第47話 二人の最高司令官総長

「何で。俺たちは勝ったんだ。こいつは生け捕りにしたし処分はのちのち考えればいいだろ。上層階は権力を失う。これ以上何を望むって言うんだ? ああ分かった。頼む俺に直接罰を与えてくれたらいいだろう。リアを死なせたのは俺の責任だ。ダニー・モーレイも俺をかばってくれた。俺は二人分の命を」


 言葉が詰まった。だが、俺の汗ばんだ手のひらや、冷や汗、全身を震わす熱。高熱だって出ているかもしれない、この浮かれたような高揚と絶望。それがイザークにはどうしても伝えることができない。いっそこの場で裁いてくれ。煩わし気なイザークの声が怒鳴った。俺のことなどまるで興味がないとでも言う響きだ。


「何でもいいから武器を取り首を斬り落とせ! アンヌ・フローラは一人じゃない」


 イザークの罵声、銃声と共に通信が切れた。誰と交戦しているんだ。それにさっきから、首の部位を指定している。そこまでして命を奪わなければいけないのか。もちろん、俺たちは武装した時点でアンヌ・フローラの生け捕りは計画になかったので、殺害以外に革命は成しえないはずだった。


 振り向くとアンヌ・フローラは冷や汗を滲ませながら、どこか恍惚とした眼差しを湛えて今にも高笑いしそうではないか。


「何がおかしいんだ」


 口角が下がり味のしないガムでも噛んでいるかのような表情筋の硬直、決して笑ってはいなかった。一瞬何かの見間違いかと思った。まるで、人ではなくロボットのようではないか。


 少し躊躇われたが、顔の前に手を伸ばしたが、アンヌ・フローラの瞳はそれを追おうとしない。肩を揺さぶっても何の反応も示さない。


 いや、さっきから身体的には重症であるにも関わらずほとんどうめき声も上げず、軍人とはいえ人間、こういう風にはできていないだろう。拷問なんてやり口はやりたくないが、試しに原型を留めていない袖の腕を握ってみた。すでに握りつぶせる肉もなかったが、アンヌ・フローラは叫び声を上げなかった。


「おい、声は聞こえてるか?」


 無反応。表情こそあるが、不気味な状態だ。まるでニノンのような感情の欠落が見られる。数分前まで好戦的な女性であったはずだ。


「おい」


 今度は語気を強めた。


「ああ、あんたね。アンヌをこんな目に合わせたのは? 」


 突然、別人の声音がした。もっと幼い。可愛げのないむっつりした不機嫌な少女の声だ。だが、目の焦点は合っていないと思ったら、俺を探すように瞳孔が開いて視線が俺を捉えた途端、にんまりと下品にも口を大きく吊り上げる。


「いいこと、こっちにもあんたのお仲間のイザークってやつがいるから、同じ目に合わせてあげる」


「お、お前別の人格か何かか?」


 戦慄して、飛び上がりかけた。もう少しで腰が砕けるところだった。気持ち悪くなってきて問いかけた。こういうのは呼び覚ましてはいけないもう一人の人格。二重人格と呼ぶんじゃないだろうか。納得させるには何か医学的解釈が必要だった。


「あたしは、フローラ。さ、殺してみなさいよ。イザークの忠告通り。あんた根性なしみたいだからね。できないでしょうけどね」


 ぷっつり通信が切れたように、アンヌ・フローラは瞼を閉じて意識を失った。今のは何だったんだ。考えてもらちが明かない。今のうちにUコードシステムを破壊する。


 Uコードシステムでロード中の女性を中止しても、ダニー・モーレイが生き返ったりするような奇跡は起こらなかった。ただ、その女性一人を救えた。モニター上のことなので、実感はなかった。


 こんなデータのやり取りで、こんな簡単な処理で人が毎日死んでいることを呪った。未だにマルコが死んだことに実感が伴わないのも無理はないことなのか。それが悔しいんだ。


 Uコードシステムを永久にシャットダウンすることは簡単だった。ディスクを入れるとウイルスソフトはモニターに銃を乱射するキャラクターを描き出して、本ストレージの削除までのカウントダウンを図る。


 他のデバイスと繋がっていないことを確認してからネットワーク接続を切る。切るだけで、人が死ぬことはなかった。そりゃそうだ、それなら心臓から針を抜いた時点で死んでいるはずだ。ネットワークは一人の死を検出し、相方へ死亡としてこのシグナルと道連れの処刑を実行しているだけだ。外部への情報漏洩もなさそうなので、このままカウントダウンを見守るだけだ。


 無事モニターから個人情報やペアリングしている人々のデータが消え、モニターの電源も入らなくなった。イーブンでエルザス発電所署長に連絡する。これから一分のエルザス全域の停電だ。


 暖房設備も止まるため、下層階で気温がマイナスになり死者が出る恐れもある。これは賭けだった。念のため電源コードや配線も切断しようとしたとき、一瞬だけ予備電源でモニターが点灯した。




《現在のステータスバックアップ済み。保存先外部ストレージAN:F:NI Day4 Month05 Year2199》




 嘘だろ。バックアップは既に今日終わっている。ちょっと待て今はA200年だ。2199年だって? 旧世界共通語で表記されていることから旧世界歴だ。


 アークが滅ぼした世界。それがもし続いていたとしたら、今日こんにちは2199年だ。アークが2000年近く続いた人類の歴史を一度壊した罪の重さに改めて愕然とする。今はその憤りと同じぐらい新たな事実に憤怒した。


 こんなクソみたいなシステムが旧世界歴で表示されているということ。やはりアークの言ったように旧世界も上層階と同じようにこのシステムを行使しようとしていたということではないか。


 失望したと同時にバックアップされている事実をなんとかしなければならないという強い信念も生まれた。これでは発電所の電力を止めても意味がない。


 モニターは焦る俺を無視して電源が落ちた。再起動も何も受けつけない。ただの、黒いデスクと化した。仕方がないので配線も何もかも破壊した。これで、このデスクは動かないが、バックアップ先を知る人物はアンヌ・フローラしかいない。


 ところが困ったことに、アンヌ・フローラは意識を失ったまま動かない。まるで仮死状態だ。イザークのイーブンも繋がらない。こんなところでじっとしているわけにもいかず、自身が身に着けていた電子手錠で、アンヌ・フローラの片腕とリビングの隅の床の木材で一番細い木材をはめようとした。


 そのときアンヌ・フローラがまた別人になったように甲高い声で喚きだした。


「とんだ革命家ね。あたし一人殺す度胸もない。後悔するのはあんたたちだからね」


 もう動くことは到底不可能なはずだった。ない腕を圧し潰すようにして突き飛ばされた。更に激痛が走るはずなのだが、本人は痛みを感じていない。不意をつかれて俺はガラスの床まで転がった。


 アンヌ・フローラが踵で踏みつけてくる。転がって避けると、まさかの、床が割れて川をイメージした床の水が跳ね上がる。すかさず、俺は態勢を立て直すのに、シンクロで飛んで起き上がる。起き上がるだけなら力を使いすぎて息切れすることもない。


 難なく背後を取ったが 後ろを向いたままでアンヌ・フローラは俺の首に腕を回し、ねじってきた。逃れようと姿勢を低くすると、アンヌ・フローラもしゃがんで、今度はねじったまま、床の水に沈めようとしてくる。何て女だ。


 二回、三回と、アンヌ・フローラと一緒にシンクロで飛んで床を跳ねた。驚いたことに、高速で移動している間もアンヌ・フローラは驚きもせず手を緩めない。今度は首を絞めてきた。このままじゃ本当に殺される。さっきから何なんだ。別人の殺気。もう、殺すしかない。


 内ポケットから取り出したナイフで腹を刺した。驚いたことに手は何かに操られているかのように緩まなかった。やはり痛みを感じていない。さっきからおかしい。まるでロボットだ。


「黙ってお聞き。あたしはアンヌと違ってUコードシステムの正しさは主張しないわ。そうよ。あたしたち上の階に住んでるってだけで優位性を振りかざしてるわ。でも人間の性でしょ。あるものは使う。Uコードシステムが力なら、力は使うためにあるわ」


 二度目は容赦なく胸を刺した。しかし、アンヌ・フローラは話すのをやめない。血が出ても呻かない。


「こうしてあんたの首をへし折ってアルザスは平和に戻るの。ただ下層階に生まれたことを呪いなさい。上と下の溝はどんどん深まっていくわ。でもそれでいいの。邪魔な人間はいつでもUコードシステムで消せるんだから」


 命ある限り俺の首を絞めるつもりだ。意識が遠のいてきたとき、三度目のナイフであまり深くなかったものの、アンヌ・フローラの手が緩んだ。俺の下で崩れ落ちる。


 少し驚いた表情を見せたものの今のアンヌ・フローラに恐怖という表情はなかった。ゲームで負けたかのように不適に微笑んだのだ。とうとう息絶えたのだが、薄気味悪い後味が残った。


 まるで今命を失ったのは自分の命ではないというようなアンヌ・フローラの余裕の表情。それに話しぶりからもアンヌ・フローラは一人の人間ではないようだった。嫌な予感を覚えたが息を整えつつ、イザークと、おそらくアークもいるはずのウエストタワーを目指す。


 思えば二つのタワー、どちらも崩さなければいけないというのは、何かの暗示ではないか? もしやそんなことがあり得るのか。


 アンヌとフローラという二人の人間が一人の最高司令官総長を演じているとでもいうのか。


 八十五階で連絡橋から渡れる。一度だけマシンに顔を出してやはり動かなくなっているリアを見やった。だが、顔を覆っている上着を取ってやる勇気はなかった。普通葬儀に出されるまでは何度だって顔は眺めてやるもんだとマルコに言われそうだが、何故か後ろめたい。


 連絡橋はマシンが通れる幅はなかったので、俺はシンクロの能力も忘れて自身の身体で走った。何かが振り切れると思ったのかもしれない。ダニー・モーレイの遺体もあの部屋に置いてくるしかなかった。


 俺には任務がある。だが、その任務が人二人の命と本当に釣り合っていただろうか。マルコを救いたいという妄信。いや、マルコはもう亡くなってしまったのに、俺はどうやって救うっていうんだ。革命で誰かを救えるのか? 


 誰かに変わってこの国を変えたいという自己満足じゃないのか。俺はマルコやマルコの父のことをなかったことにしたいと願ってやまない。そのせいでリアとダニー・モーレイが死んだんじゃないのか? 自分の右足と左足が絡まった。歩くことさえままならないのに、この先どうすればいいのか。


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