第43話 リア
「警報は鳴らなかったね」
俺はアークのぼやきは無視してダニー・モーレイに命令した。
「明かりを消したら逆にお前の能力に気づかれる。囲まれたときまで能力は使うな。この四十三階なら廊下が広いからこのままマシンで貨物用エレベーターに向かおう」
イザークが送ってきた図面によるとUコードシステムのある九十階のサーバールームに電力を送っているのはあっちのウエストタワーの地下にある自家発電機と、下層階にあるエルザス発電所の二系統の電力を使用しているらしい。
ウエストタワーの発電機を止めると、一時的な停電が起こったのち、エルザス発電所の電力供給に切り替わる。俺たちが直接Uコードシステムをシャットダウンさせるのがシステム破壊の要だが、バックアップの恐れがあるので電力は止める必要がある。
エルザス発電所の電力を落とすのは上層階だけでなく下層階の人々の生活に関わる。だから、爆破するのはウエストタワーの発電機だけだ。エルザス発電所にはイザークが説得して、電力供給を一分だけ止めることで決着をつける。
廊下を浮遊してマシンが爆走すると、小走りに
貨物用エレベーターのボタンの前でドリフトを決め、
「気持ちいいな。これがレースってもんだな」
茶化したダニー・モーレイがエレベーターに面した車窓を開けてボタンを押す。エレベーターが来るまでの水攻めがいくら無害とはいえ少々苛立たしい。
次第に距離を詰めてきた。丸い物が飛んできた。手のひら大の金属のボール。催涙弾だ。手榴弾の要領で数秒後に空中で炸裂する。ボールが自動的に開く青いライトが見え、その四隅から、煙がスプレー状に放出されて旋回する。慌てて窓を閉める。が、車体のドアに銛が撃ち込まれた。
「足上げろ」
言ったそばから、もう一発刺さった。二つの銛がドアを引っこ抜いてロープで回収していく。
「あいつら、ビル内でもあんなの装備してんのかよ」
入ってきたガスに咳こみダニー・モーレイが口を押えて苦笑した。すぐさまアークが氷でドアを忠実に復元した。リアとダニー・モーレイが目を丸くしている。
「たまげたな。あんたのシンクロ能力ってほぼ反則だな」
「不本意だよ。俺は君たちの任務に一切、力を貸したくない」
エレベーターはまだ着かないのか。さっきと同じ十階だ。もしかして停止させられたか。
アークが氷のドアに手をかけたのを見て俺は怒鳴った。
「一人で行くのか」
「一人なら切り抜けられる。今までだってそうしてきたんだよ?」
「おい待て」
アークは一人出て行った。ガスが入ってきた。
「あの野郎を連れてきたバカ、どう責任取るんだ? ああ?」
ダニー・モーレイが悪態をついたとき悲鳴が聞こえた。氷のドアに血の雨が降りかかってきてシャーベット状に広がる。アークが次々に
「あの人、あのガスの中走って行ったけど本当に一人で全員倒したのかな?」
「マシンを捨てる。もう一回シンクロで飛ぶ」
マシンといっしょに飛ぶというだけでまた鼻血を出すはめになる。続けざまに二回シンクロで飛ぶのは正直しんどい。一人で飛ぶのとはわけが違う。アークの言う通り一人で動く方が能力を発揮する上での体力的にも効率がいいのは確かだ。だが、俺はあいつとは違う。
そのときタワーが少し揺れて照明が消えた。てっきりダニー・モーレイがいたずらでもしたのかと思ったが、照明は消えたままで、エレベーターの呼び出しボタンも消えてしまった。これは完全に停電だ。
イザークからイーブンで連絡が入った。
「発電機を爆破した」
「おいおい、早いな。エレベーターにも乗れてないぞ」
一瞬、こっちのイーストタワーも停電した。が、すぐにエルザス発電所からの電力供給があり、何事もなかったかのように照明が戻る。あとは、Uコードシステムにウイルスソフトを食わせ終わったら発電所に電力供給を止めてもらえばいい。
「こっちは順調だ。順調すぎるほどだ。もしかしたら警備はそっちに固まってるのかもしれないな」
「そうみたいだ。時間がないから切るぞ」
どの道イザークに遅れを取っている今、シンクロで飛ぶしかない。
もう一度飛ぼうとして、意識を集中させる。目を閉じると疲れているのか目頭が熱い。上の階を覗こうとすると視界に入る閃光が眩しすぎて吐き気がする。
もう少しで九十階まで意識が届こうとするとき、また鼻血が出てきたのが分かって、集中力が乱れた。ぼたぼたとズボンに落ちたところで、吐き気が限界に達して俯いてしまった。視界にアンヌ・フローラを捉えたような気がしたが同時にマシンの中にいる現実に連れ戻される。
激しく咳こんだ。嘔吐すると思っていたが、吐いたのは血だった。やはり三人で連続して飛ぶのは無理だった。鼻血をぬぐって一息ついて詫びた。
「おいおい、お前どうしたんだ?」
てっきり俺のことをダニー・モーレイが心配してくれてるのかと甘い考えを持った。ダニー・モーレイが身体を支えたのはリアだった。寄りかかって痙攣している。目は薄っすら開いているが、呼吸が早すぎる。
「リア?」
俺は嫌な予感がして後部座席のリアをまさぐり寄せた。胸を押さえて苦しそうだ。アルプトラだ。まさか、さっきUコードシステムを実行されたのか。
「リア。なあおい頼むよ。死ぬなよ」
後部座席に乗り込んで横に寝かせた。人工呼吸をするべく、胸の上に手を乗せたとき、大きく息を吸い込んだリアの最後の呼吸が止まった。
「くそ!」
男の力で少女の胸を押すと骨折の危険もあったが、心臓が止まった今手加減なんてしていられない。額に汗をかきながら賢明にリズムよく押す。一、二、三と心の中で数えるリズムがいつの間にか死ぬなよ、死ぬなよと、何度も唱えた。だが、リアの唇が紫に変色してきた。唇を重ねて息を送り込んで耳を当てても何も聞こえない。
「俺もやつらに殺される!」ダニー・モーレイが怯んで車外に出ようとするのでひっつかんで座らせた。
「黙ってろ」
それからどれだけ単純な作業が続いたか分からない。押し込んでは、息を送り、息の返答を待つ。無言の吐息が時間を忘れさせた。リアの指先が紫になっている。まだ指が柔らかいのに。腕も痺れてきたころ、ダニー・モーレイに止められて俺は茫然とした。ごめんなリア。ごめんなリア――。
催涙ガスが収まってきた。廊下は水で濡れて通路の壁からは水滴が滴っている。一部破損したオフィスの窓ガラスが飛散して書類をまき散らしている。閑散とした静寂が脳天を突っ切ってただ、音のない世界が美しかった。
「俺たちのせいだ。俺たちがリアを連れて来なかったら」
「あんたが連れて来なくてもイザークさんが連れてきただろうよ。それにアルプトラはどこにいてようが死ぬときゃ死ぬんだ。その子もイザークの従妹ってだけで相当プレッシャーだったはずだ。いっつも率先してただろうがよ。ついてこないと落ち着かなかったんだろうよ」
「いや、俺たち甘かったんだよ」俺はUコードさえぶっ潰せればそれでよかったのか。リアを死なせるなんて俺はなんて情けなくて、どうしようもないやつなんだ。
シンクロ能力を得て俺は一人で勝てるつもりでいたのだろうか。俺はリアのことを危険にさらしていることに自覚がなかったんじゃないか。アークが傍にいて簡単にことが運ぶと自負していたのか。
イザークの任務じゃなかったら俺はこの戦いにどう決着をつけるつもりだったのか。俺は……誰も守れないんだろうか。イザーク、申し訳ない。俺はとんだ過ちを。
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