第2話 人類最後の都市エルザス

 ここエルザスは、人類最後の都市だ。エルザスは北の大陸に位置し、この大陸および、海、ほかの大陸も全て氷河で覆われている。歴史には氷河期というものがあったかもしれないが、それに一番近い状態だろう。


 なんせ歴史も失われているため、俺にはエルザスの外である外界エクステリユは人が簡単に立ち入れる場所ではないぐらい寒いってことしか分からない。多くの生命が滅亡し生き残った人類はわずか二十万人。


 我々はノアの子孫を名乗り二十本も足を持つ塔エルザスに閉じこもっている。上層階の決めた法律では外界エクステリユに出ようとする行為全てが違法だ。


 二十本の足が下層階にあたりそれぞれ一つ一つが『ホール』と呼ばれる。なのでエルザスの下層階には本物の青い空は存在しない。二十ある筒状のホールの上に鎮座する上層階は中間層の『リング』で遮られ、俺たちの空と呼ぶには小さな穴にしか見えない。


 『リング』はいわば国境みたいなものだ。上層階は上層階全てが一つの巨大なホールだ。本物の太陽があり、唯一の空が見れる場所。『ドーム』だ。


 エルザスは外から見ればクラゲの形をしているのだろう。上層階がクラゲの傘の部分。そして下層階がクラゲのたくさんある足のように二十本並立している。まあ、クラゲなんて海の生き物を図鑑かホログラム以外で見たことのある人間はエルザスにはいなさそうだが。


 俺はマルコのようになりたい。下層階じゃ、どの仕事についてもまともな給料はもらえない。みんながみんな低賃金。かといって上層階では、一度大きなへまをやらかすと下層階に住むというだけで、仕事を失うこともある。身分証を忘れた日には、その日は仕事もさせてもらえない。下層階の住人の多くはその煩わしさから、服に身分証を縫いつける者も多い。それが、かえって下層階が馬鹿にされている理由だ。


 上層階で仕事を成功させた者もいることはいる。どんな汚い手を使ったのか知らないが、コネがないことには上層階でも土木作業しか仕事はもらえない。また、殺し屋が執行シャ警察ルフになったという都市伝説もある。


「でもいいじゃん、ダンちゃんは革命グループなんだから、上層階でも最高レベルの歓迎受けるだろうよ」


 俺はわけあって革命グループ、ブラオレヴォルに入っているが、入っている理由がマルコ本人だってことはよくわかっているだろうに。何だってちゃかそうとするのか。


「皮肉るなって。入りたいならお前も入りたいって素直に言えよ」


 マルコは肩をすくめて目頭をかいた。


「今更なんだって何度言わせるんだ。入る時期は逃しちまったし。何より俺はお前んとこのリーダーのイザークが苦手でね」


 確かに俺たちのところのリーダーは感情が穏やかな割にけっこう物騒なことを言うから、とっつきにくいのは確かだ。


「おいおい、お前らなんで腐ってるんだ?」


 ダニー・モーレイが修理は終わったのかと俺たちに顎をしゃくった。


「てめーのせいだろうがよ。弁償してもらおうか」


「おーよ、ダンちゃんがいたからよかったものの」


 ダニー・モーレイは下層階では入手が難しい嗜好品である葉巻をこれ見よがしにくわえてにんまり笑う。


「お前それ、どこで」


 マルコが恨めしそうに呟くのを、ダニー・モーレイは満足そうにほくそ笑んだまま煙を喉の奥から吐き出した。


「優勝したら賞金で払うか。ま、今回はお前らは望み薄、だな。おっと、今回もだったな」


 軽快なラッパのようなエンジンを吹かせてダニー・モーレイはスタート地点に向っていった。エンジンの音色が美しい高級車だ。


「あんの野郎!」


 マルコがまた俺のドライバーを投げようとしたので、素早くポケットのボタンをしめた。


「やけに自信満々だったな。それにあいつの車体の下、浮遊装置以外に何かついてる」


「知るかよ。改造はルール違反じゃねぇんだから、俺たちももっと何かつけろ」


「つければ早いってもんじゃないってあれほど言ってるだろ。そうそう、また力んで作戦を忘れるなよ」


 マルコはすぐ煽られると挑発に乗ってしまうので、レース開始前にペースを乱されてしまうことも多々ある。前の車体の後ろについて空気抵抗を減らすスリップストリームは、序盤の上昇時も狙い目だなと話していると、もうレースの時間がきた。運転手と、助手席に一人。二人で一つのマシンを乗りこなす。通称ツヴァイゲームレース。


 車体が横に四列、上下に浮遊して縦に十列で並んだ。下層階の狭さから立体的にスタート位置に着くのだが、上層階を目指すレースでは下に位置するほど初めから不利になる。くじ運もなく俺たちは下から二番目のスタート位置だ。


 観客席もスタート地点付近は、錆びた鉄板で固められて砦のように縦に長い。歓声が一層増して、これからスタート時に起こる爆音と共に声を上層へと届けと願うようだ。それとも、無法者たちがこの破天荒なレースを、ルールで固めた上層への罵倒として唸らせたいのか。どちらにしても、この最高の瞬間を生きていると呼ぶべきだろう。


 頭にはもう声、声、それが音として、体感として血液として全てが巡った。人生を振り返るとかいう言葉があるが、そんなものはない。今がその時だ。今を刻む。

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