第46話 舞踏
「おい、ダニー。ダニエル」
自分と同じ名前の男であることに思い当たった。
「誰がこんなこと頼んだよ」
「あら、男が泣き言?」
ダニー・モーレイにはこれといって恩はなかった。これからもそうだと思っていた。だけど、余計なことをしてくれたとは思わなかった。何が彼の人生を翻弄していたのか?
金か、
相変わらず稲妻の中を自身の身一つで走ってきた感が抜けないものの、やっと様にもなってきた。感傷にひたる時間も与えてくれなさそうだ。
一秒前に俺が立っていた位置には眩しさで残像が残った。はっきりと確認できるようになると、壁に黒い穴が開いていて、空気が温度差で揺らいで見える。袖口からは残り火がちろちろと飛び出ている。
アンヌ・フローラは俺が後ろに回ったことに不信も抱かず、目視もせず正確な後ろ回し蹴りを放った。慌てて飛びのくが、正面で目が合うときには追撃とばかりに小銃で撃ってくる。また、シンクロで飛ぶはめになった。後方へ瞬時に移動できたものの、アンヌ・フローラにはこちらが瞬間移動系のシンクロ能力の持ち主だと察せられたことだろう。
「前に会ったときと少し変わったみたいだけど自惚れないことね。私は対ドレイシーを想定しているのよ。当のドレイシーは戦意がまるでなかったのは幸い。あなた、ドレイシーほどの殺意で私を殺せるかしら?」
アンヌ・フローラは今度は両腕の袖をこちらへ向けた。自分の住まいがどうなってもいいのだろうか?
瞬時にまた、アンヌ・フローラの後方へシンクロで飛ぶ。早くも汗をかいてきた。着地と同時にアンヌ・フローラはまだ何も発射していないことに気づいた。完全なフェイントだ。両腕がこちらへ向けられる。どこかの武術のポーズのように手のひらを開く。袖口が砲口へと変形する。
また、素早くシンクロで部屋の隅へ飛ぶ。軽く走り込みをしているような状態の汗が滴ってきた。轟音こそ鳴らないが、スマートな射出音で壁に二つ直径十センチリの穴が開く。アンヌ・フローラは一息ついて小銃に弾丸を装填する。完全に舐められている。アーク・ドレイシーを眼中に置いていたのなら俺なんか雑魚同然なのだろう。
なるほど、だから軍服の袖は高温を発する砲口にしているわけだ。となると生地も凍死にも耐えられるものとなっているだろう。もう布や繊維で衣類を作らなくていいじゃないか。こっちは生身だっていうのに。
狙うのは本当に顔か首しかなさそうだ。くそ、やってやる。リアとダニー・モーレイの仇だ。そうだ、マルコの仇だってやっと討てる。
マルコの幻聴が聞こえると思った。おかしなことに脳裏をよぎったのはアークの不適な笑みだった。あの男なら静かに微笑んで頷くだろう。
アンヌ・フローラが装填し終えるとすかさず撃ってきた。俺は我ながら悠長に眺めていたことを自嘲した。こなれたシンクロで飛ぶ。少し離れた位置に現れると、アンヌ・フローラは反射神経を駆使してこちらに砲口を向ける。銃はまだ握られている。
効率が悪そうに思える。砲口も弾に限りがあるのか。砲口は袖から自身の手を焼かずにあれだけの威力を出すには繊細で膨大なエネルギーが必要だろう。供給は配線で、きっと軍服の内側にあるはずだ。でもだめだ、服が硬い以上の上から攻撃が通るはずがない。アンヌ・フローラが銃を持つ手を狙うか、もしくは……。
こちらが動かないので、まさかのアンヌ・フローラは走り込んで一気に間合いを詰めてきた。指先をそろえての手刀を切る。バックステップでかわすが、素早くアンヌ・フローラは小銃をホルスターにしまった。
何をする気かと、こちらが蹴りを放つ。足をつかまれた。筋肉質な剛腕……そのまま持ち上げられる。まさかのすくい投げ。
柔道もできるのかよ。動転してまともに食らった。背中から落ちて、受け身の練習不足を痛感する。ひっくり返った俺の顔めがけて両手の袖が砲口に変形する。瞬時にシンクロで態勢を立て直す。立つのも容易だが、読みやすかったのかアンヌ・フローラは振り向きもせず再び小銃を引き抜いた。
この至近距離はあえて選んだ距離だ。その腕を待ってた。俺は銃口と刺し違えるようにしてその手首をつかんだ。反対の腕の砲口が耳元で発射された。頭を傾けて避けたが、鼓膜が破れたような激痛が走る。耳から生暖かい血が流れて、音も聞こえない。熱を持つ砲口の先端が頬を焼いた。
だが、ひるんでいられない。歯を食いしばって、絶対に離してなるものかと握っていたアンヌ・フローラの手首を捻って彼女の袖に押し込んだ。ちょうどアンヌ・フローラの撃った弾丸が彼女の袖の中で乱反射する。
強度のある服の中では弾は服の中を高速で跳ね回りアンヌ・フローラの腕のみならず砲口まで破壊した。銃の暴発と同じだ。ジャミングのように、弾の代わりに自身の手を袖の中で弾詰まりさせたのだ。
見るもおぞましい光景だった。暴発で腕が吹っ飛ぶはずだが、飛ぶはずの腕は服の強度ゆえに服の中であらぬ方向に骨折を何度も繰り返す。憎悪と、絶望の混じった悲鳴が懇願したようなかすかなうめき声に変わる。
腕をかばうそぶりを見せながらくじけそうになる膝を地につけないあたり、さすが最高司令官総長様だ。振り乱したポニーテールからじっとりと汗が滴っている。
この国の陥落は今まさに俺の手にかかっているという興奮で膝が震えてきた。マルコ見ていてくれ。俺たちは上に勝つんだ。エルザスが本当のエルザスに生まれ変わるんだ。情動を見透かしたか、アンヌ・フローラは額にしわを寄せてうすら笑った。
ほんと、こんな鬼ばばあみたいな顔でも美人だと対応に困るぜというマルコのつぶやきが聞こえるようだ。ふと、血を床に広げているダニー・モーレイを見下ろした。本当にすまない。今終わらせる。
「Uコードシステムの破壊を手伝ってもらう」
「そんなこと、自分でやったらいいじゃない?」
「このシステムはもう終わる。悪あがきするな。バックアップデータもどこか教えろ」
アンヌフ・ローラは冷ややかな目で俺の話を聞いていた。これからエルザスは上も下もなくなる。アンヌ・フローラを下層階で一時的に捕虜として隔離し、革命が成功したことを伝えるんだ。そしたら、裁判や新たに選挙と忙しくなるだろう。いや、気が早いか。
アンヌ・フローラ自身が所持していた電子手錠をかける。といっても片腕はミキサーにかけたような状態で赤い液体やら白い粉状や黄色いジェルになった骨っぽいものを滴らせているので、かけたところで非常に頼りない状態だ。
痛みも通り越して感じていないのか本人は肩で息をすることに集中していて渋い顔をしている。
俺は一刻も早くこの急展開を伝えたくてイザークにイーブンをかけた。
「イザーク?」
自分の声が上ずって、まぬけな感じだ。たった今革命を成功させたのに。俺は喜びよりも失ったものの多さに戦いている。
よく聞こえないぞ。イザークは俺にそう言ったし、俺も同じ問いを投げかけた。激しい息遣いと、戦闘中であることを告げる銃声。イザークが手こずる相手がいるのか?
「先に謝らないといけない。リアとダニー・モーレイが俺のせいで」
上ずってうまく言葉にできない。リアはイザークにとってもショックが大きいだろうことは容易に想像できる。しかしぐずぐず話している状況ではない。死んだと告げる己の声が震えて数秒の間、沈黙が空間を滴る。
「アンヌ・フローラを殺したか?」
イザークは従妹であるリアのことは何も言わなかった。俺が恐れていたことだ。怒っているのか。それとも任務に集中したいのか。
「いや、確保した」
イザークの声が震えている。喜びではない。じっとりとした怒りの。どうしてだ? 確かに俺もアンヌ・フローラを殺すしかないと思った。だが、殺さずに済むのなら生け捕りという方法でも革命は成しえる。
「馬鹿を言うな。殺せ! 首を切ってさらし首にしろ!」
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