第八章 舞踏

第44話 私室

 エレベーターの到着の音が静寂の世界ではじめて耳にする音になるとは思わなかった。リアは後部座席で静かに横たわっている。顔に上着をかけてやったが赤い色なのは忍びない。何で青の革命という名前なのに、血の色なんだろうか。


「マシンに乗せといてやろう」


 俺は催涙ガスの晴れたフロアに降り立った。まだつんと鼻をつく臭いがして感情と関係なく涙を誘うので足早にエレベーターに滑り込む。


 ダニー・モーレイがしぶしぶついてくる。扉が閉まる間置いていくことになるリアを乗せたマシンを見つめた。


 ダニー・モーレイが鼻から太い溜息を吐き出す。マシンを置いてきたことで俺たちは無防備になった。だが、ダニー・モーレイに言葉で伝えずともこのままマシンで突っ込んでいったら、それこそ動かなくなったリアの身体に傷をつけることになる。かといって、そのまま床に置くなんてできない話だ。


「着いたらどてっ腹に水をぶち込まれて合成肉のミンチみたいにどろどろにえぐられるんだ。やつら腕が悪いから急所なんか狙わねぇ。こっちがはらわたまき散らしてのたうったって心臓や、肺まで一撃で水は到達しねぇもんな。おまえさんは最初にもらうならどこを狙ってもらいたい?」


 着いた後どうなるかなんて冗談を言う気分にもなれない。エレベーターの天井を押し開けた。エレベーターの上に登って様子を見るつもりだ。ダニー・モーレイを引っ張り上げるのは苦労した。だが、重いとか、悪かったなとか、そういった会話すらなくなった。


 エレベーターが九十階に到着し、何が撃ち込まれるかと身構えたが入ってきたのは恐ろしい冷気だった。上着がなくなった俺は黒いシャツのみで、くしゃみが出たが一発もエレベーター内に撃ち込まれなかった。


 肩透かしを食らった形でエレベーターからフロアに出るとアークが先を越した後が目につく。扇状に配備された執行シャ警察ルフが氷の彫像になって固まっている。氷のレンズ越しに見える青白い皮膚が死を連想させ、俺の目にまた涙が浮かびそうになる。


 廊下を抜けて自動ドアをいくつか抜けると、人ひとり通れる廊下に枝分かれした。一つはテラスやカフェに通じており、垣間見えたタワーの外の景色は厚い雲の中だ。

 オフィスのドアがいくつかあり、一番厳重そうなロックがかかっている扉がある部屋へ向かう。網膜認証が必要だが、俺の能力なら簡単に中に入れる。


 てっきりアークはこの扉を突破できずにごねていると思ったが、扉のロックは解除されていた。医者とハッカーが同じ職業だなんて全く困ったものだ。


 緑の照明に照らされてぼうっと白い不規則な石畳が浮かび上がる。石畳の間には苔で覆われており、天井を支える柱は本物の木材だ。俺たちの来訪を知らせる白いライトが俺たちを案内すべく石畳を順に照らしていく。


 突き当りには滝の玄関があり、その前に止まると、滝が止まり黒光りのする引き戸が現れた。自動で開いた引き戸はからからと軽快に優しい音を立てた。


 中はヴェルタ楽園ラディとはまた違った整備された自然な空間が広がっている。リビングの床は川が流れその下に照明。川の上はガラスで覆われている。


 家具などがある部屋の隅は木材の床で、これもやはり本物の木へのこだわりがある。だが、こんな部屋でくつろぐことができるのだろうか? 中央のこの部屋のおかげで家具やキッチンが川の上に浮かんでいるような高揚感がある。ときどき、鳥のさえずりが天井のスピーカーから聞こえてくるが、毎日聞いていたら飽きそうだ。


 問題は川が凍っていないことだ。怒り心頭のアークが部屋ごと凍らせていないことの方が不思議だ。


 ダニー・モーレイが部屋を遮る天井からかかる三メートルはあろうかという白いカーテンをめくった。そこは寝室だ。そろりと踏み込んで、寄木細工のベッドを羨ましそうに値踏みした。


「こりゃ高かったろうな。いっそ燃やしちまうか」


 俺はダニー・モーレイの口を閉じさせて、ベッドの下にアンヌ・フローラがいないかアサルトライフルのマズルで何もぶつかるものがないか確認する。


 アンヌ・フローラの正装とも言うべき軍服姿が壁にプロジェクターで投影された。


「ドレイシーはこのイーストタワーにはもういないわ」


「そっちから出てきてくれて助かった」


 俺たちの姿をどこで見ているのかカメラがないか天井を見渡す。ぱっと見ただけでは分からない。小型カメラの可能性もある。俺はダニー・モーレイに顎でしゃくってほかの部屋を見てくるように合図した。


「じゃ、あいつがお前を見逃した理由でもあるのか?」


「血相変えてウエストタワーの方に向かったわ。姉のことになるとあの男も頭が回らなくなるのね。私は眼中にないらしいわ。彼の優先順位はあくまで姉が一番なのよ」

「ニノンもここにはいないってことか」


「そうよ。何を躍起になってるのかしら。あなたたち革命グループの目的はUコードシステムの破壊でしょう」


「人を簡単に数字合わせのために殺すあんただ。ニノンを何に利用するつもりだ」

「何に利用したって別に構わないでしょう。彼女は元よりこのアルザスの国民、ノアの子孫(ノーデ)ですらないのだから。彼女にこの都市で生きる権利なんて初めからないわ」


「彼女に手を出してみろ。アークでなくても俺がお前を殺してやる」


 リビングで罵声と怒声が聞こえ、ダニー・モーレイが小銃をぶっ放す音が聞こえた。アンヌ・フローラの映像には構わずアサルトライフルを構えて部屋を飛び出た。


 リビングではダニー・モーレイが、執行シャ警察ルフから一方的にウォータジェットを受け、大きなソファーを盾に腹ばいになっている。ソファーはみるみるえぐれ、綿がびちびちと産み出てくる。


 俺が加勢で一人の執行シャ警察ルフを撃ち殺すと、いち早く俺の存在に気づいていたもう一人の執行シャ警察ルフが撃ってきた。飛び出したばかりで、前のめりになっていた。避けきれない。


 瞬時にその執行シャ警察ルフの背後を視野に捉える。今の目線のルートをシンクロで飛ぶ。この単距離なら身体への負担は少ない。俺が真後ろに現れたことにあっけにとられた執行シャ警察ルフの後頭部を銃床で殴る。


 執行シャ警察ルフの鉄製のマスクが少し凹んだ。狙いを首の頸動脈に変えて殴ると気絶した。


「とどめは俺にやらせろ」ダニー・モーレイが起き上がるなり小銃を突きつけるのでやめさせた。


「いいからほっとけ」


「そんな甘っちょろい。だからおまえさんは幹部でもイザークさんにいざってときに頼りにされねぇんだよ」


 リビングにはさっきにはなかった巨大な黒いデスクが現れている。壁にはスクリーンが浮かび上がっており、人物名と顔写真が映し出された。この乱闘の最中床からせり上がってきたのか。こんなに堂々と俺たちの前に。


 デスクにはキーボードが乗っているだけの非常にシンプルな端末のようだが、個人情報だけが載っているわけではない。寿命予測システムにおける推定寿命が明記されており、殺処分優先順位が記されている。


 画面に映っている女性は知り合いでも革命グループ『ブラオレヴォル』でもないが死亡を実行と表示されている。間違いない、これがUコードシステムだ。実行を止める方法はないのか? ロード中になっている。


「お、おい」


 ダニー・モーレイにデスクをタッチする手を止められた。すぐ真横に銃を構えて現れたのはあろうことかアンヌ・フローラ本人だ。てっきりさっきのモニター映像でこのイーストタワーにはいないと思ってしまっていた。


「私室でも軍服なんだな」


「来ると分かってたからよ。あなたたちを歓迎するのに、正装でなくてどうするの? まあ、頑張って来てもらったのはいいけれど、何人かUコードシステムでお仲間が死んだみたいだけど」


 リアをついさっき殺したのはこの女自らの手によるものだったのか。言い表せない怒りが拳をわななかせた。この女は人の命なんて何とも思っていない。

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