第七章 赤の半旗
第38話 温暖化冷却装置
それは荘厳で、今は失われたゴシック建築のようであり、一言で言えばパイプオルガンの形をした電子機器だった。
どれもイーブンや仮想現実でしか見たことがない代物だが、それに近い。空間を震わせるモーター音がする。ファンの音も鳴ったり止まったりして、無色の気体を吐いている。
更にファンとは別に何百本と空に伸びた筒の部分から何か空気が通うのが音で分かる。調律されていないので音の高さはまちまちだが、楽器としては大きすぎる。エルザスのホールの中にかろうじて収まるぐらいの大きさだろう。
何本ものパイプが凍結した本物の大地に突き刺さっている。パイプの周りだけ異様な氷山ができており、パイプが冷気を放っているようだ。
アークは親友や旧友に出会ったという顔をして、だが目の奥では笑っておらず、
「先の人類が持てる限りの技術で作った惑星規模の冷却装置。空へ放つ冷気と、地下を潜る冷気で冷やすんだ。地下の方はパイプを繋げて各国に送られるパイプライン。一部の海もパイプラインの下は凍っちゃうんだけどね。君は、海って分かるんだっけ?」
「馬鹿にするな知ってるよ。ホログラムで見たことある」
俺の話は無視してアークは巨大な機械に近づいていく。人類の帰還に歓喜したかのごとく、機械の足元から緑のランプが複数不規則に点滅していく。卓上と思われる場所は氷が連なって、とても脚立なしでは座れない高さまでせりあがっている。
「アーク、何を始めるんだ」
アークは
「やつらはニノンを奪った。もうアルザスなんて必要ない。エクステリユの氷を溶かすよ」
「溶かすって、そんないきなりかよ。そんなことができるなら、なぜ今までやらなかったんだよ」
アークが俺たち革命グループ『ブラオレヴォル』のことを散々馬鹿にしてきたのはこういうことだったのか。しかし、
アンヌ・フローラは血相変えて我先にと
「早く逃げた方がいいよ」
「逃げるって。おいおい、今逃げてきたばかりだろ」
機械が、蒸気を上げ始めた。アークが手をかざして念じはじめる。卓上の氷が溶け始めアークの足元の氷に水が滴りはじめる。
「水――。嘘だろ。どれくらいの水が溶けるんだ」
土地が解放されるなんて淡い期待を抱いたのは間違いだった。この世界の九十九パーセントは氷だ。それが全部解けたら……。
「アルザスを飲み込むぐらいはあるね。津波が起こるよ。アンヌ・フローラはそれを知ってて俺にはなかなか手を出さなかったわけだけど、もうアルザス何てどうだっていいよね」
俺はすぐさま、アークの腕を引っつかんだ。アークの鬱陶しげな目が下げすんで見下している。敵対宣言のつもりか。手のひらに強烈な痛みが走る。アークが、俺の手のひらに氷を突き立てた。半歩下がると、容赦なく膝蹴りを食らわせてきた。
「何の真似だよ」
見開かれた瞳は俺を憎んでやまない。俺には心底辟易しているという目で疲労の色も見える。
「そっちこそ何のつもり? 俺からニノンを奪ったんだよ。世界は終わったんだよ」
血の滴る手のひらを締めつけるべく押さえて俺は怒鳴った。
「その件なら謝っただろ。これからニノン奪還の方法を考えるのが先だろう!」
アークは機械から離れてにじり寄ってきた。まるで魔法だ。何もないところから瞬時に両手に氷でできた短剣と長剣を浮かべて握る。空気中の水蒸気を氷に変えることだってできるのか。短剣を、投げつけてきた。とっさに転がると地面の氷に当たり跳ね返る。
氷はいくらでも生み出せるらしい。もう次の短剣が握られている。次の短剣もバックステップでかわすと、長剣で俺を指し示した。
「君はマルコを失ったときのこともう忘れたの?」
微笑んでいるがニノンが全てのアークは憎悪にまみれている。俺を殺すだけでは足りずエルザスも崩壊させたいらしい。
「何も怒りだけじゃないだろ」
「君だって
アンヌ・フローラやこのエルザスが憎くないと言えば嘘になる。だけど無差別に人を殺す真似はしたくない。アークはそれを厭わないのだ。そして、ニノンにナノマシンを運んできたこの俺のことは特に八つ裂きにしたいのだ。
ちくしょう、さっきまでアークとはやっとの思いで打ち解けられたかと思ったのに、とんだ殺人鬼に化けたものだ。アーク自身その殺意に身をゆだねることに納得しているのか、恍惚とした瞳で俺をどう料理しようかと眺めている。
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