第17話 葬儀

 マルコは兄弟といってもよかった。一軒家を持ち、俺と違って両親とも健在だった。学校には無理やり行かされたと言って俺といつも授業から脱走したりした。先輩のダニー・モーレイにいじめられたり、金を脅し取られたときはびびっていた俺に代わって奴を殴ってくれた。


 俺の知らない世界をいつも見せてくれたのもマルコだ。孤児院で暮らしていた俺を、ときどき廃材アスレチックに連れて行ってくれたり、それまで俺の行ったことのないリングもはじめて見せてくれた。


 働ける歳になってマルコがレースに俺を誘ってくれた。目立つことは苦手だったが、目立つことと、注目されて称えられることの違いを教えてくれた。


 マルコはくだらないことに時間のかけられる大人になりたいと言っていた。それは決してくだらないことなんかじゃなかった。マルコは下層階のレーサーとして活躍していた。コースもない下層階で、縦横無尽に飛び回る。マシンはいつもレンタルしたボロだから勝てるわけはなかった。勝ち負けよりも、走ることが好きだったんだ。


 メンテナンス費で二人とも金欠どころか貧困になった。でも、マシンを俺の家と呼べない家の車庫に吊るしたとき、そこからホバリングしてホールに繰り出すだけで、俺たちの夢が叶った気がした。


 マルコの母親が上層階で事故死したときは、俺も裁判を聴講しに行きマルコを励ました。でも結果は負けた。加害者が上層階の人間で有利に働いたらしい。抗議したマルコの父親らは上層階でデモを起こしたことにより執行シャ警察ルフに射殺された。


 そのときだ。マルコにも流れ弾が当たったのは。


 銃は超高圧ウォーター水弾ジェットで弾がない分、傷口はばかでかく、圧がかかるので骨が砕けたり血管が圧迫や破裂することもある。マルコは首の骨が歪んで骨が神経を圧迫した。出血もひどく一時昏睡状態に陥った。


 長い一か月だった。一か月で済んだのが幸いだったが、俺にはマルコがもう戻ってこないような気がして、短い一か月が地獄のような一か月だった。一生、植物人間になる可能性もあった。


 俺はマルコの父の無念や、マルコまで手にかけた執行シャ警察ルフへの憎悪であることないことを毎日考えて暮らしたものだ。マルコの命を繋ぎ止めているのは酸素マスクか? それともマルコの意思か? 


 マルコが生き続けたいと願う限り俺はマルコの生命を維持しなければならない。意思を受け継がなければならないと。全ての敵を討ちたいと革命グループとつるみはじめた。


 マルコが奇跡的に回復し、俺は今までの一人の思惑が徒労に感じた。だが、革命グループに関わることはやめなかった。


 マルコが自力で歩けるようになると、俺はマルコを紹介しマルコも意気揚々と革命グループに絡んでいった。残念なことにマルコは先走る性格ゆえにイザークにグループに入れられないと断られた。


 それが拍車をかけ、亡くなった両親のことをレースだレースだと言っては忘れようとしていた。俺はずっとマルコの分まで執行シャ警察ルフや上の連中に見るもの見せてやりたいと誓った。


 でも、マルコは俺をまじめすぎるといつも茶化した。いつの間にかマルコは両親のことに折り合いをつけたらしい。気楽な性格が羨ましかったし、マルコも俺のことをいつも気にかけてくれていた。何より毎日が楽しかった。そうだ、楽しいんだ。それが今じゃ楽しかったという過去形だ!


 数時間の悲観の後、穏やかになったというよりは、疲れたまま、睡魔を感じながら夜の下層階に繰り出した。夜の時刻を表す青いライトが、やけに白く見えて眩しかった。マルコの家は、俺の住む二番ホールから二つ離れた四番ホールにある。


 パズルと呼ばれる、無計画に建てられた集合住宅だ。箱形の一軒家が上下左右に繋がり、上に建てた家の横に家をくっつけたりして、隙間を埋めるために家を建てた結果、独立した一軒家が、パズルとして当てはまっているからそう呼ばれる。


 下層階では、中産階級クラスの家だ。マルコの家に入るにはよその家の階段を登りついで、お隣りさんの裏庭を通らせてもらわなければならない。門の電子ドアは施錠されていたがパスワードを教えてもらっていたので俺の携帯透過性パネル『イーブン』でも開けられる。


 いわゆる電話端末でペン型、キューブ型などが出回っている。


 上層階ではペン型が主流で、ペンから巻物のように透明ディスプレイを開いて操作する。手のひらサイズの端末だ。


 下層階には一センチメタリ四方の箱が瞬時に展開し、手のひらに乗る紙のようなぺらぺらのディスプレイに早変わりする。これが、よく紛失する。最近ではノンディスプレイで、五本の指に指輪をつけてそこからレーザーで映像投影するタイプもあるが、なかなか値が張る。


 手のひらで展開したイーブンをドアロックにかざすと認証音がして玄関が開いた。踏み込む勇気がなかなか出なかった。いつも気軽に入れたのに。


 入ってすぐ右手に不釣り合いに大きなガレージ。ここのガレージと俺の家の空中ガレージをマシンは行き来していた。二人で一台しか買えなかった。


 下層階でマシンを買うには、違法な仕事をするか、二人で一台買うぐらいしか手がない。ガレージ横の郵便物転送装置、通称ポーターには、手紙や電子書籍の入ったディスクやら、小包がたまっていた。


 仕方なしにポーターから抜き取って意を決して玄関をイーブンをスキャンさせて開けた。簡素な廊下、リビングキッチンへ続く。目を閉じても突き当りまで行く自信がある見慣れた廊下。


 ソファーとテレビ、マルコがいつも横になっている部屋が見える。一歩も踏み込むことなく投函物を部屋に放り投げて、またイーブンで施錠しといてやった。そうしたら、勝手に閉めるなよという、マルコの声が聞こえた。もちろん、空耳だ。


 マルコとたまに行く合成肉ばかり扱う立ち食いバーが、青いネオンをいつでもいらっしゃい、とばかりに点滅している。


 俺は店内を覗くこともできずに足を早めたら、飛び出してきた介護ロボットとぶつかった。見事に蹴ってしまい、介護ロボットは、進路を失い目を回すが、買い物袋を拾いそそくさと、去って行った。俺もイーブンを落としていた。メールが届いていた。


《訃報。マルコヴィッチさんがお亡くなりになりました。アルプトラです》 午後六時三十分


 二通目。


《電話に出て下さい。さっきは慌ててたから、簡潔に書きましたけど、マルコヴィッチの死因がアルプトラなので、医者は措置を何もできないと言っています。このまま病院に運ばれます》


《何で電話に出てくれないの! イザーク兄さんは地下にいるときはイーブンに出ないって分かってるのに》


 さっき、リアがメールしたといった内容は、これのことか。今頃気づく何てと動揺したら、涙が生暖かいと気づいた。このメールに気づくかどうかで事態は変わっていたかもしれない。


 俺は何てまぬけ野郎なんだ。俺がもっと幹部らしかったら。もう、俺のことをダンちゃんと気軽に呼んでくれるマルコは、いない。イーブンをポケットにしまう手のひらはまだ、湿っていた。




 葬儀の準備は、誰となくイザークが手配した何人かがやってきて俺はそいつらに触っていいもの駄目なものぐらいしか指示ができなかった。マルコは、下層階の風習に則って集団墓地に入れられることになった。


 建物の中のロッカーに永遠にしまわれるのだ。エルザスにいる限り死人は土に還らない。そう教えられた。だが、実際は面積の問題だろう。土は汚れているし。一人一人を埋める場所がない。


 葬儀に来てくれていたイザークは、なるべく俺に話しかけないでそっとしておいてくれた。言葉を失うとはこのことだろうか。決して驚いたからではない。誰とも話したくないのだ。心に穴が空くと言うが、そんな生易しいものじゃない。


 マルコは、まだ生きていてもおかしくなかったのだ。俺の脳裏に何度も俺自身が言葉で殴る。「マルコは、まだ生きていけたはずだ!」


 これからロッカーに仕舞われる、最期の瞬間に俺はマルコの優しい眉を見た。俺をバカにしたような、口元を見た。手にはハンドルではなく、白い花を握らされている。まだ、レースは優勝してないじゃないか。改造だって、もっとしてやりたかった。マルコなら、じゃあなと、軽く別れられるのだろうか。


「なあ、マルコ」


 本当にこれが最期なら何か言葉を。と涙ぐんでしまったが、喉が痛んだだけだ。


 マルコの棺が、ロッカーに吸い込まれていくとき、俺の心は音をなくして、同じ暗闇に吸い込まれた。

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