第24話 シンクロ

「あの医者がお前のお兄ちゃんなのか?」


 少女は何度も息継ぎをするように独特の間を置いてゆっくりと話した。


「お兄ちゃんは、気づいたらそこに、いるの。ニノンの、知らない間に。もうずっとずっと昔、から」


 誘拐や監禁の類の危険な香りだが、少女の表情に恐怖や苦になることは読み取れず、眉が優しく緩んだように見えた。


「私がずっと空を、見つめてると、お兄ちゃんはそのままの姿でずっと、いて欲しいって言うの」


 少女は、死んだように目を閉じて動かなくなった。そういう病なのか、わざとそうしているのか、驚いたことにそれから一分以上呼びかけても無反応のままだ。


 しばらくして目を見開くと今度は目を閉じようとしなくなった。少女が空と呼んだ「天井」を見つめて、動かなくなった。まばたきさえ、おろそかで、その乾いた瞳から涙が溢れていたが、頬までこぼれることなく、均等に滲んでは、また乾くといった次第だった。


「お前のお兄ちゃんは、お前にどんな治療を?」


 返事はなく、答えたくないのか、答えることを許されていないのか、はたまた、覚えていない、もしくは思いだしたくもないのか?


 少女とのやりとりはひょっとしたらその辺の、受付ロボットより難しいかもしれない。それどころか、今少女と本当に会話したのだろうかと不安になったので指に握られている白い花びらに触れてみる。


 触れることは許さないと、首筋に冷たい感触が食い込む。頚動脈上に押し当てられたのは、医療用のメスが三本。指の間に三本も挟んで突きつけてくるとは殺人鬼の様相だ。


 心なしか、ひりりと痛んで生暖かい血が襟元まで染み出した気がする。振り向くことは許されず、凛とした空気の中、部屋に流れる空気清浄機のわずかな気流に揺らめいた金髪が視野に入って、かろうじて背後にいるのがアークであると分かった。


「また、来るんじゃないかって嫌な予感がしたよ。どう言い逃れするのかな」


 俺が花びらに触れた光景が少女の兄の目に映っていたらどうだったか。俺が触れようとしたのは少女だと思ったのかもしれない。俺は強盗か変質者か。まさか、このタイミングでアークに見られていたとは。


「別に悪いことはしてないだろう。勝手に侵入したのは悪かった」


 アークはメスの握っていない腕で、俺が不審なものを持っていないか探った。といってもマシン修理の工具は出るし、ナイフも出る。そのうち、マシンの工具の汚れが気に入らないのかポケットを捜索するのをやめてナイフの本数を聞いてきた。


「それ一本だけだ。護身用だけどな」


 サバイバルナイフは没収され、部屋から出るように促された。俺を一刻も早く少女のいる部屋から遠ざけたいらしい。いや、アークが遠ざかりたいんじゃないのか? 


 アークの職場である地下室に連れられると、電灯が自動で点灯した。俺はマルコとここへ来たのだ。あのときはマルコがいたので、何も怖いものなどなかった。だが、今は突きつけられたメスよりも、あのときマルコが寝かされていた診察台を見ないようにしている。


 ここがはじまりの場所のようにも思えたし、ならどうしてこんな闇医者になら助けてもらえると思っているのか、我ながら滑稽に思えた。現にアークは微笑んでいるけれども、以前と違い苛々とした口調でもって俺を罵った。


「君の所持している武器はどうでもいい。問題はどうやってここへ侵入したか」


 俺の両足に冷気が舐めるように這った。首筋のメスは取り払われ、俺は一歩を踏み出そうとしたが、針で刺す痛みが足を噛みついた。


 両足が凍っていく。こいつのシンクロ能力は、氷か?


 予想通りか、足の氷が膝まで登ってくる。冷凍庫とでもシンクロしているのだろうか? あのとき俺たちを凍らせて下層階に送り届けた方法か。シンクロ能力による冷凍睡眠技術だったわけか。


「早く言わないと、凍傷になるよ。その前に蹴り砕いてあげてもいいけどね」


「待て待て、俺だってどうやって来たか分からないんだ。ポーターにぶつかったら、ここに飛んできて」


 アークの氷は膝の皿を包み込むと太ももまで上がって来た。腰をひねってみても氷はひび割れもしない。


「目的は?」


「マルコだ。アルプトラになった。力を貸して欲しい」


 結構な速度で凍りづけにされていたので、簡潔に答えると、アークの氷が水に変わって溶けた。俺の慌てふためいた姿にまんざらでもないという笑みを浮かべて解放してくれた。このままここで殺されてもおかしくなかった。


 アークならそれもできただろう。今までこんなことができる人間は見たことがなかったから、怖気づいた姿を見せてしまった。


「あのとき君を採血した結果、シンクロ遺伝子の発現が見られた。まさか、ポーターとシンクロして、物流回線に乗って君がテレポートしてくるとは思わなかったよ」


 俺にもシンクロ遺伝子がすでにあったのか? しかし、シンクロ遺伝子を持っていても発現するなんていつになるか分からないのに。


「何にしても助かった」


 恩着せがましくアークは患者用の椅子をすすめてきて、診察するように自分も腰掛けた。


「俺と相性の悪い能力者だったら嫌だから調べたんだけど。まさかテレポーターとはね」


「俺は自覚なかったんだけどな。偶然とはいえ、あの子の部屋に行ったのは悪かったよ」


 眉根を寄せてアークが睨みつけてくる。何をどう答えるか悩んでも仕方がない、素直に悪かったと何度も謝るとアークは肘にあごを乗せて、彼女は何て言っていたかと尋ねた。


「お兄ちゃんはどこって」


 何だそんなことかとアークはため息を着いてそれ以上質問しなかったので、聞いていいことか分からないが、俺も聞かずにいられない。


「お前は実の兄なのか?」

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