第三章 悪夢
第11話 最高司令官総長
青地に『唯一の国』を意味する一本の線、それを支える下層階を意味するバツ印が交わる蒼い国旗がエルザスの旗だ。
だが、本当は空の青を自由の色だと誤解させないための黒のバツ印を模し空を否定している意味であることは俺も含め、ブラオレヴォルのメンバーしか知らない。エルザスの国旗を背景に、厳格な顔をして頬を吊り上げた女性が鋭い目を向けた。
「アルザスは、尊厳ある上層階と、供給と消費の下層階から成り立っています。今回、この均衡を崩しかねない許しがたい事件が起きたことに対し、迅速に対処します。
人口的に見ても少数であり価値ある上層階に対して、今回の違法レースはレースという傘に隠れながら住宅街で爆破行為を行うという上層階への宣戦布告と取れる反逆です。
現時点で分かった重大な事実はレースのゴール地点が『ラ・ドゥ・トゥール・ルェフエ』であったことです。
ツインタワーに全ての行政機関が集まるアルザスの命です。
これは非常事態宣言です。
アルザスに住む我々の存在意義を下層階人民は理解していない。また一つ下層階人民の浅はかさが露になったことと思います。
下層階は、自分で自分の首を絞めているのです。
上も下も、一つの建造物にすぎないこの脆いアルザスが人類最後の都市として二百年も続いていることの意義は、滅んだ
色素が薄く白に近い金髪の髪をポニーテールで束ねており、精悍な顔つき。だが、嫌らしさはなく、ただ自分の行いを正しいと信じて疑わない機械的な表情作りの得意な我らがエルザス上層階に君臨する人類のリーダー、アンヌ・フローラ最高司令官総長だ。
エルザスはじまって以来の初めての女性最高司令官であり、最悪の警察組織、
はたまた、上層階、下層階の完全分離化を図ったのも彼女だ。もはや、上層階と下層階では国が違うといっていい。だが、下層階の自治権は強いわけではない。
上から流れてくる下水、ゴミは全て下層階へ溜まっていく。敷かれたパイプどおりにゴミが流れていく。これは、俺たちが生まれる前からそうだった。
アンヌ・フローラだって三十代だから生まれていなかっただろう。アンヌ以前に敷かれたなんとなく重い空気、上層階の優越感、そういった払拭できないルールを強く推し進め、アンヌ・フローラは評議会から選出された軍人だ。
上層階でしか見ることができない本物の空をイメージした群青のコートに、外の世界からの独立を意味する黒のバツ印のような網柄ズボン。奇抜に見えて、重厚さのある軍服姿が華奢な身体にマッチして頭脳明晰に見えるのが不思議だ。
「全てのレーサーは革命グループ『ブラオレヴォル』のテロ行為と同等の罪。逮捕をここに宣言します。逮捕とはつまり、何度も言うように、生死問わず確保すること。このアルザスは今は亡き
昨日行われた緊急会見が繰り返し放送されている。俺たちのレース後、三十分もかからず放送されたという上層階ニュースチャンネルだ。
レーサーまで革命グループ扱いか。問題はマシンを上層階に放棄してしまっていることだ。できるだけ部品は廃材を集めたし、中古ショップで改造してある。店の店員がばらすわけもない。
店の店員はこれまでだって違法レーサーを密告するようなまねはしなかった。俺が革命グループだということも知ってる上で協力してくれていた。
上層階に放棄したマシンでレーサーとして身元がばれるのは仕方がない。革命グループだと紐解かれることはまずないだろうと思っていただけに、全レーサーの処刑宣言はあまりにも手荒だ。それに、何がノアの子孫ノナーハだ。下層階ではノナーハという呼び名も、上層階での呼び名のノーデもどちらも死語と化している。
だいたい、同じノアの子孫ならば、なぜ上層階と下層階で俺たちは生活水準を分けられたのか。俺たちの先祖が氷の世界から脱出したのは、何も選ばれたからじゃない。逃げるべくして逃げて来ただけだ。
教科書にも、氷に閉ざされた外界より脱出した人類が我々の祖先と書かれている。選ばれた一族だと思っているのは上層階の人間だけだろう。
二十番ホール中央病院から二体の死体が抜け出したことは不思議と下層階ニュースにならなかった。あの電動車いすをそのまま拝借したのに、お咎めなしなところは下層階の病院のいいところだ。ただ、ばれたらきっと罰金だ。
チャンネルは、下層階では下層階放送局、上層階放送局と大きく分けて二種類あるが、どちらも見ることができるのは下層階だけだ。上層階は、下層階の放送ニュースに規制をかけている。下層階の事件や話題は上層階の放送局がだいぶ脚色して放送することが多い。それに、上層階は下層階の経済事情や、事件には関心がない。
パブのマスターに誰かが陰気な上層階ニュースチャンネルを変えさせた。下層階のチャンネルでも今日の一番の話題はやはり、俺たちレーサーだ。しかも、大健闘を称えた内容だ。報道はアナウンサーがこれはテロ行為ですと強く念押しをしていたが、その顔に憤りはなくこれが革命の一歩だと言わんばかりに得意気に報道している。
相方のコメンテーターロボットは、言葉でしか報道内容を把握しないので、誠に遺憾だと連呼している。その滑稽さが大衆に受けて下層階ニュースチャンネルはバラエティ化している。
「レーサーに乾杯!」
パブでビールを大勢の人々がジョッキを突き上げた。薄暗い照明が音楽に合わせて突然陽気な黄色に変色する。舵取りをしていた名もない男は、乾杯したジョッキを頭から被って見せた。見かねた店主が、食器洗浄機のスイッチを入れながら促した。
「大いにやってくれて結構だが、あまり暴言を吐かんでくれよ。客に混じってシャルフがいるかもしれないからな」
「おやじ、レーサーにって言ったんだ。テロに乾杯してるわけじゃない。それにこれは革命だ」
店主も呆れ顔で笑った。多いに賑やかな深夜だ。ほかのレーサーも多く招かれていた。ただ、全員が手放しで喜んでいない。あの爆破で二位につけていたレーサーは亡くなったそうだ。ほかにも負傷者や、その家族がいた。
そういう人達は欠席していたし、来ていても喜びとは程遠い、悔しさを噛み締めていた。誰が開催したのか分からないこの小さなパーティーはテーブルマジックはじめ、ダンサーの登場と、徐々に盛り上がっていくが、騒いでいるのはレース出場者ではなく、観客の方だ。
「ダンちゃんに乾杯」
「よせよ、マルコ」
俺は照れくさくなって鼻をこすった。マシンとシンクロしていたのはマルコだ。俺のしたことといったらアサルトライフルで適当に撃ったことぐらい。
「さて、これからどうするかな」
「飲もうぜダンちゃん」
ビールを一気飲みしてソーセージをむさぼるマルコ。金もいずれなくなる。俺たちの稼ぎのマシンは上層階にて破壊。アークは直して送ってくれるような心優しい人間ではない。病院に死体で送りつけたのも、本当に解剖目的だったかもしれない。
「暗い顔すんなって。お前、明日からまた、例のバイトだろ。俺の分までしっかり稼いでこい」
屈託なくマルコは笑うが俺はとても笑えそうになかった。ちらほら客も帰りはじめ、デジタル時計は翌日になっていた。そこへ、ほどよく雑談で静まった店内に招かれざる客がやってきた。
どこか、横柄な態度で自動ドアのセンサーを跨ぐようにして入ってきたのは、少し薄汚れた顔になっているが、傲慢な笑みを浮かべたダニー・モーレイだ。店内から罵声が飛び交った。
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