第四章 Uコードシステム
第18話 人口削減システム
いない、どこをどう探してもマルコの実体が見つからない。生きていたマルコの影しか見つからない。今でも声が聞こえるし、こういう呼び掛けには冗談で返してくるとか、今は朝飯代わりにパン味の煙草でも吸っている時間だとか、そんな些細なことが頭に浮かぶ。
マルコ本人の葬儀も済んだというのに、俺は必死で本人の居場所を探すようなまねをしている。そのくせ、マルコの家には近づき難い。あそこには俺の中ではマルコがいるというのに、実際にはいないことが確実になるのが怖かった。
それでも、マルコの軌跡を辿りたくて、少しでも本物を感じたくて、遺品整理をしてやる余裕はないが、マルコの家に向った。マルコの集合住宅の階段を上るときに「アルプトラだって? えらい病にかかりましたな。こればっかりは、どうしようもない」とマルコのお隣のじいさんに声をかけられた。
払拭できない、泥みたいな感情が止めのごとく涙腺を押した。他人事だと思ってるからそんな言葉を吐けるんだ。会釈はしたが、そのおじいさんとすれ違った後になって振り返って罵ってやろうかと思った。いや、そのおじいさんではない、アルプトラというその実体のつかめない運命とやらに。
事故や病死なんて運命という一言に簡単に置き換えられる。そうじゃない! 実際はそうじゃないんだ。俺の力じゃどうにもならなかった。俺はあのときいなかったから仕方がないのかもしれない。でも、それもいなかったからだ。何故傍にいない。
俺のいないところでことが進んで行くのか。いくら前触れのない病だとしてもそこに、予兆やきっかけは本当になかったのか。履き潰して底がすり減り軽いはずのブーツが地面に吸いつくように重くなった。かさかさのアスファルトの感触で歩みが狂った。僅かな段差に足を取られた。
煙草の煙で四隅の天井が黄ばんでいる部屋。充電されっぱなしの掃除ロボット。洗っていない食器、散らかった漫画本、何故か椅子に置かれている片方の靴、飲みかけで放置されたまま、ハエの浮いているコーヒー。
まだ、マルコの帰りをこの家は待っている。
部屋の片隅に隠すように置かれていて、前に遊びに来たときにはなかった、マルコの父の抗議デモのプラカード。『上下に等しく権利を』と書かれている。マルコもまだ、折り合いなどつけていないではないかと俺は、泣いた。
俺がマルコの不在を認められないように、マルコも無念の父親を忘れないでいたんだろうか。
手垢のついたリモコンでテレビをつけると、下層階の議長が頼りなげに上層階最高司令官総長のアンヌ・フローラと会談していた。下層階代表のくせに媚びへつらうようにでかい身体を縮めている。レーサーの件など一切出てこなかった。爆破テロのことも話題にせず、上層階にこれからも多くの資源を提供すべく下層階に製鉄工場の建設を進めることを約束していた。
また、無償で上層階のゴミ、汚物などは引き続き下層階へ埋めることを認めている。あまりの威厳のなさに、テレビを消した。
バイトは休んだ。行ける状態じゃない。アルプトラ、アルプトラ、アルプトラ。何かの呪いのようにその単語が眼前にちらついた。ある日突然人を死に追いやるとは、通り魔のような病だ。予兆は本当にないのだろうかと、イーブンを開いた。イーブンから電子図書館のデータベースにアクセスして、
まさか情報規制されているのか? たかが病一つに? エルザス建国以前の歴史についてはそうだが、病まで規制する意味があるのか? いや、待て、医者なら上層階のあいつがいるじゃないか。マルコの家のデジタル時計の液晶画面が滲んでいる。
上層階はまだ厳戒態勢をしているのに、どうやって上層階であの闇医者に会おうか。イザークに頼んであの闇医者と連絡手段だけでも確保してもらうしかない。思い立つと、俺は焦燥に駆られた。マルコのいないこの世にすべきことなんて何もないと思っていたので、今更のようにマシンを失ったことに不安に駆られた。
昼飯代わりのインスタント麺をマルコのコーヒーの隣に並べた。舌で何も感じられなくなっている。マルコの吸い込まれたロッカーが眼前にちらついた。まだ、俺たちは本来なら今もこうして話していたはずなのだ。
イザークにイーブンで電話した。
「アークの件なんだ。見つかったか?」
「どうした? 慌てて」
間延びしたような声だった。少し俺をからかったようにも聞こえた。
「マルコが
「聞いてるよ。会って話すか?」
「いや。悪いな。新人バイトも亡くなってんだもんな」
イザークにはこんな情けない顔を晒す気になれない。一日に二人も死ぬなんて。それも同じ時間帯にだ。何だか不自然で気持ちが悪い。
「やけに、
電話越しでイザークは神妙そうに話したが、その後すぐに笑ったような吐息が吹きかかったように聞こえた。
「なぁ、頼む」
「いや、世の中の常識に疑問を持つのはいいことだ。だがな、上層階の人間を調べるのは電話代がかかるだけじゃないのは分かるだろ」
下層階と上層階では国が違うも同然だ。見つからないのだろうか。
「アークなんて医者は存在しない」
「どういう意味なんだよ」
「いくら
そんなばかなことはない。俺はイザークにアークの患者の少女のことや、アーク自身に手術の痕があることを説明した。
「お前の言う通りなら、自分自身にしか手術をしていないんだろう。少女も監禁か患者か区別はつかない」
「まあそうだけど」
あの物言わぬ少女の瞳は、まるで冷たくなったマルコとそっくりの死人の目だった。
「なら、アークって名前そのものが偽名か。まあ、下層階人と見くびられて本名を名乗る相手と見なされなかったのかもしれないなぁ」
「あいつは、そんな差別するような感じじゃなかった。ただ、高慢な感じはしたけどな」
「一緒だ。なぜ、高慢なのか。自分が優位って思ってるからだろ」
俺はアークの金髪を思い浮かべた。今日は姉の召天日と悲しげに言っていた。マルコも天国にちゃんと行けたのだろうか。いや、マルコはきっとまだ死にたくなかったと怒鳴るはずだ。俺だって納得できないのだから。
「まあ、お前が奴をどう思うか知らないが、その医者が何故、全うに免許を持って治療しないかだ。凄腕の医者なら政府も知っているだろう。もしくは、政府も手出しできないのか」
それほどアークはすごいやつなのか。イザークが上層階の人間を高く評価しているのは珍しい。
「これからも、
俺は俯いて頷いていた。自分じゃこれ以上調べられないかもしれないとも思った。だが、アークを見つけるまで上層階を駆けずり回るつもりだった。ところが、イザークが常識が覆るようなことを言った。
「
「え?」
「
覚悟はいいかという挑むような声だ。
「ど、どういう意味だよ」
規模が大きいのかという不安をよそに、イザークは不適に笑った。
「お前は恐らく怒り狂うだろう。でも、俺はそういう感情だって革命には必要だと思っている。俺はお前を苦しめることになるだろう。だが、お前が革命グループを抜けないことも知っている」
イザークは急に猫なで声のように俺に囁いた。
「何だよ。早く言えよ。気持ち悪いぞ」
「みんな革命グループは意志があって入っていると思うが、お前はただ、誰かを殺したいと願う狂人に変わる可能性だってある。何故なら、それは俺がお前が実は感情的な男だと知っているからだ。でも、それも戦力としてお前にエルザスの真実を告げる」
俺はこんな前置きをされたのは初めてのことで、自分の足から伸びる青白い影を見つめた。
「政府はUコードシステムで人を殺している。旧世界共通語でアンブリカルコードシステムの略だ」
「へそのブリカル緒(アンブリカルコード)システム?」
イザークは声を輝かせた。
「人口削減システム。人口調整のために、人間と人間をペアリングさせ、片方が、死ぬともう片方も自動的に死ぬシステムだ。片方は恐らく、自然死、事故死だ。だが、ペアリングされている人間は理不尽に殺される」
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