになって空中を何度かシンクロで意味もなく飛んでしまい、無駄に体力を消耗した。着地も失敗し、最後の瞬間移動で誰かのデスクに顔から突っ込んだ。モニターに頭をぶつけた。だが、頭を振り払うと頭上から次々と崩れた床が落ちてくる。


 じっとしていたら命はない。と、そこに白衣がちらついて見えた。アークが落ちてくる。くそ、拾ってやるしかない。シンクロで疲労した身体に鞭打って上空へ飛ぶ。アークは自らの氷が防ぎきれなかったのか、砕けた氷が肩に刺さっていた。


 空中で受け止めると、安全な階をイメージして飛ぶ。ざっと十階ほど下がって八十階にきたつもりだったが、まだ天井は崩れてきている。と、そこへ車椅子からジェット噴射のようなもので空中を追跡してくるフローラが見えた。


 アンヌ以上にガジェットを仕込んでいる。最高司令官総長は、装備も一流だってか。


 アークがフローラを瞬時に氷漬けにした。五メタリは離れていたであろう距離で相手を凍らせることができるのに今までてこずっていたのか? 


 フローラは凍った顔を一瞬撃ち震わせrた。天井の残骸が雪崩となって落ちてくる中で、氷の破片も見えた。フローラの口がぎちぎちと音を立て高速で歯ぎしりと、何やら声を発している。人の声ではなく耳障りな超音波だ。摩擦熱と、超音波で氷を割ろうとでもいうのか。


「もっと下の階へ」


「命令すんなよ。怪我してんだろ」


「怪我してるから指示してるんだよ」


「うるせぇ。何でそんなに上から目線なんだよ」


 俺は電線の中を走るイメージを繰り返した。イメージするほどに身体にどしっとかかる重力がかかる。行先のイメージが上手くいかないので、下の階に着く度に床から数メタリ浮いていたりして、着地に注意を払わなければならない。


 ましてアークを抱えてだ。アークも一緒に走っていることになるので、じっとしていても汗ばんでいるようだ。もう六十階近くに降りたというとき、下から瓦礫を足場にジャンプで駆け上がってくるイザークが見えた。俺に気づくと、今まさに飛ぼうとした俺の腕をつかんだ。万力で締めるような力だった。骨が折れてもおかしくない。


 イザークがロボットだというのは厄介だ。もう身体のあちこちの皮膚の部分が剥がれて青い配線が皮膚から飛び出ている。筋肉は人口皮性で伸縮し、骨は何の金属か知らないが見てロボットと分かるように青く塗られている。


 もう手にマシンガンは持っていなかった。口が裂けて喉の奥の音声発生装置やスピーカーや喉を模した赤い繊維質の皮が見えるのだが、発声に問題はなさそうだった。


「俺が欲しいのはUコードシステムだけだ。フローラを殺しニノンと世界を再構築する。邪魔するんなら今ここで殺すしかないだろうな」


 もう少しで腕の骨が粉砕する。痛みのあまり叫んだと同時に俺の腕とイザークの腕が氷漬けになった。針を刺されたような痛みが走った。これは血管に血が行かなくなっていずれ、凍傷になる。


 イザークは痛みを感じていない様子でつかんだ手のひらが閉じもせず開きもしないのかと納得いかない様子だ。だが、時間の問題だ。フローラ同様にぎしぎしと軋む音をさせて氷を割るつもりだ。


「アーク。一つ言っておく。お前が人類を凍らせたことは大した偉業だ。その殺傷能力をもってしてもロボットのボディーってのは凍結しにくいものだ」


「ま、君には凍ってもらおうなんて思ってないけどね」


 アーク自ら俺からするりと滑り落ちて階下に飛んだ。残された俺と繋がっているイザークは一瞬、どういうことかと思った。後ろで氷が完全に砕けた音がする。続けて何かが発射される音。なるほど、俺が連れていけってか。


 イザークも音に気づいたようだが、俺は瞬時にフローラの目の前にシンクロで飛んだ。彼女との距離は想像より迫っていた。気づくのが遅かったら俺もやられていただろう。フローラの口から歯が飛んでくるのがかろうじて見分けられて、その前にイザークを放り出す。金属同士が激しくぶつかり合う音。


 俺の腕も飛んできた歯が何本かかすめて氷漬けになっていた腕は痛いだの、熱いたの、痛みの感覚が一致しない。氷がなかったら俺の腕はもっとぼろぼろになっていただろう。ひびが入ってこのまま腕が粉々にでもなったらどうしよう。


 弱気になったところで、凍っていた方の腕が軽くなった。金属同士が弾けた音が鳴りやんで、ぼろりと重かったイザークが穴だらけになって剥がれ落ちた。そこら中に青い血が飛び散っていて、イザークは機能停止していた。無感情のインディゴ色の瞳が、俺に問う。革命は失敗だぞと。何層も穴になった階下に落ちていく。


「あら、あんた仲間を売ったの?」


「……そうなるな」


 俺は憧れの存在であったイザークを殺してしまった。このことは一生忘れないだろう。グループの長であり、誰よりも血のみなぎる男だった。それも全てイザークのエゴだということを見抜けなかった俺は馬鹿だ。


 なあマルコ。俺は正しかっただろうか。


 イザークの偽りの身体を破壊した。ロボットの身体でなお、欲のみで生きてきたのだろうか。それはただのデータだったのか俺には分からない。


 でも、革命なんて名ばかりだったのは俺もイザークも同じだ。それにフローラを打ち倒しても、ニノンはおそらくUコードシステムのバックアップ先となったままだ。


 フローラがまたすぐに口を大きく開けて背中に頭がつくぐらいの異常な角度で仰け反るので、俺は慌てて元来た六十階へ飛んだ。アークは見つからなかった。ニノンは天井にぶら下げられていたからまだ九十階だろうか。


 九十階から見たら六十階まで穴が空いて落ちたら死ぬ危険な状態になっているかもしれないな。アークならニノンを真っ先に迎えに行くだろう。


「くそ、また上り直しか。いや、待てよ」


 息を整える。ずっと空中戦だったので、集中力も途切れかけていた。ニノンの檻の中に入って、ニノンと一緒に出るだけだ。


 九十階、天井の鳥かごの中。ニノンは座り込んでいる。頭が鉄の檻につくぐらいの狭さなので、必然的に中腰になる。すっかり埃でベージュ色になった髪のニノンは、突然現れた俺の気配に気づくと振り向いて難しい表情をした。唇をむずむずと動かし、垂れた瞼で瞳が半分覆われ困惑しきっている。


「あのお兄ちゃんは?」


「今から探す。まず、ここから出ないとな」


 手を伸ばすとニノンは嫌がりもせずなすがままで簡単に手繰り寄せられた。


「ねぇ」


 ニノンを抱き上げてシンクロで飛んだときニノンから呼ぶ声が聞こえた。不思議なこともあるもんだ。今度は八十階だ。アークがどの辺にいるのかは全く見当もつかない。


 地に足がついたところで、ニノンの顔を見て愕然とした。彼女は俺の手を振りほどいて汚らわしいとばかりに俺の手が握っていた辺りを必要以上にさすった。


 目は焦点が合っていないが、口元はひきつった口角を上げて笑っている。


「ニノンの姿でアークに会ったらどんな顔するでしょうね? きゃははは」


 ニノンの無感情だが、落ち着いた声からは想像がつかない、自信と狂気の満ちた声だった。

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