第二章 闇医者

第6話 闇医者

 誰かの足音がする。マルコは意識を失ったままだ。一刻も早く何か、手を打たないといけないが、相手が執行シャ警察ルフだったらどうする。マルコなら、お前だけでも逃げろと言うだろう。乗り捨てられた車に隠れて様子を伺った。撃ってくるようなら不意をついてこちらも撃とう。


 物静かに現れたのは少年ともとれる端正な顔つきをした、青年だ。俺たちのマシンから噴き出る煙に煽られて艶やかな金髪が、なびいている。黒いシャツに、白衣をまとっており、医者のように見えないことはない。


 執行シャ警察ルフじゃなくてよかったが、何かを探すように見渡しており、マルコを見つけるなり満足気に近づいて来た。華奢な指がマルコに伸びる。ふと、指を引っ込めて、まじまじとマルコを見下ろす。


「死体じゃないのか」


 その顔が陰るとともに、懐からメスを取り出した。殺す気だ。


「おい、マルコから離れろ」


 青年はまだ人がいたとは意外だとばかりに、おおげさにこちらを振り返ったが、投げかけてきた妖艶な笑みは、俺が見てはいけないものを見たなと言わんばかりだ。


「あ、あんた、医者メドサンか?」


 俺は上層階の公用語のランセス語で慎重に話しかけた。青年は、無機質な蒼い瞳で静かに呟いた。


「だったら?」


 俺は躊躇してアサルトライフルを構えたまま男を隅々まで見回した。武装はしていないが、通報しないという保証は全くない。逮捕されれば下手をすると一生下層階に戻してもらえなくなる。


「何でもいいからマルコから離れろ」


 青年は俺が手を挙げろと言うのを待っているようなそぶりで自ら手を挙げてみせた。


「助けて欲しいって顔に書いてあるけど」


 俺は苦笑しつつ、青年の握っているメスを指差した。


「医者なら、人助けするのが、義務じゃないのか?」


 青年はメスをしまって、腕を組んで意地悪く笑った。


「応召義務なんて俺には関係ないね。ここに駆けつけたのもニュースを見て死体でも転がってないかと思って来てみたんだ。俺は死体にしか興味がないからね」


 プルスマ医者メドサンかよ。


 俺が下層階の人間と知ってか、青年はウィツァ語で話した。死体にしか興味がないとは狂ったやつだ。


「そもそも、君達は下層階から来た違法レーサーなんじゃない? 治療したところで、君達は捕まるよ」


 優しく微笑んだ青年の袖からはみ出した両腕に、肌を移植した傷痕が見られた。よく見ると鎖骨辺りも、皮膚の色が違うので、移植している。大手術でもしたのだろうか。


「あんたが、かくまってくれたらいいだろ」


 冗談なんて言う柄ではないが、今はこんな狂った闇医者にでも頼るしかなかった。上層階のまず身分証明がいる。いっさいの治療も受けられない。


 上空からサイレンが鳴り響いてきた。幸いにも、目にも留まらぬ速さで上空を通過したが、青い飛行車は、執行シャ警察ルフだ。青年もちらりと空を見上げて、ビルの窓に映った青い残像をとらえる。


執行警察レトだね」


 上層階の人間は同じ物でもランセス語の別の意味のものをあてがって呼ぶ。たとえば上層階ではこの都市をアルザスと呼ぶ。アレトはランセス語で逮捕の意味だ。


「あんたも、プルスマ医者メドサンなら捕まったらまずいだろ」


 ランセス語で半分脅すつもりで言ったのだが、青年の笑みは消えない。


「まずくはないさ。ただ、今は会いたくないかな」


 青年が俺たちのマシンから立ち昇る煙に手をかざした途端に、彼の手のひらから冷気が吹き出し、マシンの火は消し止められた。シンクロの能力か? 何の能力だろう。


「知り合いを助けるなら早く君が運んであげなよ。軽い脳震盪だよ。足は折れてるけど」


 あくまで、自分から手伝うということはしないつもりらしい。マルコを担ぐと、青年はもう遠くに見える。着いてこいという態度にしては一度も振り返りもしない。


 青白く舗装されたアスファルトの裏路地をゆく青年は、黒のワゴン車を見つけると俺を中に案内した、窓は外から中がみえなくなっている。マルコを後部座席に押し込み、同じく後部座席に乗り込むと後ろからだらりと、何かが垂れかかってきた。


 死体だ。首の骨と腕が折れている。この車に無理やりフィットするように折られている。


「まじかよ」


 やばい車に乗り込んだ。呻くように叫んだが青年は、運転席に座るなり扉にロックをかけた。自動運転に切り替えると、青年は座席を向かい合わせに回転させた。


「死体は、気にしないで。まだ、新鮮だから異臭もしないでしょ」


「ふざけるな。死体と一緒にどこにつれて行く気だ」


「手術室。嫌ならキャンセル料として、三万シュラン」


「高すぎる。じゃあ治療費も取るのか?」


「もちろん、ボランティアじゃないからね」


「上層階でもキャンセル料はさすがに取らないだろう」


 一体どれほどの金額を高額請求されるのやら。渋い顔をしていたのが顔に出ていたのがばれて青年は穏やかな声で「払えないなら別のものでもいいよ。死体とか」と告げたが、下層階出身だから、金がないと思わっているのは明らかで、しゃくに触る物言いだ。


 しかも、死体のほうが、用意するのが難しいだろうのを分かっていて馬鹿にしているのだ。


「ちゃんと払う。マルコをなんとか助けてくれ」


 青年は返事もしなかった。ただ俺のことを何をそんなに必死になっているのかと、不思議そうに見つめていた。

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